帰りの放課後の教室にて
何時も君は笑顔をくれるから。
だから、勇気を出せる気がしたんだ。
『帰りの放課後の教室にて』
いざとなると緊張するものだ。
たかが、「ノートを借りる」ぐらいで。自分が女々しく感じる。
…いや。もう好きな相手になら、『たかが』とかでは無いんだろうな…。
名無しを気に掛ける様になったのは、授業中の彼女の後ろ姿だった。
丁度授業中、視界に入った彼女の姿は、ピンと背筋を伸ばし、教師の言葉を耳に傾けては黒板の字をノートに書き込んでいく。
彼女のいる所だけ、空気が違って見えた。
それが初めて見た、彼女の姿。
それからすぐに水色に聞いて、名前を教えてもらった。
「名無し、さん…」
見た目は普通に女子高生っぽいのに、生活態度や授業態度はスゴく真面目で。
正直、俺には近寄り難いだと思った。
余りにも、俺とは生きる世界が違うと思ったから。
でも、いつもの朝の時間帯。教室に入ると同時に、名無しは俺に
『お、おお早う!…くっ、黒崎君』
何故か吃り口調だったけど、そんな事は今更どうも気にならない。
「…おす。名無し…」
ようやく彼女と会話を交わす事が出来たから。
それが例え、数秒で交わされる挨拶だとしても。
この日から俺は、彼女が益々気になる存在になっていった。
それから彼女は、毎日絶やす事無く、挨拶と俺の名前を言ってくれた。
とても優しい笑顔で…だから、朝の時間帯は毎日待ち遠しかった。
あんなに遠くに感じた世界観も、とても近くになった気がした。
でも、もうそれだけじゃ足りない。
もっと声が聞きたい。もっとあの視線と優しい笑顔が、自分に向けられて欲しい。
多分これが、人を好きになった事なのだろう…。
だから、話すキッカケなんて何でも良かった。
たまたま虚が授業中に現れて、抜け出す事になったから、それを理由にして。
「あっ、名無しっ!」
……我ながら、この第一声はどうかと思った。
テンパっているのが、誰にでも手にとる様に分かる。
でも、幸い彼女は気付かなかったと言うか、何処と無く考え事をしている様な雰囲気だった。
だから、もう少し距離を縮めてもう一回名前を呼ぶと、こちらを向いてくれた。
ずっと求めていたものが、そこにはあった。
その後、やはり何処と無く考え事をしている様で心配だったけど、何とかノートを借りる段階まで辿り着けた。
本当に今、名無しと会話出来ている事が、夢の様に思えた。
だが俺はそこで、二度目の失態をする。
緊張し過ぎてつい、
「授業も真剣に受けているだろ?」
やってしまった。本当に。
穴があるなら入りたい状況だ。
格好悪いとか、無駄な言い訳とか、そんなのちっとも頭に過ぎらず、お構いなしに弁明を計ってみたが、益々自分を追い込む結果になった。
もう、すぐにでもこの場から逃げ出したい…。
でも名無しは、意外にも少し驚いただけで、そのまま会話を続けてくれた。
逆に名無しの両親が、自分が余り得意では無い、《教師》だったのには正直驚かされ
た。
…そうか。両親が教師なら、あの授業態度も両親を尊敬する上でのモノだろう…。
本人は軽く否定したが、俺としては名無しのそう言う所が好きなわけで。
内心、もしも彼女と付き合うなんて事になったら、何時も教師に睨まれてる俺なんかとは、反対されて付き合わせてもらえないんじゃないかとか、要らない妄想を駆り立ててしまった。
でも、ノートを借りた直後に言われた言葉で、そんなものは一気に吹き飛んだ。
『スゴく嬉しいよ?』
その言葉と、そう紡いでこちらに向けられた笑顔は、今までにない位の、最上級のモノだった。
男の癖に、顔が一気に赤くなるのが分かった。
まさか自分のしてきた行いが、《嬉しい》と言われる日が来るなんて。
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