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(そこまで大好きだから、困るんです)
『将己の所為だあ…』
『お前、小谷先輩来る前に酔い潰れる気かよ…』
居酒屋に入って、そんなにも呑めないくせに頼んだ生中で見事酔っ払う。酔っ払ったゆかは何度か嫌々世話した事があるが、ここまで酔っ払ったゆかは中々久しぶりだった。対して料理に手も付けず、一気に呑むからこんな事になるんだよと教えてやってもこの様。
『だって…小谷さん、絶対勘違いしてるー…』
『って言われても…小谷先輩からすりゃ、そう見えるんだろ』
正直、俺から見たらゆかの、小谷先輩に対する態度は分かりやすい。明らかに俺と小谷先輩への接し方が違い過ぎる。俺に素を見せているとまでは行かないものの、小谷先輩の前でのゆかは上がりまくって声も俺の前とは違って高くなっている。それに対する小谷先輩も何故気付かないのか分からないぐらいに鈍感だ。
『揃いも揃って鈍感だよ、本当に』
『何よー…ま、あたしは将己と違って、モテる事もないから男心なんて、分から、ない、よー…』
何とまあビアジョッキの似合わない事か。未だ半分も残っているビアジョッキをゆらゆらと揺らしながら、ゆかは頬を赤らめながらぶつぶつと呟く。呑めないなら、初めからビールなんて頼むなよと言いたいところだが、今のゆかに何か言ったところで聞こえちゃいないだろう。
『将己なんて女の子に困った事ないし、片想いしなくったって、常に両想いだしっ』
ぶうっと頬っぺたを膨らまして、拗ねるゆかの何と可愛い事よ。ゆかは知らないだろう…普段、良き同僚であり、良き相談相手であり、ゆかにとってはお人好しである田邊 将己は実は、邪な事ばっかり考えている悪魔なんですよ。
『まあ…でも本当に好きな奴に限って気付いてくれないんだけどな』
『えっ、将己好きな人いたんだ…』
ぽろっと出た言葉にゆかは驚いた顔を見せる。驚きというよりは、自分に何故言ってくれなかったんだと言うような表情をしている。勿論、ここで俺がゆかに告白したところで冗談はやめてくれと笑われるか、好きは好きだけどそれは恋愛としての好きじゃないでしょと言われるだけだから、この気持ちは酒の力を借りたとしても言うつもりはない。
『ばーか、例えに決まってんだろ』
『もうっ、焦ったじゃん…でも、将己好きな人出来たら絶対教えてね。相談に乗れるかは分からないけど、話ぐらいは聞くからっ』
今の俺の状態を表すなら生殺し。ゆかは変わらずビアジョッキのビールをちびちび呑みながら、へらへらと笑っている。本当に、人の気も知らないで…。もし俺がここで理性が吹っ飛んで、お前を無理矢理押し倒して、気付かないお前が悪いって言って…
『…なんてな』
未だ、ゆかとの関係を壊してまでゆかを手に入れたいと思うまでに至っていない俺は正常だ。と、自分に言い聞かせて、今夜は恐らくどんだけ呑んでも酔う事は出来ないであろう酒を一気に流し込んだ。
それからと言うもの、未だ来ない小谷先輩に対してゆかが勘違いしてるから来てくれないんだと嘆く事1時間。呑めない酔っ払いのゆかを相手に呑んでも酔う事の出来ない俺は延々とゆかの話に付き合いながら、漸く現れた小谷先輩の第一声。
『え、この状況は何なん』
俺が聞きたいよ。と思わず言ってしまいそうになった。
『ゆかは小谷先輩を待つ事なく潰れました』
『はは…ほんまこの子は…』
俺のコートを被って丸まるゆかに何度俺の理性がぶっ飛びそうになったかなんて俺以外は知らなくて良い。小谷先輩が丸まるゆかの頭を撫でるとゆかは気持ち良さそうに身を捩って、変わらずすやすやと眠っていた。
『先輩、来るの遅すぎでしょ。』
『仕事が手子摺ってなあ…』
背広を脱いで、ネクタイを緩めると、小谷先輩は胸に忍ばせていた煙草を一本口に銜え、火を灯した。ゆかが小谷先輩の仕草で上位に上がるこの仕草。悔しいが小谷先輩はこういう仕草が似合う…男の俺でも格好良いと感じる瞬間。小谷先輩は煙草片手に生中を注文し、メニューを適当に頼んで行く。
『ほんで、田邊は佐々ちゃんに告白したんか』
『…小谷先輩態と言ってますね、それ』
俺が答えると小谷先輩はさあな、と意地悪気に笑う。万が一俺がゆかに告白していたら今頃半泣きのゆかが座っているだろう事を小谷先輩は理解していて、態と俺に話を振っている。この人もこの人で、ゆかに対する態度と俺に対する態度の違いが明白だ。
『さっさとくっついたらええやん』
それはゆかが小谷先輩の事を好きと知っていての言葉なのか。読めない小谷先輩の考えが俺の返答を困らせる。恐らく…否、間違いなく小谷先輩は俺の気持ちに気付いている。楽しんでいるのか、応援してくれているのか、小谷先輩が度の過ぎるお人好しならば後者も有り得るが、小谷先輩がそんな人間ではない事を俺は理解している。
『佐々ちゃんってぼうっとしてるところあんねんから、下手すりゃ他の奴に持って行かれる事もあんねんで』
『…小谷先輩とか、ですか』
俺の言葉に小谷先輩は顔色一つ変えず、短くなった煙草を灰皿に押し付ける。それから怯みそうになっている俺を目で捕らえ、ゆっくりと口を開いた。
『ま、俺は佐々ちゃんのファンやからな』
『っ…』
どちらとも取る事の出来る言葉に悔しさを覚える。小谷先輩は狡い…俺の言葉を容易く躱す術を知っている。にかっと笑う表情からは本心を読む事は出来なくて、小谷先輩との格の違いが明らかだった。
『選ぶのはゆかですから、』
これ以上小谷先輩に嗾けたとしても、俺に勝ち目はない事を悟り、最後の悪態を吐くと俺は喉を鳴らしながら残り半分のビールを飲み干す。それを眺めがら、小谷先輩もビールを飲み干し、どちらからともなく店員に声を掛けた。
『それじゃ、ゆかは俺が送ります』
『おー。すまんけど頼むわ』
あれから小谷先輩の腹が膨れるまで付き合った俺は、一人で立つ事も儘ならないゆかの肩を抱いてタクシーに乗り込んだ。小谷先輩は特に引き留める事もなくゆかを俺に任せると、自分は会社で寝るからと、タクシー代として幾らかを俺に握らせた。最後まで余裕顔な小谷先輩が正直腹立たしかったが、今はゆかを送る方が先だと考え、運転手に行き先を告げようと口を開いたところで小谷先輩に呼び止められた。
『別に楽しんでへんからな。』
『え…』
ふと顔を上げると煙草を銜えた小谷先輩がそこにいた。暗がりで表情は良く見えなかったし、俺の聞き間違えかとも思ったが、ドアが閉まらないよう窓に手を掛けて少し屈んで立っている小谷先輩を見れば何かを言った事は間違いないだろう。
『唯、ほんまにお前がとろくさい様なら、佐々ちゃん俺が貰うで』
『それ、どういう……ちょ、先ぱ…っ』
俺が聞き返すより早く、小谷先輩はタクシーのドアを閉めて歩いて行ってしまう。小谷先輩がどういうつもりであの言葉を言ったのか、理解出来ない程俺は馬鹿なつもりはない。いつだって余裕顔で、いつだって自分より部下を思い遣る優しい小谷先輩。勿論今回の件だって、小谷先輩はゆかや俺の気持ちに全部気付いていたに違いない。
『…くそ……俺だって好きでとろい訳じゃねェし…』
隣で爆睡するゆかの肩すら寄せる事の出来ない俺。小谷先輩にばればれなのに一生懸命気持ちを隠そうとするゆか。それから、ゆかの気持ちを知っていながらあくまで先輩後輩の仲を貫こうとする小谷先輩。こんなに人口のある街で、たった一つのトライアングル。唯、一つだけ交わる想いがあるとすれば…それは、今のこの3人の仲を3人が壊したくないと願う気持ち。
『そんな事、出来る訳ないのにな…』
ぼつりと呟く俺を、タクシーの運転手がルームミラー越しにちらりと見遣る。酔っ払っていたなら、こんな視線なんて気にもしないが、何となく全てが鬱陶しく思えて、腕を組んで眠った振りをした。
(いっそ、奪ってくれたら良いのに)
俺の気持ちを掻き消すぐらいにさ…
20130130めぐ
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