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認めたくないだけで
 
 
 主が晴明様から昌浩に替わって二年が過ぎた。
 その間に変わった事と、変わらなかった事が沢山あった。
 それは私にとって、喜ばしい事ばかりではなかったのだけれど。
 
 
 
 最近、今まで親友が私に向けた事のない表情を浮かべている事が増えてきたように思う。
 私と話している時と、あの人と話している時の表情も声音も、微かにだけど違うと感じる。
 今浮かべているのは、いつも彼女が浮かべている薄い微笑。
 でも、あの人には――…
 
「どうしたんだ?天后」
「…え?」
「いや、急に黙り込んだから。何かあったのか?」
 
 訝しげに、でも心配そうに訊いてくるその声音に、慌てたように首を振る。
 
「何でもないわ。ちょっと考え事してただけだから」
「そうか?ならば良いが…そうだ、そういえば前に…」
 
 その言葉を信じてくれたのか、何事もなかったように続けられる会話。
 彼女の観察眼は飛び抜けて鋭く、ちょっとした変化でさえも気が付いてしまう。
 彼女に心配を掛けてしまうのは本位ではないから、気を付けなければと気を引き締め直す。
 
「――…その時の青龍ときたら、見物だったぞ」
「昌浩も、主になってから頑張ってるみたいだし、良い傾向なんじゃない?」
 
 くすくすと笑いながら告げれば、そうだなと肯定の頷きが返ってきた。
 
「騰蛇に対する態度も軟化されてきているしな。昌浩も喜んでいたよ」
 
 そう言う勾陣の表情は優しくて、それが何だか少し悔しいと思うのは我が儘なのかもしれない。
 そんな表情を引き出す事の出来なかった自分へと、あっさりと引き出す事が出来てしまった騰蛇に対しての。
 
「あぁ、ほらまた…一体何を考え込んでいるんだ?悩み事なら相談に乗るぞ?」
「ううん、別にそれ程の事じゃないの。でも、ねぇ…」
「なんだ?」
「悔しいなぁって、そう思うのよ。変化を引き出す事が出来なかった私自身に対して」
「変化?青龍のか?」
 
 苦笑気味に言えば、不思議そうに首を傾げながら促される。
 自分の言う変化は彼の事ではなくて、目の前の彼女自身の事だと気が付かないのは、何というか彼女らしい。
 まぁ、彼を変える事が出来なかったのも、悔しいと思える一因なのだけど。
 
「彼の事もだけど、私が言ってるのは貴女の事よ」
「私?私は何も変わっていないと思うが…」
 
 本当にそう思っているのだろう、勘違いじゃないのかと、困惑げな黒曜の双眸が訴えている。
 
「いいえ、変わったわよ。だって、浮かべる表情が柔らかくなってるもの」
「そうか?いつもと同じじゃないか?」
「確かに違うのよ」
 
 笑みを浮かべてそう返せば、納得いかないと示すかのように、空を仰いでは嘆息する勾陣。
 同じように空を見上げれば、二羽の鳥が高く空を飛んでいる。
 悩みなんてないかのように、上手く風を捕まえては右へ左へふらふらと。
 そんな風に自由に大空を飛ぶ鳥が羨ましくて、けれど、休める場所がなければ、鳥は地上で暮らすもの達に憧れるのだろうかと、ふと頭に思い浮かんだ。
 隣りにいる彼女に聞いてみようかと考え、口を開こうとした時。
 こちらに向かってくる同胞の神気を感じた。
 それは、私に悔しいと思わせる人の神気で、ちらりと隣りを窺い見ると彼女も当然気付いているのだろう、うっすらと微笑を浮かべていた。
 
 あぁ、勾陣は本当に――…
 
 その事が、やっぱり少し悔しくて。
 隣りの彼女に気付かれないように、小さな、本当に小さな溜め息を一つ零した。
 
「…何の用かしら、騰蛇?」
 
 向かって来る神気へと振り返りながら問えば、ひくりと引きつった笑みを浮かべた彼の姿。
 その姿にどうしたのだろうかと小首を傾げれば、隣りから勾陣の苦笑が聞こえてくる。
 
「天后、あまりそう怖い顔をしてやるな。そいつがお前に対して何かしたと言うなら話は別だが」
 
 どうやら、無意識の内に険のある表情を浮かべてしまっていたらしい。
 
「あら、ごめんなさい」
「それで、何か用か?騰蛇よ」
 
 言葉だけの謝罪を送り、こっそりと隣りへと視線を向ければ、やはりそこに浮かべられたのは、面白そうに、でも、優しくて温かな微笑を浮かべた勾陣の横顔。
 
「あぁ、勾にな。お前を呼んで来いと、昌浩に頼まれたんだ」
「私を呼ぶ為に、わざわざお前を使うとは」
 
 そう言う勾陣は呆れを多少含ませた声音で告げ、それに対して騰蛇は肩を竦めるだけ。
 
「勾陣を呼ぶなんて、何かあったの?」
「俺と勾に何か仕事をさせるつもりらしい。いつもの如く、妖退治か何かだろうがな」
「最近、不穏な動きを見せている妖はいなかったと思うが?」
「俺もそう思うんだがな……まぁ、何か考えがあるんだろ」
 
 腕を組み、柱に凭れるように背を預け、騰蛇は苦笑を微かに含ませた笑みを浮かべている。
 その眼差しは陽の光のように温かく、勾陣へと注がれている。
 
「それにしても、お前が昌浩から離れるとは思わなかったぞ」
 
 くつくつと笑いながらそう言われた騰蛇は、心外そうに眉を顰めた。
 
「どういう意味だ、それは」
「言葉通りだろう。昌浩馬鹿なお前が、たとえ任務の為とはいえ離れるとはな」
「何だそれは。……今はもう俺が昌浩の傍にいなくても、他の奴等が居る」
 
 その言葉は、昌浩を新たな主と定めた私達に、昌浩を真実任せられる。
 そう言われたような気がした。
 
「ほぉ?ようやく昌浩離れする気になったのか」
「何故そうなる」
 
 苦虫を十匹程噛み締めたような表情を見せる騰蛇に気を良くしたのか、勾陣は面白そうに、けれど、挑発的な笑みを浮かべる。
 
「自覚してなかったようだが、お前結構昌浩に甘かったからな。いつまでもそれが続くなら、私はお前を諌めようと思っていたが…」
 
 そうする必要はなくなったようだと、声なき声が聞こえた気がした。
 けれど、と天后は思う。
 騰蛇が甘いのは、今はもう子供とは呼べない青年へと成長した昌浩ともう一人。
 私の隣りで笑う彼女に対しても。
 いつも、どんな時でも彼の傍らにいた勾陣には、私達に見せる表情とは違う、信頼とも親愛とも呼べる表情を浮かべ、己が背を預けて幾つもの戦いの場に身を置いてきた。
 そして、勾陣が傷付いた時、彼は真っ先に彼女の身を案じていた。
 それを勾陣は鬱陶しそうにしていたけれど、表には出さなくても本当は嬉しく思っていた事を知ってる。
 そう、自分は彼らが互いを想いあっているのを知っている。
 ただそれを認めたくないだけで。
 
「……う……天…おい、天后!」
「え、あ…勾、陣…?」
「一体どうしたと言うんだ?さっきから心ここにあらずと言った感じだが…」
「何か心配事でもあるのか?」
「ごめんなさい、本当に何でもないのよ」
 
 二人の心配そうな眼差しがこちらに向けられていて、少々居心地の悪さを感じる。
 二人の事を考えていたなどと、素直に告げる事なんて出来る筈もなく、ぎこちない笑みを浮かべるしかなかった。
 その笑みに、言葉に、言いたかったであろう言葉を飲み込んだ二人が、渋々ながら頷いてくれた。
 その優しさが嬉しくて、その気遣いに少し胸が痛んだ。
 
「……ねぇ、」
「何だ?」
「自由に空を羽ばたける鳥は、羽を休める場所がなければ、地上で暮らすもの達に憧れるのかしら…この身を捨てて別の存在にって」
 
 彼らから視線を外して空を見上げれば、大空を舞うように飛ぶ鳥の姿。
 零れた問いは、先程感じた疑問。
 
「…空には空の、地上には地上の生き辛さがある。だから、憧れはしても、別の存在になりたいとは思わないんじゃないか?」
「結局、そいつがどう思って生きるかだろ。手の届かぬ事に憧れて嘆くか、今いるこの場所で精一杯悔いを残さないように踏ん張るか。それだけだろ」
 
 くだらないと、一蹴されてもおかしくない問いに、勾陣と騰蛇は真剣に答えてくれた。
 
「そっか…結局は本人次第なのね……答えてくれてありがとう」
 
 ふわりと柔らかい笑みを浮かべて二人を見れば、綺麗な微笑を浮かべた勾陣と、気恥ずかしさからか、あらぬ方向を向いている騰蛇の姿。
 
「私は…後悔しない生き方をしたいわ」
「あぁ、そうだな」
「…それじゃあ、俺は昌浩の元に戻る。晴れているとはいえ、風が冷たいからな。お前達も程々にしておけよ?」
 
 一歩踏み出しながら言葉を紡いだ騰蛇は、最後に勾陣へと視線を向けて、振り返る事なく確かな足取りで昌浩の部屋へと歩き去った。
 その瞳に浮かんだ愛しげな光を、天后は確かに認めていた。
 
 彼が去った後、穏やかな沈黙がその場を満たしていた。
 吐き出された息は白く、今更ながらに風の冷たさを感じる。
 一際強い一陣の風が髪を、衣を靡かせ、自身の乱れた銀糸の髪が視界に入る。
 それを直すように勾陣の指が髪を掬い、軽く梳かれれば、癖のない銀髪は乱れる前の状態に戻り、髪から離れた指は軽く天后の手のひらに触れる。
 
「あぁ、こんなに冷えて…そろそろ中へ入るか?」
「そうね。貴女も昌浩に呼ばれている事だし、私は異界に戻るわ」
「そうか。任務から帰ったら、また話をしないか?」
「ええ、喜んで」
 
 立ち上がれば、勾陣はまたなと軽く手を上げながら、ゆっくりとした歩みで昌浩の部屋へと向かう。
 それを見送りながら、彼女の背を見つめる。
 
「……待っててね」
 
 小さな呟きは彼女には届かなかないけど、それでも良かった。
 いつか、あの二人の仲を認められる日が来ると言うのなら、その時は、心からの喜びの言葉を贈るから。
 今はまだ、心からおめでとうとは言えないけれど、心の整理を付け終わるまで待ってて欲しいの。
 だから―――
 
 
 
 もう少しだけ、時間をちょうだい?
 もう少しだけ、貴女に贈る言葉を待ってて…
 
 




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