菊花の宴 謎歌・世界にたった一つの・前 「おいこら魔王! 出てきやがれ!」 腰に随分と古い剣を差し側近の衣装をきっちりと着た少年がはっきりとした声でそう怒鳴った。 その背後では大量の資料を抱えた者が半泣きで立っている。 「毎度毎度苦労かけさせやがって・・いい加減キレっぞ、このサボリ魔が!!」 今にもその人物が出てきたらたたっ切る!とでも言いかねない少年の傍に駆け寄ってくる者がいた。 「いつもごくろーさんなこっちゃなぁ・・灯」 緑色の瞳に深藍の長髪を頭の高めの位置でくくっている。 身には緑色の着物に似た服を着けている。 犬歯がチャームポイントとか爽やかな笑顔が素敵! とか女の子が言ってたのを何度か耳にした事がある。 あの夜・・魔王と共に灯・・シンディアと一緒にいてくれた者だ。 ルームメイトになり、今では気を許せる存在にまでなった。 ちょっとした兄貴が出来たみたいで少し嬉しい。 「んな事言うんなら手伝えよな!!」 と桐島の襟首を掴む魔王側近の少年はまぎれもなくかつてのシンディア本人。 通常名を魔人名、性を人間名で呼ぶのが普通なのだが、灯は人間を嫌い、人間である事を止めるという道をとったため灯の他に性として【夏葵】という名を貰った。 今ではすっかり背も高くなり男らしくなった。 性格は幾分かひねくれてしまったようだが・・。 すらっとした体躯を胸から上のみが黒く、黒のベルトがついてある長い上着と黒のズボンに包んでいる。 そして寒さよけとしてでも、武器としてでも使うためにスカーフを首にかけている。 以前人間・シンディアとして暮らしていた少年は今、夏葵 灯として魔王側近の生活をたくましく暮らしている。 あの地獄とも言えるような日から二年後。 十七年目の雪の日に、彼は新たなる道を進む事になる。 「魔王! いい加減出て来いよ!!! 桐島まで来てんだからよっ!」 ぎゃんぎゃんと魔王城の床下で叫びまくる灯。 その姿を見ていた桐島が頭に手をポンっと置いた。 「桐島・・」 「我に任しとれ、灯」 にっと微笑むルームメイトに灯は有り難う! と頭を下げた。 すると背後に立っていた者達まで一斉に下げ始める。少しおかしい。 桐島はすぅっと息を吸い込むと声を張り上げた。 「魔王ー・・はよう出てこんと灯が此処出て隷絡街に行くっちゅーてんでー!」 「!?」 全てを任せたはずの桐島の口から出た言葉に灯は目をむいた。 「お・・おま・・・っ、隷絡街って・・っ!」 口をパクパクとさせる灯に桐島はどなったんじゃ? という目を向けた。 隷絡街とは魔人なら誰でも行くのをためらう場所だ。人間の国へ行くのと同じように。 一部の魔人を抜いて、だが。 魔王城と人間の国の間にある、魔人と人間の共同遊郭である。 「だだだ誰がそんなとこ・・・っ!?」 「ほう・・みずから隷絡街に行ってくれるとは・・随分と懸命になったものだなあ・・へっぽこ」 完全パニックに陥った灯に水を浴びせるような鋭い声が届いた。 「おー・・こないなトコで合うとは珍しいのっ、咲!」 けけっと実に楽しそうに笑うきり島を人睨みしてから前から来た青年・咲に視線を寄せる。 「勝手にコイツが行ってただけだ。誰が行くかよ」 「それは残念な事だなぁ・・行ってしまえば煩くもなくなるだろうに」 「何だとっ!?」 かっとしやすいタイプである灯と咲はかなり仲が悪い。 何よりも咲が灯に対して普通の2倍ほど子供っぽい態度を取るのが原因なのだが・・・。 それをいっつも横で見ている桐島は最初こそ止めていたが最近ではすっかり男同士のじゃれあい程度にしか思わなくなっている。 今ではこの二人の喧嘩を止めるのはこの魔王城内でたった一人だけになってしまった。 「だったらかかってこいよ・・何時もみてーにボロ勝ちしてやっからよぉ・・」 「いつお前のようなへっぽこに私が負けた。・・・ふっ、今日こそお前の泣き面を拝んでやるわ・・!」 かなり雲行きが悪くなってきた二人を見て桐島はため息をつきながら愛用の太刀に手を手をやった。 いざとなったら力づくで二人を止めるつもりらしい。 「来るなら来い。軽く相手をしてやる」 「ほざけっ! 剣の錆にしてくれる!!」 そんな事をぬかしている二人を力づくで止めようとする桐島の肩に手を置き止める者がいた。 そして少し低めのトーンの声をその場に響かせる。 「灯、それに咲止めなさい」 コツコツと靴音を立てながら歩いてくる青年。 肩より少し長い闇のような黒髪、血のように赤い真紅の瞳。 「ま・・・魔王・・!」 この魔王城の主である人物―魔王・月本人であり、灯が初めて此処に来た夜、ずっと傍にいてくれた青年である。 「いつも言ってるだろう? 感情に任せてしまってはいけないと。」 なだめるように二人に言うと二人は大人しくなった。 たとえサボり魔だとしても彼は魔王なのだから。 「・・・えっと、魔王」 「何?」 にっこりとした微笑を灯はしらっとした目で見返す。 「桐島と咲まで呼んだって事は何か大切な用があるんじゃねーのか?」 「まぁ、そうだね。じゃあとりあえず移動しようか」 と言ってさっさと歩いて行ってしまう。 「お、おい! どこ行くんだよ!」 と叫びながら灯がその後ろを追いかける。 桐島と咲も一度顔を見合わせ、ため息をついた後追いかける。 「魔王直属・・独立部隊の執務室に」 ありあまる愛の行方なんて知らない あふれてあふれてこらえられない愛はどこへ行くのだろう 行く先を失くした愛は何処を彷徨うのだろうか 行く先をなくした愛が涙を流して流して・・そして憎しみに変わるのだろうか [前へ][次へ] |