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第五講 馬鹿だろ、テメー


ガラリと足で保健室の扉を開け、誰もいないのを確認すると、そのままベットへ直行し、ぐったりした舞希をゆっくり下ろした。

「…馬鹿だろ、テメー」

布団をぼすっ、と掛けてから傍にあった丸椅子に腰掛ける。
舞希は真っ青な顔をバツが悪そうに歪めた。


「無理すんなっつっただろ。まあ頭打たなかっただけよかったが。感謝しろよ、俺に」


申し訳なさそうに眉を下げた舞希。どうやら口を開くのも辛いらしい。

「…ごめん…なさい」

「…べつに、謝る必要はねえ。少し寝ろ」

そう言うと、舞希はもともと無理に繋ぎとめていたであろう意識を緩め、あっという間に眠りに落ちていった。









目が覚めた時には、白い天井にオレンジ色の光が差していた。
しんとした空気と鼻をつく薬品の匂い。誰もいない保健室のベッドであたしはゆっくりと身体を起こした。

いったい今は何時なのか。あれからどれくらい経ったのか。

まだ暗くはなっていないからこれから急げば授業に戻れるかもしれない。


そう思い、ジャージのままの足をベッドから下ろし、立ち上がる。頭がツキン、と軋む。寝ていたせいかまだふらつく気がするが、この際どうでもいい。


ガラリと保健室の扉を開け、やけに軽いことに驚くと、向こう側から開けたであろう人物とばちっ、と目が合った。


「あっ…先生!?」

「何勝手に抜け出そうとしてんだ、宮崎」


眉をよせて佇む銀先生にぎょっとする。

「…いや…授業戻ろうかと…」

「馬鹿か。テメーぶっ倒れといてまだンなことぬかしてんのか」

「…だって、…っ…!」

「…!?」

ガクンと身体が崩れ落ちる。

冷たく固い床の感触。

突然襲われた眩暈に力が抜けていく。


「おい、宮崎!?」

「…う…気持ち悪…」


荒くなる息とともに吐き出された言葉。あー、これはホントにやばいかも、などとまとまらない頭で思う。ぐるぐる目が回ったように視界が安定しなくて、生理的な涙が滲んだ。


「はーあ…だから言ったじゃねーか。保健医が怪我人の送迎でいねーから、とりあえずじっとしててほしかったのによ」

そう言って先生はあたしの背中をさすった。ごつごつした…でも綺麗で大きな手の平が背中を往復する。


「…ほら、立てるか?」


ぐい、と肩を貸して支えてくれた銀先生。白衣の下の腕はやっぱりたくましい。だが、足に力が入らない。というか頭がくらくらして気持ち悪い。

「…ったく…しゃあねーな」

ぼそりと呟いた低めの声と同時にまた先程と同じように抱え上げられる。世に言う姫抱っこ。そんなのガラじゃないのに。

(…でも、きもちいい)

こんな状況下でそんなことを思うのは不謹慎…銀先生にも失礼かもしれない。だけど、そう思わずにいられなかった。


「横になれるか」


ついさっきまで寝ていたベッド。あたしは頷いて身体を横たえた。ふわりと翻れる夕日に染まったカーテン。銀先生の癖のある髪もふわりとそよいだ。

「授業はちょっと前に終わった。2時間ちかく経ってるからな、寝不足なら良くなってるはずだが…多分貧血でもあるんじゃねーか」

「…はあ」

これは返事になっているんだろうか。多少不安になりつつも、布団を被る。清潔なシーツの匂い。

寝てろ、と一言残し、銀先生はカーテンの向こうに消えた。カーテンごしに聞こえる、戸棚を触る音。かちゃかちゃと鳴る音をぼんやりと聞いていた。


やがて、音が止んだと同時に再び現れた先生は、手に水の入ったグラスと錠剤を持っていた。
ぼんやりそれを見る。
先生は、虚ろな目のあたしをじっと見た。


突然だった。先生の表情があまりにもいつも通りすぎて、それが若干の真剣みを醸し出していることに気がつかなかった。

銀先生があたしが飲むはずの薬と、グラスの水を自らの口に入れ、あたしの上に覆いかぶさったのだ。ギシッと鳴った保健室のベッド。一瞬の行動、先生の重みと体温にぎょっとしたのもつかの間、

押し付けられた唇。

「ん…っ」

思わずくぐもった声が小さく漏れ、同時に流れ込んできたのは体温でぬるくなった水と錠剤。
ほんのり感じた苦味。反射で飲み込んだすぐ後に、柔らかな体温は唇から離れた。

「…げ、苦っ」

思いっき顔をしかめて、そう抜かした先生に、あたしの顔は真っ赤に染め上がっていく。
びっくりしすぎて声が出ない。

「あ゙ーあ゙ー俺甘党なのに。苦いの駄目なんだっつの。何、増血剤ってこんな苦いの?」

げーっと舌を出す先生に、あたしは何も言えない。

頬が熱い。

がああっと体が燃えるようにほてった。


「…せ、せんせい…」

「あ?」

やっと開いた口。先生のえんじ色の目を見るのが恥ずかしい。

「…そこ、どいてください…」

「…ああ」

今だにのしかかったままのたくましい白衣姿に、目を逸らしながら情けないほど小さい声で呟く。この体勢は、いろいろやばい。

開いたワイシャツから見える鎖骨。色っぽくて、恥ずかしくて、逃げたい。先生はよっこいせ、と言いながらギシッと音を立てるベッドから降りた。

白衣姿がなぜか目に残る。国語教師のくせに白衣とか反則だ。


「俺がこんな苦しい思いして薬飲ましてやったんだ、さっさと治せよ」


何もなかったような表情で言う銀先生が、なんだか恨めしかった。


「もうちょいしたら薬効いてくんだろ。…30分経ったら迎えに来る。それまで横になっとけ」

「あっ…」


言いかけた声は届かず、ひらりと白衣を翻し、先生はカーテンの向こうに消えた。

ピシャッと扉の閉まる音と、唇の感触だけが夕暮れの保健室に残った。

…恥ずかしくて、嬉しくて、せつなくて。

あたしはほてったままの顔を白い布団にうずめた。



−−−−−−−−−−−−−−−−−−−姫抱っこ、口うつし、保健室。あらゆる欲望がつまってます。

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