[携帯モード] [URL送信]
9





『大丈夫ですか…っ』


『よ……こた…さ…』


まさかまさか、彼があたしを助けに来てくれるだなんて思いもしなかった訳、で…




(この気持ちの名前は…)




ここ数日の事だった。気付かなければ一生気付かなかっただろう、身の回り変化。それに気付いてしまった瞬間から途端に身の回りの動きに敏感になってしまう訳だから人間とは本当に鈍いのか鋭いのか分からないものだと、改めて感じた。


『えェ…っ、ス、ストーカーっ』


お昼休み、事を説明すると同僚の七海のお弁当からマカロニが零れ落ちそうになるぐらい七海はあたしとの距離をぐっと詰めて来た。七海は元々リアクションの大きい方だけど、きっとここまで驚く七海は中々見る事なんて出来ないだろう。実際、あたしだって気付いてから一週間、未だに本当かどうかも信じられない。


『気の所為かも…だけど。何か最近つけられてる気がするの。朝出勤する時も、コンビニ寄った帰りとかも、多分同じ男の人がいるんだよね…』


『何か心当たりとかはないの。接触した事とかさ』


七海の言葉に思い当たる節はなくて、ゆるゆると首を横に振る。その返答に七海はそっか…と、口に入れたお菜を飲み込んだ。初めて異変を感じたのは一週間前、後輩と帰宅している時に後輩があたしの耳元で囁いた、『陽先輩、後ろにいるサラリーマン風の人、あの人この前会社の前で声掛けて来たんですよ』という言葉からだった。なんでも、うちの会社に所属している女子で、あたしの容姿に似た特徴の女子の名前を知りたがったそうだ。


その時からずっと、あたしと一緒に帰宅する時は必ず後ろにいるそうだった。彼女に言われてから一週間、こっそりと後ろを振り返ると帰宅途中だけでなく出勤中にも彼の影を見掛けるようになった。初めは気の所為だと、あたしなんかを追い掛け回す意味が分からないという気持ちが、何であたしが、という気持ちに変わり、今ではどうすれば良いのか分からなくなっている。


『陽の隣の家のさ、横田さん…』


そんな事を考えている途中で、七海の一言に思わず現実に引き戻されてしまった。今、恐らく何よりも一番聞きたくない、彼の名前を聞いて、身体がぴくりと揺れる。七海には一度、横田さんの話を聞いて貰った事がある。相談という訳ではなかったから、七海は本当に黙って横田さんの話を聞いてくれた。聞いてくれるだけで気持ちが落ち着いたから、七海には本当に感謝している。


『や、やだよ…横田さんは関係ないし、あれから一度だって顔すら見てないもん…』


あの時、横田さんとの距離に逃げ出したあたし。あれ以来偶々仕事が忙しくなって横田さんとは会わなくなって安心したけれど、ふとした時に思い出すのは泣きそうな顔をした横田さん。逃げ出したあたしが今更、こんな時だけ頼るなんて都合が良いにも程がある。


『でもさ、こんな時女ってのは悔しいけど力じゃ敵わないもん。横田さんは家が隣なんだし、助けて貰った方が良いよ』


『だ、大丈夫だって…あたしの気の所為かもしんないし。いざとなったら大声で助けを呼ぶし…っ』


横田さんの名前が出るだけで、頭の中が横田さんでいっぱいになってしまう。こんな状態で横田さんとの距離を縮めてしまったら、横田さんにまた泣きそうな顔をさせてしまうかもしれない。横田さんにあんな顔させない為には、もう横田さんには近付いてはならないと、頭で警笛が鳴り響く。折角心配してくれている七海には申し訳ないけれど、あたしは七海に対してへらっと笑うと、腕捲りをして見せて、ガッツポーズをしてその場を誤魔化す事に撤した。


『…とか言っちゃったけど、やっぱり怖いものは怖い、よね……』


いつも通り仕事を終えて、勿論今日も終バスは終わってこれから一人で歩く20分間。意識し始めた途端に帰り道のチカチカと今にも切れそうな小さく明かりを灯す電灯や、風で草木が揺れる音、細い裏道の薄暗さに恐怖を覚える。無意識に速くなる足の速度、肌寒い季節なのに嫌な汗が首筋を伝う。周囲に人の気配はなく、あったとしても前を向く勇気も振り返る勇気もない。ただ、早く家に着かなければという気持ちだけがあたしの足を動かしていた。


後少し、後10分程度歩けばこの恐怖から逃れる事が出来る。そしたらやっぱりあたしの勘違いなんだって、月曜日に七海に報告しよう。それからあたしをつけていると囁いた後輩にも、やっぱり勘違いだよと教えてあげよう。それから、それから…


『ねえ、何をそんなに急いでいるの』


『…っ』


本来なら、あたしが冷静だったのなら、気付かない訳がない程の強い気配。あたしの家から約50メートル手前、初めて聞く声は予想せずとも彼の声だと気付いた。だけどその瞬間、恐怖から頭が真っ白になってしまって何も考えられなくなってしまった。


『陽ちゃん…僕の陽ちゃん…そんなに急いでどうしたの』


『や…やだ…っ』


左腕を強く引っ張られた所為で痛みから持っていた鞄がアスファルトに転がり落ちる。痛みだけでなく、恐怖から身体が痺れて動かない。藻掻いてみたって結局力では敵わなくて、引き摺られるようにして小道へと身体は引っ張られていく。


『ずっと君を見ていたんだよ。君は中々気付いてくれなかったけど、毎日毎日、君を想って…ほら…』


『っひ……』


喉が枯れたように、掠れた悲鳴が漏れる。右手を引かれ、彼の下半身へと無理矢理導かれれば、そこには布越しでも伝わる程に固く熱を持った男性器が存在していた。力任せに腕を引こうとも呆気なく戻され、嫌でも彼のモノを擦る形となってしまう。あたしの手が彼のモノを行き来すれば更に固くなったモノがあたしの手の中で大きく膨れ上がり…


『ああ…は、陽ちゃ…っ…う、うう…っくう…ッ』


『…っ』


彼が小さく呻き、大きく跳ねた瞬間、あたしの手に湿った感触が伝わった…。


薄暗い中で月に照らされた彼の紅潮し、うっとりとした表情に吐き気がする。気持ち悪い、何よこの臭いは。何であたしがこんな目に合わなきゃならないの…この男の全てに嫌悪感を抱く。だけどどんなに抵抗したってあたしの身体はアスファルトの上に押し付けられていってしまい、


『やだ…っ誰か助…痛ァ…っ』


叫ぶ声はこの男に殴られた事によって打ち消されてしまった。あたしの上に馬乗りになりながら、荒い息と気持ち悪い愛の告白を吐き続ける最低な男。このままあたしはこんな男に汚されてしまうのかと、悔しさから涙が滲んだ。その、刹那…


『うぐ…っ』


『……ッ』


あたしを跨いでいた男が小さく呻いたかと思えば男があたしに向かって倒れ込む。咄嗟に倒れ込んで来た男を躱して、塀に背中を付ける。一体何があったのか理解出来ないまま気を失った男の横で、あたしは塀に凭れ掛かって動けずにいた。


『大丈夫ですか…っ』


ふと、頭に落ちてくる聞き慣れた声に頭を上げればそこには焦りと、憎悪の入り交じっている見知った顔が見えた。


『よ……こた…さ…』


『えっ……あ、天原さん…』


何で横田さんがここにいるのか理解出来ない。確かに横田さんと家は近い。と言うか家が直ぐ近くの、世間で言うお隣さん。だけどあたしと同じぐらい横田さんも驚いた顔をしていた。あたしが唖然としている間に横田さんは、取り敢えずと言った感じにあたしが力では敵わなかった相手を容易く転がして、あたしを抱き起こす。もう、本当、いとも簡単に。


『な、何で…』


『いや…弁当買って帰ってたら女性の悲鳴が聞こえて、それで…』


気まずそうに、横田さんはあたしから目を逸らしながら咄嗟に投げ捨てたであろうお弁当を拾う。だけど、あたしに顔を向けないようにしながらも額から滲んでいる汗は、あたしを必死に助けてくれようとした証拠。


『…有難う、ございます』


消えそうなぐらい、ちょっと強めに風が吹いたら聞こえないぐらいに小さな声でお礼を言う。今日の事は絶対にあたし一人じゃどうにもならなかった事。今でも震えを隠すのに必死で、ちょっと気を抜いたらそのまま倒れてしまいそうなぐらい。本当に、横田さんが来てくれなかったらどうなっていたかなんて安易に想像出来てしまう。


『まさか天原さんが襲われてるなんて思いもしなかったです。というか女の子なんですからこんな夜中に一人で歩いていたら駄目です』


言い難そうに横田さんも小さな声で呟く。


『でも、間に合って良かったです…本当に…』


心底安心したような横田さんの声、それから漸く交わった横田さんの目は穏やかで、


『横田さん、あの……すみません、震え、止まらない、です…』


『もう大丈夫ですよ…俺が、います…』


そう言われて横田さんに包まれて、どうしてかずっとずっと横田さんにこうして欲しかったんだと、ぼんやりと思う。それがどういった感情によるものかは未だ分からないけれど、抱き締められた横田さんの腕の強さは何故かあたしの鼓動を速くするものだった。

























(大丈夫ですよと何度も囁かれて)

その腕の中で、涙が出た…






























20130126めぐ



あきゅろす。
[小説ナビ|小説大賞]
無料HPエムペ!