温もりは傍らに 『さぁ!今年も残りわずかとなりました!後30分程で今年が終わろうとしています!』 近くにテレビのレポーターでもいるのか、興奮したかのような声と、百八の煩悩を除く為に突き鳴らされた鐘の音が聞こえてきた。 「おい、騰蛇よ。何だって私までこんな所に来なければならないんだ?」 「たまには良いだろ?それに、俺だけでこいつらの面倒は見切れんぞ…」 「何だよ紅蓮、その言い方は。俺達おとなしいじゃんか。ねぇ」 先程からさして進まぬ行列の中で、そんな会話を繰り広げているのは、勾陣、紅蓮、昌浩、それを見ている彰子。 何故彼らがこんな所に居るのかというと、夜遅くに子供達だけで初詣でには行かせられんと、爺馬鹿である晴明が暇そうにしていた紅蓮に保護者役を命じたのであった。 そこまで子供ではないだろうと思いながらもそれに従った紅蓮は、どうせならばと勾陣を誘い、現在に至るのである。 「ほぅ…?ならば、さっき出店へ行こうと騒いでいたのはどこの誰だったかな?」 「う"……で、でも、ただ待ってるだけなんて寒いしつまらないよ」 「そうね…こんなにいっぱいお店があるのに、見れないなんて…」 少し残念そうに、彰子が参道の端々にある出店を見ながら呟いた。 そんな彰子を見た勾陣は、面白そうな光を宿した瞳で紅蓮を見やり、どうするんだ?と、無言の問い掛けを送った。 勾陣の面白がるような眼差しと、昌浩と彰子のだめ?と懇願するような眼差しに、半ば自棄になりながら「あぁ、もう…」と疲れたように零した。 「少しだけだからな。絶対に二人で行動するんだぞ。それから、あまり俺達から離れた場所には行かない事。良いな?」 「やった!ありがとう、紅蓮。行こう、彰子」 「えぇ」 嬉しそうに笑顔を浮かべた二人は、手を繋ぎ、人込みを上手く避けながら出店の方へと走って行った。 「大変だな、お父さん」 「誰がお父さんだ、誰が」 「お前に決まってるだろう」 くつくつと笑いながらそう言う彼女に、お前なぁと溜め息混じりに呟けば、どうした?といつもの笑みが返ってくる。 「……俺が『お父さん』なら、勾は『お母さん』だな」 「昌浩達の母親なら、いつでも歓迎だよ。……まぁ、柄じゃないがな」 そう言う彼女の横顔が柔らかな笑みを浮かべており、つられたように紅蓮も穏やかな微笑を浮かべる。 「そういうのも、たまには良いだろう。きっと、毎日退屈している暇なんてないぞ?」 「そうだな。それもまた面白いだろうな」 あの真っ直ぐな眼差しを、曇りのない笑顔を向けてくれるだけで、日常に色を付けてくれるのだろう。 隣りでこの素直じゃない彼女も笑ってくれているのなら、きっと毎日が特別な一日へと姿を変えるに違いない。 今のままでも、十分特別なのだけれど。 - - - - - - - - - - - 相変わらず進まない列に辟易た紅蓮は、ゆっくりと辺りを見回すが、同じように初詣でに来た多くの人達の顔や頭しか見えない。 いつになったら自分達の番になるのやらと、小さく溜め息を零す。 ふと隣りを見れば、手袋をし忘れたのか剥き出しの手は冷たい空気のせいで真っ赤になり、口許に寄せて、吐く息で温めようとしている。 何故もっと早くに言わないんだと軽く眉を潜め、身に着けていた黒の手袋を左手だけ外し、勾陣の方へと投げ渡す。 片方だけ渡された手袋に、何のつもりだと不審気に黒曜の瞳が見上げてきた。 「ないよりはマシだろ」 「片方だけあっても、あまり意味はないと思うんだが?」 そう言いながら、やはり人型のままこの寒空の下にいるのは堪えるのか、勾陣は自らの左手にまだ温もりの残っている手袋をはめている。 「良いんだよ、これで」 言い切るのが先か、行動に移すのが先か。 勾陣の右手を掴み、己のジャケットのポケットへと誘い入れる。 握った手は想像以上に冷えていて、少しでも温まるようにと握る手に力を込めた。 「お、おい、騰蛇っ!」 「んー…なんだ?」 突然の事に慌てた彼女に名を呼ばれたが、口許ににやりと笑みを浮かべて返せば、微かに頬を朱に染めた顔でこちらを睨んできた。 あーもう、何でこの女はこんなに可愛いんだ。 しかも、無自覚でこんな仕草をしてくるもんだから、こちらの理性やら何やらが崩れ去ってしまいそうになる。 そんな事になったら、彼女は怒ってしばらくは口もきいてくれなくなるだろうが。 「こうした方がすぐに温まるだろ?」 「……戯けが」 紅蓮から視線を外した勾陣が、握った手のひらをほんの少し握り返すように力を込めてきた。 紅蓮は一瞬僅かに目を見開き、次いで嬉しそうに笑みを深くして握り返した。 こんな些細な事ですら愛しさを感じてしまう。 依存してるなと思わないでもないが、嬉しいものは嬉しいのだ。 「…暖かいな」 繋がれた手だけではなく、心までもが。 「そうだな…」 この穏やかな時が、いつまでも続けば良いのにと願ってしまう程に。 - - - - - - - - - - - そろそろ日付が変わる頃、昌浩と彰子が仲良く手を繋いだままこちらへ向かって来るのが見えた。 それが合図かのように、ポケットの中で繋がれてた手は解かれ、温もりが離れた。 こちらの心情としては、まだ手を繋いだままでいたかったのだが仕方がない。 右手の手袋も外し勾陣に渡せば、良いのか?と問うような眼差しに、軽く頷きを返した。 渡された手袋をはめた勾陣は、「暖かいな」と呟き、微かに笑みを浮かべた。 「ぐれーん、ただいまー」 楽しそうに笑って昌浩達が戻ってきた。 おかえりと言いながら二人を見れば、手にはたこ焼きの入った袋を持っていた。 「後で皆で食べようと思って買ってきたんだ」 「そうか。楽しかったか?」 「えぇ。いろんなお店があって、サービスしてくれた所もあったの」 「あ、そうだ。はい、コレ」 そう言って差し出されたのは、缶コーヒー二本。 「待ってるだけだと寒いでしょ?」 「あぁ、ありがとう」 手渡されたコーヒーは温かく、そんな気遣いをしてくれた二人に笑みが零れた。 プルタブを開けて一口飲めば、冷えきった体が温まるようだった。 その時。 ドンッという音がしたかと思えば、夜空には光り輝く大輪の華が咲いた。 次々と上がる花火をしばし眺め、腕時計を確認すれば時刻は十二時を回っていた。 「綺麗…」 「うん、ほんとに綺麗だね…」 昌浩と彰子は顔を見合わせ笑みを浮かべると、再び花火の上がる空を眺めた。 隣りに立つ彼女も、先程から何も言わず夜空に咲く華を眺めている。 光に照らされた横顔が、光を弾く黒髪が、光を宿した瞳が綺麗で、思わず抱き締めたい衝動が沸き起こったが、実行に移したら殴られ触れる事さえ、いや、近寄る事さえ許されないに決まってる。 だが、今から代わりにやろうとしている事も、そうなる確率が高い事も分かっている。 でも、新年の始まりなのだ。 少しでも彼女の優位に立ちたいと思っても良いではないかと心中で零し、悪ガキが悪戯を思い付いた時に浮かべるような笑みを浮かべる。 「なぁ、勾」 「何―――っ!?」 何だ?と最後まで言葉にはさせなかった。 勾陣がこちらを向くのに合わせて、彼女の細腕を引き寄せたのだ。 紅蓮の不意の行動に体が追い付かなかった勾陣は、引かれるままに紅蓮の逞しい胸の中に納まってしまう。 「と、騰蛇っ!」 昌浩達に気付かれたくないのだろう、小さく、けれどやはり焦ったような声音で名を呼ばれる。 そんな事さえ愛しく思え、笑みを深くして耳元で小さく、掠れ気味に囁いた。 「紅蓮と呼ぶ事を許しただろう。……慧斗」 「―――っ!」 勾陣の二つ名を呼んでやれば、腕の中で細い肢体がビクリと震えたのが分かった。 追い討ちを掛けるように、もう一度二つ名を呼んでやれば、のろのろとした緩慢な動きで見上げてくる。 白磁の肌を朱に染め、薄い唇が消えてしまいそうな程小さな音を紡いだ。 「…ぐ……れ、ん」 「よく出来ました」 めったに呼んでくれない二つ名を呼ばれ(たとえ、呼ぶ事を強要したとしてもだ)、嬉しさが込み上げてくるのを抑えられない。 それを表わすように笑みを浮かべ、黒曜の瞳を覗き込むように顔を寄せ、触れるだけの軽い口付けを交わす。 ゆっくりと微笑を湛えながら見つめれば、耳まで真っ赤に染めて逞しい胸板に額を当ててくる。 「来年は、二人で来ような」 「あぁ…」 交わされた約束に、どちらからともなく笑みが零れた。 新年最初の約束は、来年果たされる一年越しの約束。 必ず果たせると信じられるだけの想いが、今もこの先の未来でも、潰える事なく在り続けると確信にも似たものが確かにあるから。 「勾、今年もよろしくな」 「…仕方がない、今年もよろしくしてやるよ」 そう言う勾陣の声音には面白がる響きが含まれており、見上げてくるその顔は常のものへと戻っている。 早々に主導権を奪われた事を嫌でも悟った紅蓮は、「あー…」と言葉にもならない音を発しながら苦笑を浮かべた。 やはり、どんな時でも彼女には敵わない。 それが少々悔しいと思うが、これが自分達の在り方なのだと思えば、心地好ささえ感じてしまうのだから、相当重症だなと痛感する。 そろそろ放せとの無言の訴えに、渋々ながらも腕を緩めれば、勾陣はスルリと腕の中から抜け出し、左隣りへと移動した。 そこが自分の居るべき場所だと言うかのように、それは自然な動きだった。 花火が終わりに近付いた頃、列は進み、ようやく順番が回ってきた。 神の末端に位置する己が神に願っても良いのだろうかと疑問に感じたが、まぁ良いかと一言で片付ける。 今更そんな事を考えても仕方がないし、願ってみれば、もしかしたら神の気紛れで叶えてくれるかもしれない。 本当に細やかなこの願いを。 だから、願おう。 主や、その孫の平穏な日々を。 そして、隣りに立つ黒曜が、いつまでも隣りで共に笑ってくれるように、と。 |