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「兵部の担当官吏は中務から行事の予定が決まらない、と突き上げをくらっているのでしょうね。でもなら、兵部ももう少し考えるべきです」

「何を?」


上午に煌が決裁した書簡の山を区分ける作業を行いながら、こちらを見ることなく稔は告げるが、その語尾は険しい。


「元々、貴方がしなくてもいい裁案までこちらに廻ってきている。相応しい能力のある者がいないのでしかたありませんが、貴方の負担を軽減させる為に兵部も式部も努力して空席になっている軍師の座を早く埋めるべきなのです」

「……うん」


稔の真剣な眼差しと、声に煌は頷くしかなかった。

確かに今、軍の機能のほとんどは自分に集中していて、潤滑な運営に支障が出るのもしばしばだ。


「でも…ここ数十年はずっと空席で、僕の前任だった祁纏将も一人で問題なくやられていたよ…」


煌は努めて感情を表にしないよう、言葉にした。

ただ、筆を握る手が震えるのだけは止められず、空いた左で押さえ込むしかなかった。


「祁纏将は…父は、如才なく取り仕切っていた訳ではないですよ?」


その、押さえた左の手を、自分より幾分大きくて筋張った、けれど武人としては綺麗な手が包みこんで、煌は顔をあげた。


「父はいつでも早く軍師を…と式部のみならず中務にも進言していました。屋敷で杯を交わしながら私を相手にぼやく事もよくありました。なにより…」


見上げた稔は、澄んだ水の色のような瞳に、労るような笑みを浮かべて続けた。


「このままでは煌さまに負担がかかる、と、守人である以上近く若くして纏将を継ぐであろう貴方に、負の遺産まで継がせてはならないと躍起になっていました」

「稔…」

「父は本当に深慮していました。今頃、妙高山の山裾でこちらを見下ろしながら地団駄を踏んでるかもしれません。さぞや無念でしょうね」


優しく、あくまでも穏やかに笑む稔に哀しみの気配は無い。
けれどその顔を見つめながら、煌は祁纏将の名を出した事を後悔した。


稔の父親である祁纏将が亡くなってからまだ一年と少し。
日常でそれを現にすることはなくとも、哀しみの傷はまだまだ癒えていないはずだ。

なにより。
祁纏将は思いがけずこの世を去った。
誰にも予想のつかない形で。

その傷はより深いはずだった。


「ごめんなさい…」


煌はくしゃりと顔を歪めて、思わずそう漏らした。
途端、稔の笑みがいっそう深くなり、ついで苦笑へと変わった。


*


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あきゅろす。
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