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散歩の途中
 
 
 ある平日の昼下がり、昼食の後片付けなどを終えた安倍家の主夫、十二神将騰蛇は、リビングのソファーでのんびりとコーヒーを飲んでいた。
 昌浩と彰子は学校、他の神将達も異界にいたり人界にいたりと思い思いに過ごしている為、朝や夜に比べて静かな時間を過ごせるのが平日の昼間だけだった。
 静かに時間を過ごせるのはいいのだが、何もせずに時間をただ潰すというのは存外辛いものがある。
 最終手段として、時間潰しに寝てしまうというのも一つの手だが、そんな姿を昌浩や勾陣に見られでもしたら、からかわれてしまうだろう事が想像に難くないので、出来れば手を出したくない案だった。
 
 ぼんやりと見るともなしに外の景色を眺めていると、快晴とまではいかないが、それなりに晴れているようだ。
 特に用事もないのだから、コーヒーを飲み終わったら散歩に行くのも悪くないか。
 その時に晩の献立を考えて、途中買い出しでもすればいいだろうと、頭の中で少しずつ予定を組み立てていく。
 その間にもマグカップの中身は量を減らしていく。
 残りわずかとなったコーヒーを飲み干し、立ち上がっては一つ大きく伸びをし、マグカップを持って台所へと行き、簡単に洗ってしまう。
 その足で部屋へと行き、携帯と財布をズボンのポケットへと捩じ込み、玄関へと向かう途中、勾陣が部屋から出てきた。
 
「どこかへ出掛けるのか、騰蛇」
「ん?ああ、散歩がてら買い出しにな。何かあるならついでに買ってくるが」
 
 どうする?と視線で問えば、わずかに考える素振りを見せ、首を横に振る。
 
「いや、私も行こう。何かあれば、その時はお前に買ってもらうさ」
 
 薄い唇に艶やかな笑みを浮かべてそう言い放つ彼女に、苦笑を浮かべながら頷いた。
 そんな様まで楽しんでいるのか、くつくつと楽しげに笑う彼女が視界に入った。
 毎度毎度口で勝てたためしがないが、彼女のこんな表情を間近で見れるのは自分だけだと知っている。
 それが嬉しいのだと伝える事はしないが、いつまでもこの関係が続けばいいと思っている。
 言ってしまえば、新たにからかいの材料を渡してしまうだけだから、絶対に言ってなどやらない。
 
 
- - - - - - - - - -

 
 騰蛇と共に川沿いの道を歩いていると、小さい子供が川ではしゃぎ、母親と思われる女性が微笑みながらそれを眺めている。
 という、何とも微笑ましい光景がそこかしこで見受けられた。
 そしてそれは、昌浩がまだ幼かった頃にも、よく見受けられた光景でもあった。
 昌浩に外へ行きたいとせがまれた騰蛇が、困惑した表情を浮かべながら晴明の元へ行き、許可をもらった二人が出掛けて行く後ろ姿を、よく邸の屋根の上から眺めたものだった。
 つい昨日の事のようにも思える過去に思いをはせていると、思わず微笑が浮かんでいた。
 
「勾のそんな顔、久し振りに見たな。何かあったか?」
 
 優しげな琥珀色の瞳で、覗き込むように見てくるこの男にそう言われるまで、自分が笑みを浮かべていた事に気が付かなかった。
 一瞬きょとんとした表情を浮かべるも、すぐにいつもの笑みを浮かべた。
 
「いや何、お前が幼い昌浩と外へ行っていた時の姿を思い出してただけだ。あの光景はいつ見ても面白かったからな」
 
 あの頃の彼は、やんちゃな昌浩に振り回されて困惑しながらも、昌浩の傍にいられるのが嬉しくて、随分と優しい笑みを、雰囲気をまとっていたのだ。
 普段の彼からは想像もつかないような表情をいくつも見せていた。
 その変わりようがおかしくて、そしてとても嬉しくて。
 だから私は、屋根の上からいつも見ていたのだ。 
 
「あー、あの頃なぁ…。というか、勾。見てたんなら助けろ」
「私は他の事で忙しかったからな。それに、昔の事を今さらぐだぐだと抜かしても意味がないと思うんだが?」
 
 さらりとすぐに嘘と分かる言葉を吐き、挑戦的な笑みを向けてやれば、いつものようにがっくりと肩を落とす姿が隣りにあった。
 ふと面白い事を思い付き、口端をつり上げて、騰蛇の肩を軽く叩く。
 
「ん?どうし……」
 
 情けない顔をしたまま、騰蛇が顔を上げる。
 それと同時に、勾陣は軽く背伸びをして相手の腕を引き、騰蛇の唇に己のそれを軽く押し付け、余韻も残さぬうちにすぐに離れる。
 動きを止めている男の顔を見ると、琥珀色の瞳を見開き、呆然とした表情。
 さらには、褐色の肌のせいでいささか分かりづらいが、確かに朱に染まっているのが見て取れた。
 それを満足げな笑みを浮かべて見やり、止まっていた足を動かして先へと歩き出す。
 当然、固まったままの騰蛇を置いて。 しばらくすれば、慌てたように後から走ってくる音が聞こえてくる。
 
「っ…おい、勾!」
 
 声音に焦りの色を宿しながら、己の名を呼ぶ声に立ち止まり振り返ると、視界が遮られ、身動きが出来ない。
 駆け寄ってきた騰蛇に抱き締められているのだと気付けば、抜け出そうと身をよじる。
 だが、逞しい騰蛇の腕が、逃げる事は許さないというかのように解く事が出来ない。
 
「おい、放せ」
「嫌だ。……いきなりなんて、心臓に悪いだろうが」
 
 あれは反則だと耳元でささやかれ、勾陣はくつくつと笑った。
 
「隙を見せるお前が悪いんだろ?」
 
 言いながら顔を上げれば、真っ直ぐに見つめてくる瞳とかち合う。
 その距離が思っていたよりも近くて、そしてなおも近くなる距離に、思わず目を見開く。
 再び、勾陣と騰蛇の唇が重なり合う。
 最初は啄むように優しく、段々と激しさを伴い息が苦しくなり酸素を求めるように口を微かに開けば、温かい舌が口内へと侵入し、逃げる舌を絡めとられさらに深いものへとなっていく。
 
「…っ…ふぁ…ん……」
 
 抱き締められた体に抵抗するだけの力もなく、ただ縋るように騰蛇の胸に手を当てる。
 いい加減苦しくなってきた勾陣は、弱々しく騰蛇の胸を叩く。
 それでようやく唇が離れ、勾陣は乱れた呼吸をしながら睨むように騰蛇を見る。
 その顔は羞恥に頬を染め、うっすらと涙が浮かんでいた。
 
「この戯けっ!こんな所で…」
「隙を見せる方が悪いんだろ?」
 
 自身が騰蛇に向けて言った言葉を返されて、勾陣は言葉に詰まる。
 まさか、こんな事になるなんて誰も思わないではないか。
 溜め息を零す勾陣に、にこやかな笑みを浮かべ、騰蛇が手を差し出した。
 
「ほら、行くぞ、勾。散歩の続きだ」
 
 差し出された手を見つめて、もう一つ苦笑混じりの溜め息を吐き、その手を取った。
 
 
 いつもいつも勝っているのに、時々この男に勝てない時がある。
 それが悔しいと思う時もあるが、たまにはいいかもしれないと思えてしまうのは、惚れた弱みなのかもしれない。
 それでもこの男の隣りは居心地がいいから、離れたいと思う事はない。
 この命続く時まで、私は隣りで彼を、優しい色を宿すこの男の事を愛しいと思い続けるのだろう。
 
 





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