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第六講 ああ…なんでもない


「見たか!?さっきの…」

「ああ、Z組の転入生だろ?すっげー美人!」

廊下ですれ違った男子生徒。壁に寄り掛かりしゃべっていた。さりげなく聞こえた会話に俺はぴくりと反応した。
ひりひりする喉をおさえつつ、なにもないのに少し先で足を止める。聞こえ続ける会話。


「めちゃくちゃ可愛いよな。グラビア系だろ、あの顔」

「清楚な顔しといてスタイルやばいよな。襲いがいがありそうだぜ」


(…血気盛んなこって。発情期ですかコノヤロー)


そう思ってみたがよく考えたら高校生は立派な発情期だった。
白昼堂々とそんな会話ができることに少し嫉妬の念が浮かぶ。
さらに耳をそばだてる。


「あれはきっと性格も絶対いいにちがいない」

「AAランク…もしくはSランクだな」

「頭もめっちゃいいらしいぜ。性格も…こないだゴミ捨て手伝ってくれたし」

「じゃあ性格もヨシ、か…俺狙おうかなあ」


(…お前らごときに舞希の何が分かるんだ)


とっさに浮かんだのは独占欲が滲み出たような感情。だが、それを否定する前に重大なことに気付いた。

(…よく考えたら俺、舞希のこと詳しくは知らねえ…)









授業中の舞希。ものすごく眠そうだ。というか寝ている。

昼休みの準備室、体操部の顧問(といっても形のみ)、もちろん担任として、等々…彼女と関わる時間はたくさんあったが、舞希はいまいち自分を出そうとはしていなかった。…少なくとも俺の前では。

ただ、クラスの連中との様子を見るかぎり舞希には舞希なりの個性があるのだろうと思う。

俺は、そんな彼女に気をとられつつも黒板に向き直った。チョークを取った時込み上げかけた咳に、眉を寄せた。






(……だりィ…)

頭が重い。痛い。身体がゾクゾクと嫌な寒さを訴えていた。

朝はそうでもなかったのに、咳が出始めてから明らかに体温が上昇している。

ふらふらと廊下をさまよっていると、すれ違った人影にガシッと後ろから腕をつかまれた。

思わず振り向くとそこには、険しい顔の舞希が。彼女だと頭が認識した途端、細い腕で捕まれている場所がじんじんと熱を持ったように感じた。

そのまま引っ張られる。俺の腕をつかんだまま歩きだした舞希は無言。

「え、ちょ、宮崎…!?」

呼びかけてもなお、ずんずんと険しい形相で進んでいく。

目立つ舞希が俺の手を引くことで、通る先々で生徒がざわめいていたが、俺はだるい身体を引かれるしかなかった。







ついた部屋のドアを舞希が開けると、中には人がいなかった。…この間と同じで。

ベッドの上に座らされ、目の前に突き出されたのは体温計。

「…あの、宮崎?」

「いいから計ってください」

ツンとした口調でそれだけ言われ、 舞希はカーテンの向こうに消える。
言われるがままに体温計を挟む。カーテンの向こうで、冷蔵庫を開け閉めする音が聞こえる。

やがて、ピピピピ、と電子音が鳴り、表示を見る前にひょいと奪われた。

「…38度2分」

舞希はそう言って整った眉を寄せた。

「なんでこんなになるまでほっといたんですか」

「…あー……」

「この前あたしに言った言葉を忘れたんですか?」

「…スミマセン」


不甲斐なさと恥ずかしさで声が縮む。
舞希はタオルを巻いた氷枕を置き、

「寝てください。理事長に伝えときますから…」

長い睫毛を揺らして言った。

「…悪ィな。サンキュ」

午前中の静かな空気を肌に感じつつ、ベッドに横になると、舞希は困ったような柔らかな表情で布団をかけてくれた。









額に冷たい感触を覚えて、目を開けると舞希の整った顔が見えた。

「あ、すみません…起こしちゃいましたか?」
いつの間にか寝ていたらしい。

額に乗った濡れタオルは、心地好い重みと舞希の優しさを醸しだしていた。


「保健の先生は出張でいないそうです。…なので、あたしが銀先生についてるようにって…理事長が」

(あのババア…)


変なところで気が利く。今ばっかりはそう思わずにいられなかった。


「寒く、ないですか?一応窓は閉めたんですけど」

「ああ…大丈夫」

「そうですか。あ、ポカリ…飲んでください。水分補給しなきゃだめですから」

ペットボトルを渡されて口をつける。冷たすぎない半透明な液体は熱で渇いた喉をおりていった。


「お前、授業は」

「ああ…お妙さんと神楽に手回ししてもらいました。先生の授業のほうも、出張ってことにしてもらってますから」


だから病人は寝ててください、と舞希は俺の額に乗ったタオルを正した。その華奢な指先が触れるだけで、熱があがるような気がした。


熱のせいかもしれない。丁寧に振る舞う彼女が、無性に愛しく感じた。

俺と関わる時間は多いにもかかわらず、なかなか舞希に近づけない。そのことが、虚しくて、苦しかった。だから、触れられる度に自分からもっと触れたい、そう感じるようになってしまっていた。



結局は、本能が呼んでいたのだ。

『舞希が欲しい』と。



成績優秀な舞希でも、美少女の舞希でも、愛想のいい舞希でもなく。

そのままの、舞希が欲しい。


「…先生?大丈夫ですか?…」

だが、舞希の口から出た言葉は俺と舞希の埋められない『距離』を突き付けていた。


『先生』。

自分は教師、舞希は生徒。



その事実は変わらない高い壁。


舞希が傍にいるのに、こんな女々しい感情に潰される。


「ああ…なんでもない」


決して熱のせいだけではない苦しさが、重い自身にのしかかっていた。



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片想いって辛いですよね。

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あきゅろす。
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