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妖取締班
滑空するもの


 穏やかな昼下がり

 いつもと変わらない日常

 人々は思い思いの時間を過ごしていた

 その遥か頭上で、黒い影が悠然と空を舞っている

 非日常的なその存在は誰の目にも止まらなかったが














『滑空するもの』



 その日、一匹の異形のものが穏やかな日常に現れた。

 それはムササビのような飛膜を自在に操る、蜥蜴のような蛇のような巨大な化け物。
 センター街に聳える幾つものビルの中から一番高いビルを選ぶとゆっくり舞い降り、雄叫びを一つ上げた。


 けたたましい叫び声が白昼のセンター街に響き渡る。

 あちらこちらでガラスが砕ける音が聞こえると、それとほぼ同時に悲鳴が幾つも聞こえた。
 その悲鳴に呼応する様に化け物は再び鋭い雄叫びを上げると、ビルから人々が行き交う広い通りへ飛び込んでゆく。

 センター街の広い通りを逃げ惑う人の波が、四方八方に広がり流れている。どうやら先程の雄叫びを聞き危険を感じた人々が逃げ出してきたらしい。

 化け物はそのすぐ上を滑るように飛ぶと長い頸を伸ばし、逃げる人間に容赦無く食らい付いた。
 食らい付かれた人間の絶叫、それを間近で見てしまった人間の悲鳴がその場を更にパニックに落とし入れる。
 食い千切られた人間の残骸や血が辺りに飛び散り、それに足を取られて転び、後から来た人間達に踏み潰される者も少なくはなかった。

 化け物は逃げ惑う人間達を嘲笑うかの様に、その頭上を掠め飛んでいくと空高く舞い上がった。




『外は危険です!近くの建物に避難して下さい!!』



 化け物の出現に警察が駆け付けるも成す術はなく、逃げ惑う人々を兎に角安全な場所へ誘導させるしかなかった。
 が、その誘導も恐怖から逃げ惑う人々に更なる混乱しかもたらさず、周りに建っている建物の入り口は大勢の人々が集まり、我先に中へ入ろうと詰め掛けた。

 怒声と悲鳴が響く。

 そうしている間にも化け物はパニックに陥る人々の頭上をビルの谷間を縫うように飛び回り、いつまた襲い掛かるか分からない状態であった。




『…こちら真室班。現在こちらからは目標の確認出来ず。現在の地上の状況は?』



『目標はこちらからは確認出来ず』



『こちら五島班。地上から目標確認。現在Bブロックから東に向かって飛行中…』





‥‥‥‥‥‥‥


 無線越しの声が響く。


 その無線から逐一流れてくる情報に少女は耳を傾けていた。黒く長い髪と黒いコートを風に靡かせ、ビルの屋上から地上を見下ろす。


『…九重班聞こえるか?』

 無線から聞こえてくる声に少女は応えた。

『現在、目標はお前達の方へ向かっている。其処までの到達時間は凡そ五分後。我々が到着するまで目標がこれ以上移動しないよう、足止めを頼む。なお、目標の生死は問わない』

「了解」

 少女は襟元に付いているマイクに向かってそう云うと、自分の背後に居る少年に目をやった。

「聞いていたか?」

 白く長い髪に白いコート姿。少女とは相反するカラーの少年は少女に良く似た顔で彼女を見ていた。

「勿論…左京、君からの指示は?」

 彼は穏やかな笑みを浮かべると左京と呼んだ少女の元へ歩み寄った。

「地上に居る歩行者の避難誘導と、非常時に私の援護を頼む」

 少年が頷く。

「…分かった、それじゃあ僕は先に行くよ。君は…あまり無理をしないでね」

 そう云ってすぐに少年は身体の向きを変えると、屋上の端に設置されてるエレベーターに消えていった。




『…九重班。目標到達まであと二分だ』


 無線からの声に左京は再び地上へ視線を落とす。
 此処はまだ化け物の襲撃を受けていないからか、地上の様子は比較的穏やかだ。人の姿も疎らである。と、その人間達がザワザワと建物の中に移動しているのが見えた。地上に降りた少年が誘導しているのだろう。準備が整ってきたわけだ。




『あと一分』




 冷たい風を身体に浴びながら左京はビルの縁に立った。足の竦むような高さだ。少しでも風に身体を取られれば硬いアスファルトに叩き付けられ、間違いなく命は無いだろう。
 だが、彼女はその恐怖を微塵も感じていないのか身体を前に乗り出すと西側のビルの谷間に目をやった。

 人気の無い通りを巨大な化け物が、こちらへ向かって滑るように飛行しているのを左京の鳶色の瞳が捉える。

 …あれが目標だな

 そう呟くとベルトに取り付けてある装置から特殊な留め具の付いたワイヤーを引き出し、近くの柵に取り付けた。どうやら命綱のようだ。



『十秒前』



 無線からカウントダウンが流れる。それと同時に左京はビルから飛び降りた。
 細い、糸の様なワイヤーが緩いアーチを描いて身体から伸びる。
 重力に抗わず地上に呼び寄せられるまま落下する中、彼女は腰に着けている鞘から一振りの剣を抜いた。
 コンバットナイフを大きくしたようなそれは空気を裂き、裂かれた空気がヒョウヒョウと鳴き声を上げる。


 化け物の姿がほんの目と鼻の先に迫っていた。すると左京は剣を構えると大きく振り上げ、







『3』







『2』







『1』







 視界に大きく広がる化け物の背を目掛け、突き立てた。






『0』



 カウントダウンの終了と共に剣が化け物の身体を貫く。それと同時にけたたましい悲鳴が左京の耳をつんざいた。そして、化け物の身体が空中で大きくぐらついたかと思うと、身を貫いた剣ごと左京を振り落とそうと激しく身を揺さ振る。
 どうやら急所を外してしまったらしい。
 その勢いは凄まじく、少しでも気を抜いてしまえば硬いアスファルトや周りに聳え立つビルの壁面に叩き付けられてしまうだろう。

 しかし、それに怯む事なく彼女は自らを保護するワイヤーを切断し、何とか体勢を立て直すと刃が根元まで刺さった剣の柄を渾身の力で捻った。

 ぐぶぐぶと肉が抉れる感触が剣を通して伝わる。不快な、気持ちの悪い感覚。
 化け物の悲鳴が再び耳をつんざき、それからすぐに滅茶苦茶な飛び方をし始めたかと思うと、身体をあちらこちらのビルへ叩き付け始めた。
 その勢いに身体を飛ばされないように掴んでいる柄から指がジリジリと滑っていくのと同時に、割れた硝子の破片や砕けたコンクリートが容赦無く彼女の身体に降り注ぐ。

 このままでは…

 左京は舌打ちをすると片手で柄を握り締め何とか身体を支え、コートの中へ手を突っ込っこみ銃を取り出した。それを化け物の頭に向け狙いを定める。
 だが、化け物が滅茶苦茶に動き回る為に上手く狙いが付けられない。
 振り回され自由の利かない身体を支える彼女の手は皮膚が裂け始めると共に感覚が鈍り、いつ振り落とされても可笑しくは無い状態だった。



「くっ…」

 万事休すか…
 表情の乏しい左京の顔に焦りの色が浮かぶ。



 と、


 ―――パァァァアン



 乾いた音が響き、ぐらりと視界が傾いたと同時に化け物の動きが鈍る。


「左京!」


 地上から少年が彼女の名を叫んだ。その手には一丁の銃が握られており、こちらを向いた銃口からうっすらと白煙が上がっていた。どうやら彼が銃弾を放ち、それが化け物に命中したらしい。

「早く!今の内に!」

 何処に当たったのかは確認出来なかったが、彼が放った銃弾は化け物に大きなダメージを与えたようだ。相変わらず滅茶苦茶に自らの巨体を振りながら飛び回るが、その動きは先程よりずっと遅くなっている。
 左京は身体を支え、血で滑る左手に渾身の力を込め体勢を立て直すと、再び化け物に狙いを定め引き金を弾いた。


 乾いた破裂音がビルの谷間に響く。

 二度、三度、繰り返し。


 音が止むと頭に無数の風穴が空いた化け物の姿があった。暴れながら空を飛び回っていた巨体は動くのを止めると、ゆっくりと地上へ引き摺り込まれていく。

 左京は化け物ごと地面に叩き付けられる前にタイミングを見計らうと、その身体から飛び降り、じわじわと下降していく姿を見送った。そして、それからほんの数秒後、身体を叩き付けられた化け物はアスファルトを砕きながらその上を滑っていき、やがて完全に止まった。


 あとに静寂が残る。





「確保!」


 暫し間を置いた後、誰かの声が静寂を破った。

 それとほぼ同時に武装した黒服の男達が左京の脇を掠め、アスファルトに身を沈めた化け物の元へ一斉に駆けていく。



「お疲れ様」

 男達の後に続き駆け寄ってきた少年は彼女の擦り傷だらけになった顔や、身体を支えて皮膚が裂けた手を心配そうに見、慣れた手付きでポケットから出したハンカチを傷口に巻いた。

「…女の子なのにごめんね。君にこんな事ばかりさせて」

 そう口から零れた少年の言葉に

「大丈夫」

 彼女はそう答えた。



「おーい、お前達」

 二人を呼ぶ声が耳に届く。
 声のする方を見ると片手を上げ振りながら、男がこちらに向かって歩いてきた。
 ボサボサの髪に無精髭。大柄でくたびれたコートを着ている姿は、ひと昔前の刑事ドラマに出てくる刑事のようだった。


「よくやったな!」

 男はニコニコ笑いながら二人の頭をわしゃわしゃと撫でた。
 少年は困った様な顔で笑みを浮かべると男を見、左京は男のゴツゴツとした手を払い除けるとキッと鋭い目で見上げ

「負傷者及び死者は?」

 と、冷たい口調で訊ねた。

 その態度に『可愛くない奴だ』と言葉が喉まで出掛かったが何とか飲み込む。

「…負傷者に関しては目標に襲われた者と逃げる際の混乱で負傷した者、合わせて20名余。死者は逃げる際の混乱では無し。目標に襲われて死亡した者は今のところ確認出来ているだけで約12名程だ」

 そう云い終えると男は二人の背後を真っ直ぐに見つめた。その先には砕けたアスファルトに身体の半分を埋め、微動だにしない化け物が横たわっている。

「…あとはアイツの腹を裂いてみなければ詳しくは分からんな」

 いつの間にか化け物の周りを武装した者以外に、白衣を着込んだ者が数人紛れていた。

 事が終わり化け物の姿を見ようと集まる野次馬の壁を割るように、大きな黒いトラックがこちらに向かってゆっくりと入ってくる。

「さっきまであんなに逃げ惑っていたのにな」

 野次馬に目をやり、男はボソリと呟くと再び二人を見た。

「さて、回収班も来た事だし後は俺達に任せてお前達は帰れ。其処の路地を抜けた場所に杉浦を待たせてあるから」

 ビルとビルの間に伸びる狭い道を男は指さした。
 日の当たらないその場所は薄暗く、向こう側にぽっかりと光の口が開いているのが見える。

「…じゃあ、お言葉に甘えて先に失礼します。お疲れ様です、五島さん」

 目の前に居る男、五島に頭を下げると少年は左京の手を引いた。
「あっ、そんなに急ぐな…」

 急に手を引かれ、左京が驚いた顔をする。

「早く家に帰って消毒しないと駄目でしょ」

 どうやら彼女の怪我が気になるらしい。少年は急かす様にそう云うと、半ば強引に左京を引き摺って五島が指をさした方に向かっていった。


「…アイツらは本当に仲が良いんだな」

 五島が笑顔で二人の後ろ姿を見送る。


‥‥‥‥‥‥‥

 路地を抜けて少し歩いた場所に時代遅れの白のセダンが停まっていた。
 中を覗くと、顔に大きな傷痕がある男が『戦慄!取材班は見た!〜樹海に潜む魔物〜』と胡散臭い見出しが大きく書かれた雑誌を食い入る様に読んでいる。
 あまりに真剣に読んでいるので悪い気もしたが、少年は車の窓をノックした。



 …コンコン



 その音に一瞬、ビクリと身体を震わせたかと思うと男の手から雑誌が滑り落ちた。ほんの数秒、目を丸くして手元を見ていた彼は呆れた顔で自分を覗き込む二人組の存在に気付くと苦笑いする。


「すみません。ちょっと夢中になってました…今ロックを外すんで待っていてください」

 窓を開けながら男はそう云うと、ドアに掛かっていたロックを解除した。 カチャッと軽い音がロックの解除を知らせる。
 少年は後部座席のドアを開けると左京を先に中に入れ、その後に続いて自分も車に乗り込んだ。

「二人ともお疲れ様です」

 男が運転席から後部座席の二人を振り向き覗く。大きな傷痕がある顔は一見険しくも見えるが、穏やかな柔らかい表情をしている。

「杉浦、相変わらず胡散臭い雑誌を読んでるんだな」

 左京が冷めた目で目の前の男を見た。

「ちょっとした勉強です。それに…その胡散臭い存在を相手にしている仕事を私含め君達もしているんですよ?」

 明るくそう返すと彼はエンジンをかけた。心地好い振動が身体に伝わる。

「…さて、このまま家に向かいますか?それとも何処かに寄りますか?」

 シートベルトを締めながら杉浦が云う。

「左京の傷の手当てをちゃんとしたいから、真っ直ぐ家に向かってください」

 その問いに少年が身を乗り出してそう答えた。

「分かりました。本当に右京君は左京ちゃん思いなんですね。左京ちゃんは優しいお兄さんが居て羨ましいな」

 からかった様なその云い方に少年、右京は頬をうっすらと赤らめて照れ笑いをした。本人にとっては嬉しい言葉だったらしい。左京はと云うと、相変わらず冷めた目で二人を交互に見ていた。



「それじゃあ、そろそろ出発します」

 車がゆっくりと走り出す。



 車中、余程疲れていたらしく二人は一言も喋らなかった。左京はもたれ掛かった車の窓から次々と流れていく白線を無表情で眺め続け、その隣では右京が寝息を立て始めている。

「…そう云えば最終的な妖の被害ってどうなりましたか?私は五島さんから車に待機するように云われていたんで、まだ報告を受けてないんですよ」

 不意に、車の走行音のみが響く車内に杉浦の声が加わった。

「無線を切ってたのか?」

 身体を起こし、気だるそうに左京が訊ねる。

「いえ…そう云う訳じゃないんですが、無線機は五島さんが車を降りた際に持っていってしまって…それと私の情報端末機も一緒に。だから君達がこっちに来て初めて、事件の解決が分かったくらいです」

 成る程な…左京が呆れたように小さく呟く。

「相変わらずだな…あのおっさんは。確か、負傷者は20名ほどで死者は確認出来ているだけで12名は居るらしい。その他の被害に関してはまだ私達にも報告はない。恐らく、現在確認出来ているものも含め明日のミーティングで詳しく報告がある筈だ。…と云うか、この後本部に戻るなら訊けば良いだけだろ」

 そう云って左京は再び窓にもたれ掛かると、窓の外で流れる景色に目をやった。その姿をバックミラー越しに眺めると、杉浦は『それもそうですね』と頷く。

 いつの間にか日が少し傾いたらしく空の色はオレンジ掛かったようなくすんだ色をしており、低くなった柔らかな光が車内を照らしていた。









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