第七講 やっぱりね
銀先生が好きだ。
そう気づいたのはいつだっただろうか。
薄暗くなりはじめた保健室で、眠りについた先生の、熱のせいで上気した横顔を見ていると急にせつなくなった。
汗ではりついた銀色の前髪をそっとはがす。少し荒い息をしている先生の寝顔は、思っていたよりずっと端整だった。
こんなに近いのに。こんなに好きなのに。
…もう少しだけでも早く生まれたかった。
せめて、あたしがもう少し可愛かったら。
せめて、あたしがもう少し大人っぽかったら。
せめて、あたしがもう少し素直だったら。
せめて、あたしが先生の前では余裕をもってアピールできたら。
言い出したらキリがない。
先生は大人で、きっと一通りの恋愛もしてて、綺麗な女性との面識もあって…。
それなのに、あたしはまだ高校生の子供。
遠すぎて、苦しすぎる。
どんなに背伸びして手をのばしても、届かない。
現実的な切なさとは裏腹に、夕暮れの光は幻想的だった。
「現実って厳しいね」
いきなり言い出した舞希に神楽と妙は目を丸くする。
「何アルか舞希、いきなり」
神楽は弁当を食べる箸を止めて舞希を見た。ちなみに今はまだ1時限目が終わったばかりである。
「いや…生きていくのってさ、なかなか上手くいかないよね」
そしてはあ、と溜息。
それを見た神楽と妙はピンときて互いに目を合わせる。
「舞希ちゃん」
「なあに?お妙さん」
「好きな人、いるんでしょ」
たっぷり三秒空気が止まった。
「…え、なんでっ!!!」
「やっぱりね」
「バレバレアル」
があっと顔を赤くした舞希にこんどは神楽と妙があきれたように溜息をつく。
「で、相手は誰アルか?」
「え゙、…それは…」
「もう、神楽ちゃんってば…そんなの、あの人に決まってるじゃない」
「え、お妙さん…!」
「ああ、アイツアルネ、アネゴ!」
「そうそう、神楽ちゃんわかってるじゃない」
「二人とも!!そんな…っ」
口には出さないものの、確かに神楽と妙の予想は当たっていた。
舞希の目を見ていればわかる。あんな瞳を向けている相手はいつも同じ人だった。
「…でも、確かに溜息つくのも無理ないわね…立場が立場だもの、お互いに」
「舞希も悪趣味アルな…まあでも、アイツならそこまでモテモテなわけでもないアル。天パがなによりの証拠ネ」
「天パ?……うん…そうかもだけど…」
舞希は俯く。二人にはそれが泣きそうな顔に見えた。
「何故か人気あるんだもん…それに…」
「歳の差なんて気にしちゃだめよ。舞希ちゃんは舞希ちゃんなりにまっすぐ頑張ればいいのよ」
「…まっすぐ…?」
「そうよ、そのままの舞希ちゃんでいれば、相手も舞希ちゃんを見てくれるはずよ」
「そうアル、なんにも心配することないネ。大丈夫アル」
(…それに、相手はもうあなたしか見てないから)
あえて口には出さない。これは、二人の口から告げる言葉じゃないから。
「…ありがと、神楽、お妙さん」
…きっといつか届く、きっと。
二人は優しい笑顔を見せた。
「あ、宮崎」
「…あ、銀先生」
廊下で呼び止められて、舞希は振り返る。
「昨日は悪かったな」
「いえ…身体は、大丈夫ですか?」
「ああ。おかげさまで。ちょっと頼みがあんだが…」
「なんですか?」
「高杉探してきてくんない?アイツまた授業サボってただろ?さっきまでウチのクラスにいた…誰だっけ、服部?がチクってきてよ。ほっとくわけにはいかねーから」
「…はあ、構いませんけど…」
「悪いな。俺この後会議だから。偶然宮崎見かけて助かったわ」
銀八は舞希の頭をぽんぽんと撫でる。舞希の顔は一気に赤くなるのだが、銀八は気づいていなかった。
「そんじゃ、頼んだぜー」
「はい」
あー、めんどくせー、などとつぶやきながら去っていった銀八の手にはジャンプが挟んであって、笑いが込み上げてくる。
(先生もサボりじゃん)
くすくすと笑いながら舞希は屋上への階段を上った。
だが、これが後に舞希と銀八の心を大きく掻き乱す事態の前兆となることは、誰も知り得なかった。
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