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(貴方と歩く、行先知らず)




『あの、聞いても良いですか』


『はい。あ、でも行先とかは聞かないで下さいね。特に決めてません』


一番聞きたかった答えが行先未定だった為、あたしはじゃあ良いですとだけ答えて横田さんの隣を歩く。家が隣なのに隣を歩くのは数回目。引っ越して来てから一年は唯のお隣さんだったのに、ここ2、3日で物凄く近付いたような気がする。あくまで気がするだけで、大して距離は縮まっていないのだけれど、横田さんとこうして出掛ける日が来るなんて想像もしていなかった。


『昨日の晩御飯に早速肉じゃが食べました。すっごい美味しくて、感動しましたよ』


『そんな大袈裟なものじゃないですけど、正直嬉しいです』


別に凝った料理でもなかったけれど、そこまで喜んで貰えると作った甲斐がある。こんな時はある程度料理が得意で良かったと思う。勿論お世辞も加わっているとは思うけれど、あたしとしては横田さん…というか誰かに手料理を振る舞って喜んで貰えただけで満足だった。


『今日はそこまで寒くないですね。歩き易い気温というか…』


『そうですね…俺は、隣に天原さんがいるだけでぽかぽかします』


またそんなあたしを期待させるような事を横田さんは平気で言う。こっちは隣に横田さんがいると道行く女の子がちらちらと横田さんを見るから妙に緊張して、正直暑いとまで思っているというのに。あたしも横田さんの隣を堂々と歩く事が出来るぐらいに美人だったら、こんなに緊張する事もないのだろうか…


『ね、天原さん』


『え……あ、はい…』


横田さんに何か話し掛けられて、思わず返事をしてしまった。一体何を言っていたのかは分からない儘、あたしは横田さんの隣を歩いていたのだけれど、小さなお弁当屋さんに入って行く横田さんを見て、恐らく今日のお昼ご飯はここのお弁当屋さんにしようという話だったのだろうと理解した。


『このお店、俺が毎日買ってる弁当屋で、オススメなんですよ』


『そうなんですか。確かに美味しそう…』


ショーウィンドに並べられたサンプルのお弁当は確かに彩り鮮やかで、どれを見ても美味しそうなものばかり。普段、会社にも手作り弁当なあたしは余りこういうお弁当を食べた事がないので、どれも魅力的に感じるものばかりで、選ぶのに時間が掛かってしまいそうだ。


『横田さんのオススメってどれですか』


『んー…、どれもオススメなんで迷っちゃいますけど…ああ、そうだ。ちょっと待ってて下さい』


横田さんはあたしの質問に答えない儘、店員の女の人に注文をし始めた。そんな様子をあたしは黙った儘見詰めている。横田さんはどうしてあたしなんかと出掛けたいと言ったのだろうか、折角の休日をあたしなんかと過ごして良いのだろうか。横田さんがあたしの隣に居なくなるとそんな考えばかりが浮かんで、益々横田さんの事が分からなくなってしまう。


『天原さん、ぼーっとしてますよ』


『えっ…あ、ごめんなさい』


一人、頭を悶々とさせていると、いつの間にかビニール袋にお弁当らしき物を詰めた横田さんがあたしを覗き込むようにして立っていた。黒縁眼鏡の奥は心配そうな目をしていたけれど、整った横田さんの顔が近くて、あたしは明白な程に顔を思い切り背けてしまう。顔を背けるなんて、横田さんにとってはかなり失礼な話だと言うのに…


『…近くに公園があるんですよ。そこで飯にしましょう』


『は、はい…』


すっと、横田さんはあたしから顔を離すと、あたしの少し前を歩き始めた。先程より少し早目な速度で、気を抜いたら置いて行かれてしまいそうな雰囲気を感じて、急いで横田さんの後ろ姿を追い掛ける。結局、何弁当を買ったのかも聞く事が出来ない儘、無言で横田さんの後ろを歩いていた。


昨日は、確かにあんなに話が盛り上がったというのに、どうしてか今日は沈黙が多い。何か横田さんの気に障る事をしてしまっただろうかとも悩んだけれど、横田さんと話すようになって数日…逆に何か気に障るような事があれば、今日一緒に出掛ける話になんてなっていない筈だ。


そんな事をまた一人考えていると、横田さんはあたしの少し前で立ち止まって、あたしをじっと眺めている。今日は横田さんがいるというのに、また一人で自分の世界に浸ってしまった事に気付いてあたしは急いで横田さんに駆け寄った。


『ごめんなさい、ちょっとぼんやりしちゃって…』


『あの…』


ふと、横田さんの表情を見ると、横田さんは凄く悲しそうな顔をしていた。横田さんの事を知っている訳ではないけれど、横田さんの表情の意味が咄嗟に分かってしまったあたしは、それを否定するようにビニール袋を持っていない横田さんの腕をぎゅっと両手で掴み、


『横田さんと出掛けるのが嫌って訳じゃないです。唯、あたし、男の人と出掛けるのって久しぶりで緊張するし、ついつい色んな事考えちゃって…っ』


略、無意識に言葉が出ていた。言った後に、これが本心だと気付いたのだけれど、勝手に出てしまった言葉を今更嘘でしたなんて言える訳もなく、この時のあたしは何故か必死で横田さんの悲しそうな顔を見たくないと思っていたのだ。


『よ…良かったあ…』


『え…あ、ちょっと横田さん…っ』


あたしが横田さんを見上げた途端、横田さんは力が抜けたように歩道の真ん中にへにゃへにゃと崩れ落ちた。横田さんの腕を強く掴んでいたあたしも、横田さんにつられて歩道の真ん中に屈む形になってしまったのだけれど、横田さんの安心した表情を見ると、これが人前だとか、そんな事は最早どうでも良かった。


『天原さんがもしかして俺に無理に合わせてくれてるのかもって、凄く不安だったんです。』


どう見ても天原さんって断れないタイプだし…と余計な言葉までくっ付けて、横田さんは心底安心したような表情を見せてくれた。その表情を見たあたしも、何故だか安心してしまう。人の安心した顔が、こうも自分をも安心させてくれるのだと、初めて知ったような気がする。


『と、兎に角恥ずかしくなって来たので移動しましょう』


『あ、そうですね』


安心したのも束の間。ふと周りを見ると、街行く人の視線が集まって来ていたので、あたしは急いで立ち上がると、横田さんも続いて立ち上がる。逃げる様に大通りを抜け、暫く歩くと見えて来たのは小さな公園。休日のお昼時だけど辺りに人影はなく、かと言って不気味さのない、陽の良く当たる公園だった。


『今出向している現場の近くなんですよ。結構穴場というか、静かだから落ち着くんです』


『確かに…のんびり出来そうな場所ですね。陽も当たってて気持ち良い…』


ぐーっと伸びをすれば暖かい陽射しが身体の正面から当たって気持ち良い。普段、室内での仕事が多い所為か、余計に陽射しが気持ち良い様に感じて、自然と笑みが零れる。陽射しが気持ち良いなんて感じたのはいつぶりだろう。いつの間にか日焼けが、シミが…と、自ら進んで公園には行かなくなっていた。


『で、ここで食べるお弁当がまた美味しいんで、お昼にしましょう』


『あはは、大賛成です』


横田さんはビニール袋を頭の高さまで上げると、にっこりと笑う。つられてあたしも笑ってしまったのだけれど、確かにお腹が減って来る時間帯だ。二人掛けのベンチに座る横田さんの隣に座って、受け取ったのはまだほんのりと温かいカツサンド。ショーウィンドに展示されたサンプル弁当からのチョイスではなく、カツサンドというところがまた可笑しくて、ついつい笑ってしまう。


『ピクニックって行ったらやっぱりサンドウィッチですよね』


なんて、嬉しそうに笑う横田さんはまるで子供。男性に使う言葉ではないけれど、可愛らしいという言葉が今の横田さんにはぴったりだ。クールだと思っていた横田さんは、本当に無邪気で、凄く素直な人。きっときっと、お隣さんという関係じゃなくて、友達の知り合いだったり、会社の先輩だったら、間違いなく好きになっているだろう。


『なんか、お隣さんって言うのが残念だな…』


気付いたら、そう、独り言を呟いていた。言った後に意外と声が大きくて、急いでカツサンドを口に頬張りながら横目で横田さんを見遣ると、横田さんはあたしの独り言が聞こえていたのかいないのか分からないけれど、じっとあたしを見詰めている。


『天原さん。』


『は、はい』


あたしの顔に穴が開いてしまうのでは…というぐらいに横田さんはあたしを見詰めている。横田さんに…というか人にそんなに見詰められると恥ずかしくなってしまうもので、その恥ずかしさに耐え切れずあたしは下を向こうとした。


『…っ』


ふと、温かい手があたしの頬に触れたかと思ったら、そのまま横田さんの顔が近付いて来て


『俺、天原さんが隣に越して来てくれて良かったと思ってます。今も凄く楽しいし、こんな日が来るなんて正直想像もしてませんでした。』


『は、はい…え、つ、つまり…』


横田さんが何を言おうとしているのかが全く読めなくて、それよりも頬に触れた手と横田さんとの距離に意識が集中してしまって何も考えられない。横田さんは凄く真っ直ぐな瞳であたしを見るけれど、あたしはとてもじゃないけど横田さんを直視出来なくて、だけどそんな自分も横田さんの次の言葉を聞いて、本当に何も考えられなくなって、横田さんから目を逸らす事も出来なくなってしまった。
























(お隣さんから始まる恋だってあると思うんですっ)




思考を奪ったのは間違いなく貴方です。

























20130119めぐ



あきゅろす。
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