おはなし B それは、5年前の出来事ー…。 *** あの事件から半年が経った時だった。家に塞ぎ込んでいたら突然、親にこんなものを差し出された。 「綾部玲雄磨」 そう書かれた色紙だった。 親父が言った。 「玲磨、お前の新しい名前だ」 …は?名前? 「…まさか、こんなにあの事件が世間に広まるとは思っていなかった。半年経った今でも、まだ囁く人たちがいる。このまま世間に本名を晒す必要はない」 親父は続けた。 「来年は中学に行くんだ、この名前で行けばイジメの対象になる。それを知っててわざわざ本名を晒す馬鹿がどこにいる?」 「そうよ玲磨、お母さんたち心配なの」 お袋は俺に見せつける様に色紙をこっちに立てた。 「玲磨の間に男の子らしく雄って文字を入れて、玲雄磨。綾部は…あの女のことを生涯、忘れてはいけないから…」 最悪だ。あの野郎と同じ名字だって考えるだけで吐き気がする。気持ち悪ィ。 「明日にでも市役所に届け出を出すつもりだ。お前が構わないならな」 もうどうでもいいや。なんか色々ありすぎてわけ分かんねぇ。なんでもいい。とにかくあの事件のことは忘れたいんだよ。 …そして、綾部玲雄磨として中学に入学した。部活は男らしくいれるようにと、親父のススメで剣道部に入った。あの事件以来、親二人とも「男らしく」という言葉をよく使うようになっていた。 それに、部活をやればそれにハマってまた元気になれると思ったらしい。確かに剣道は楽しかった。楽しい仲間、優しい先輩、良い先生…恵まれた環境の中でも俺の心が満たされることはなかった。 そんな俺の心を満たす…っていうか、気を紛らわすことはこれしかなかった。 「キミ可愛いカオしてるねぇ〜。お兄さんたちと遊ぼうよぉ」 街中のあの場所に座っていれば勝手に男は寄ってくる。 そいつらはみんな、有名難関大の賢い大学生ばっかりだった。中学高校と勉強しかしてこなかったド勤勉のヤツらが大学でイキッてこんなことしてるようだ。 朝は部活の朝練をして、昼は授業中に寝て、夕方は部活して、夜はふらっと街に出て毎晩名前も知らない男にとっかえひっかえ抱かれて。あの事件を忘れられる唯一の時間だった。 だから、 「なぁ綾部。今度の日曜日さぁ、1年みんなでカラオケ行くんだけど行かねぇ?」 「…あ、悪ィ。空いてねぇから…また誘ってくれ」 「お、おぅ…」 「(綾部って本当付き合い悪いよな…)」 「(毎回空いてないって…)」 「(大会や練習試合は来るのにさ…)」 毎晩男相手にしてるから、個人的な娯楽なんて楽しむ時間なかった。 …そんなある日。出会ったんだ、アイツと。俺の最悪な人生にさらに泥を塗ってくれた野郎だった。 いつものようにあの場所に座っていたら、捕まったのは大学生ではなく脂ぎった汚ェおっさんだった。 「ハァハァ…いつもキミのこと見てたよぉハァ…ほしいものなんでも買ってあげるよぉ…ハァハァおじさんと遊ばない〜?」 ちょ、なんだよコイツ…まじあり得ねぇ。いつも捕まる大学生はみんな整った良い顔したヤツらばっかりなのにさっ…嫌だ、こんなヤツ相手にしたくねぇ! 「ハァハァ、どうした?おじさんは嫌かい?悲しいこと言わないでくれよぅ〜…」 嫌だ、嫌だ嫌だ、触るなっ! 「おっと、悪ィなオッサン」 俺とおっさんの間に割って入って来たのは金髪の若い兄ちゃんだった。耳に何個もピアスの穴を開けていかにもチャラそうな。 そしてニッと笑って 「悪いね、コイツは俺の先約なんで」 そう言って俺の腕を引っ張って行く。そしてその場を去った。ポカンと口を開いたままのおっさんが小さくなる。 「ガキがこんなとこで遊んでんじゃねぇ」 さっきの明るい声とは裏腹に低く怒の効いた声だった。 「二度とここに来るんじゃねぇぞ。家帰って寝てな」 子供扱いしやがって…そう思うとムカついた。抵抗する意味でそいつをグッと睨み首を左右に振った。 「あ?チョーシ乗ってんじゃねぇぞ」 それでも黙って睨み続けた。 「黙ってねぇでなんとか言えや」 「…帰りたく、ねぇ」 「ふーん…お前、変なヤツ」 鼻で笑うと俺の腕を離し先を歩く。 「ついてこい」 ただ黙ってそいつについて行った。 *** 連れてかれたのは怪しいネオンの光るバーだった。戸惑いを見せる俺にそいつは構わず入れと顎でさす。 「いらっしゃ〜い…あら、かつきちゃんじゃな〜いv」 「よぉママ。悪いな、新しい子もいるけど」 「あら可愛い子じゃない、中学生かしら?あたしはここのバーのママでまおよ。よろしくねv」 見た目は女、でも声はどう聞いても男だった。 「ん、座れ」 自分の隣をポンポンと叩き招いた。言われた通り座った。 「ジュースでいいな?」 「…うん」 「ママ、オレンジジュース」 「はぁい」 しばらくして透明なコップに注がれたオレンジジュースを差し出された。 「向かいにホスト店あったろ」 「…うん」 「あれ、俺が勤務してる店」 「は?」 「俺、ホストやってんだよ。まだまだ端くれだけどな」 「ホスト…?端くれ、って…No.1じゃなくて?」 「馬鹿、俺まだ19だぜ?あの店に雇ってもらったのもまだ最近だし」 「…くだらねぇな」 「は?」 「誰彼構わず女に良い顔してさ、身体だけの関係作って、金巻き上げて…ろくな商売じゃねぇ」 「…てめぇ、それガチで言ってんのか?」 胸ぐらを掴まれた。そいつの目は確かに、怒っていた。 「俺らはなぁ、客に夢与えるのが商売なんだよ。てめぇと一緒にすんじゃねぇ!」 「一緒、だと…!?」 「てめぇだってあんなとこでひもじいフリして、男引っかけて、誰彼構わず抱かれてんだろ?大して気持ち良くもねぇくせに感じたフリしてよ」 「…ふざけんなっ!!俺は違う!!」 「ちょっとォ二人とも、店の中でやめて頂戴!」 ママがれおたちをなだめる様に言った。 「なにが違うって、え!?なんならここで今ヤってもいいんだぜ!ひとりでヤるか!?さぁストリッパーのお出ましだ!」 「うっるせぇ!!なにも知らねぇで勝手なことばっか…っ!」 好きでこんなことしてるんじゃない。好きであんな目に合ったんじゃない。 なんで俺が、こんなとこまで堕ちてったのか…もう分かんねぇよ! 「…かつきちゃん言いすぎよ、この子になにがあったかも分からないのに」 「……悪かったよ。おい、顔見せろ」 「…っやだ、」 「見せろって……」 伏せていた顔を無理矢理上げられ渾身の力で抵抗した。しかし顎を持たれ意図も簡単に顔を見られちまった…。 「…お前、見たことあるぞ」 悟られた。知られたくなかった…ましてやこんなヤツに。 「なんだったかな…」 思い出すように俺をガン見する。そして… 「……あっ…近藤、」 「やめろォっ!!」 その名前を聞きたくない。でも、綾部の名前も大嫌いだ。もう名前なんていらねぇ、そう思う俺ってワガママ? 気が付けばれおは、そいつの胸に顔を埋めて泣いていた。人前で涙なんて見せたくなかった。 「…泣くなよ」 困ったような声で俺の背中を擦った。 「お前になにがあったかなんて、ニュースでしか見てねぇから分かんねぇけどさ…もうこんなことすんな」 両腕を俺に回し抱き締めた。そして耳元で囁いた。 「寂しいだろ」 寂しいー…。そうだ、惨めでも虚しいわけでもなかった。俺はただ、寂しかったんだ。 誰でも良かった。俺のことをちゃんと見てくれる人がほしかった。 それはー… 「…どうした?ん?」 さっきのおっかない顔とは裏腹に、優しい表情で俺を見ていた。そうして俺の神をそっと撫でる。 「(…あれ、これって…!)」 なんか俺、変だ。今まで俺に言いたい放題言ってきたこんなヤツに今、なにを思っている? なにも言わない俺を見つめる優しい表情に俺は釘付けになっていた。 身体が熱く、 震える。 顔が赤くなる。 …ドキドキする。 「(あれっ…なんか変、俺どうしたんだ…!?)」 「…そういや俺の名前言ってなかったな」 「あ、うん…」 「俺は、西条克貴」 「さ、いじょう…」 「かつきでいいよ、レオ」 レオ…。俺のことを名前で呼んでくれたのはこいつが初めてだった。 優しいその声で名前を呼ばれると、全身が震えた。涙が止まらなかった。 俺は…一瞬で恋に落ちた。その優しい表情に。 こいつにならなにされても良いと、どこまでも行きたいと思えた。 「かつきってさ…」 「ん?」 「…カノジョとかいんの?」 「いねぇよ。ホストやってっからさ、特別な女は作っちゃダメなんだよ」 「じ、じゃあさ…」 「うん」 「カ、カレシ…じゃダメ、かな?」 こんなにも他人を愛しいと思えることはなかった。生まれて初めて感じた愛情だった。 それが俺と、かつきの出会いだった。 *Cに続く* [*前へ][次へ#] [戻る] |