IS<インフィニット・ストラトス> 〜蛇神が愛した男〜 0-2:壊れた日常、更なる破綻 「また怪我したの? 織斑さん」 「えぇ、まぁ……」 常連というほど通っているワケでも無い店なのに、まるで顔見知りの様に声を掛けて来た店員に、俺は曖昧な返事を返す事しかしなかった。 俺が向こうの顔を覚えていないだけなのならまだしも、向こうが俺の顔を知っているだけのは自惚れでもなんでも無く単に俺が有名人だからである。 といっても、この場合は"あの"織斑千冬の弟だから……では無く、全身怪我だらけでこの町を徘徊する人間なんてヤツが俺ぐらいしかいないからなのだが。 だからなのだろう、来る度来る度包帯姿でやって来る客がよっぽど目につくのか、この店員とも初対面のハズなのに、どの店に行ってもこんな具合で話し掛けられながら注文の品を持って来られるのがお決まりのパターンになっている様な気がする。 やはり、どう考えても包帯男=織斑一夏という等式が、この町の人間の頭の中に出来ているのだろう。 「あの……、俺そんなに有名なんですか?」 「そりゃあね。織斑君、こっちの町来る時いっつも怪我してるし」 「ハハハ……」 やっぱり、そんな認識らしい。 まぁ、俺だって怪我人がうろついてたら注目するけどさ。 「でもどうしてまたそんな……」 「あぁ〜その、なんていいますか……」 ……さて、話していいものなのか。 何せ、今話している相手は"女性"だ。 一応、俺が千冬姉の……織斑千冬の弟だから、内心どう思っていようが千冬姉の逆鱗に触れない為にも表向きには他の男性より対応を良くせざるを得ないのだが、やはりこの女尊男卑の世界だ、この友好的な態度も表面だけのもので、内心どう思っているかなんて解ったもんじゃない。 「……まぁ、その、ちよっと喧嘩になりまして」 「ふ〜ん」 当たり障りの無い程度に答えながら、相手の身体付きを盗み見る。 無論、疚しい意味ででは無く、ある事を確かめる為だ。 (……やっぱり、な) 上手く店員に化けたつもりだったのだろうが、それにしては身体付きが……筋肉の付き方が独特過ぎる。 スポーツ選手が種目ごとに独特の筋肉の付き方をしている様に、この店員の身体付きは明らかにあるスポーツをやる人間の筋肉の付き方をしているのだ。 (ISの操縦者……って事は、やっぱ俺の監視が目的か) 珠に帰って来る度に千冬姉にマッサージをせがまれるのだが、その度に見てきた身体付きとよく似ているから一目で判った。 誰の命令かは知らないが、恐らく監視の任務で俺の前に現れている以上、ISも所持しているのだろう。 「じゃあ、出来上がったら持って来ますね〜」 「はいはい」 会話を区切り、厨房へと消えて行く店員を眺めながら、他の店員の様子を観察する。 ……見たところ、特に他の店員に不審な点は無い。 だが、それこそ不審だった。 どの店員もこの状況に違和感を覚えていないという事ことは、まず有り得ないハズなのだから。 飛び入りだろうが前々からの仕込みだろうが、男性店員がIS操縦者を前にして全く動揺を見せないという事は、まず有り得ないのだ。 なにせISは女性にとっての権力の象徴であり、男性にとっては恐怖の象徴でもある代物なのだから。 だから、その恐怖の象徴を前にして男性が何の反応も示さないという事は、ここにいる男性店員は最悪の場合俺の監視を命じた組織によって洗脳させている可能性だってあるという事になる。 それが、催眠術を使ったのか薬を使ったのかは解らないが。 まぁどちらにせよ、あまり気分のいい話じゃないのは確かだ。 というか胸糞が悪過ぎて吐き気すら感じる。 ……それに、最悪の場合店員どころか俺以外の客ですらそうなのかもしれないし。 (……監視、だけだといいんだが) そこいらのチンピラと違って一応はプロなのだからある程度は自重してくれるハズだと、そう思いたいのだが……それは楽観的過ぎるだろうか。 プロだからこそ装備が調い安いだけで寧ろそこいらのチンピラよりも性質(タチ)が悪いだなんて事はないだろうか。 もしそうなら……向こうから何か仕掛けられたその時こそ、チンピラ相手の時よりももっと酷い目に合わされるのではないだろうか。 (杞憂、だといいんだけど……そうもいかないよなぁ) 不安は尽きず、それどころか溢れるばかりで。 だけど、この募り続ける不安に苛まれる事こそが日常と化していて。 今にして思えば、そんな毎日を送っていたこの時から、既に俺は狂っていたのかもしれない。 自分では正気のつもりでいても、行動に出ないだけで既に狂気に駆られていたのかもしれない。 解き放つきっかけがまだ無かっただけで、いつ孕んだのか自覚していなかった狂気は、こうして思考している今も確実に大きなものへとなっていたのだから。 人は独りでは生きていけないと、誰かが言った。 もし、その言葉が正しいのなら、女は勿論、男すら敵になった……自分以外の全てが敵になってしまった俺は、既に人としては生きていけない状態になっていた事になる。 現に実生活で人並みの生活が送り辛い状況にあるとはいえ、だからこそ自分は人らしく在ろうと、そう思って今まで生きてきたのだが、そう思う事自体が狂気の沙汰だったのかもしれない。 だって、どうしたって独りで在る事に変わりは無いのだから。 「お待たせしました〜」 「あ、はい」 「ごゆっくりどうぞ」 注文した品を持って来た店員は、来た時に話し掛けてきた店員だった。 どこにでもいそうな、営業スマイル全開なその表情の奥で、一体何を考えているのかは解らない。 ただの監視なのか。 それとも何か仕掛けてくるつもりなのか。 何か仕掛けてくるつもりなら、それは一体いつなのか。 店の中? 店を出た後? 仕掛けてくるとしてしたら、一体何を仕掛けてくるつもりなのか。 運ばれてきた品に薬が含まれてはいないだろうか。 薬が含まれていたとして、その後何をされるのか。 薬が含まれていなかったとしても、何をされるのか解ったものではない。 ……本当に、気が狂いそうだ。 何もかも、疑わなければならない。 何もかも、信頼する事が出来ない。 何もかも、俺の敵にしか見えない。 何もかも、何もかもが……俺を狂気に駆り立てる。 箸を手に取り、麺を摘む。 余計な……ただの被害妄想であって欲しい事を考え過ぎたせいだろうか、異様に箸が重く感じる。 「? ……どうかしました?」 「……え? あ、いや…その、ちょっと傷が痛んだだけで……」 「手当、私がし直しましょうか?」 「いやいや、いいですって。いただきま〜す」 疑っていたのがバレたのかと、不安を通り越した恐怖が全身を駆け巡る。 駆け巡る恐怖を押し殺し、必死に作り笑いを見せて、おどけた調子で答えて、一気に麺を啜った。 なんて、不様なんだろう。 不様過ぎて泣けてくる。 実際に泣きはしなかったし、泣ける状況ではなかったのだが。 「!? っゴホッ」 「あぁっ、そんなに一気に啜ったりなんかするから……」 「ははは……」 ……本当に、不様だ。 通らぬ喉に無理矢理麺を押し込み、スープを流し込んで、青い顔を心配されながら勘定を済ませて店を出る。 仕込まれていた薬が回っただとか、そういう類では無く、精神的なものから来る吐き気が酷い。 特にここ最近はそうだ。 昔の……ISが今ほど普及していなかった頃は女性の増長も男性の不満も少なかったからなのか、それとも俺がまだ幼かったからなのか、或は町の住人ににもまだ良心の呵責があったからなのかは解らないが、結局俺が成長し歳を重ねるに連れて町の住人達からの嫌がらせもエスカレートしていき、ここ数年で遂に直接的な暴力まで振るわれる様になった。 そのせいか、俺の心身に掛かる負担も決して無視出来ない程にまで大きいものになっている。 身体の傷は放っておいても治る範囲だし、傷も残ったところで気にならない程度のものだ。 でも、心は……心の方はどうなのだろう? 最初の頃は確かに痛む感覚があったのに、今ではそれもあまり感じなくなってきた様に思える。 精神(こころ)が強くなったから? ……まさか。 そんなハズあるワケが無い。 痛みすら感じない状態の方が重傷なのは身体に限った話では無い。 きっと心の方だってそうなのだ。 今はまだ、不安や恐怖に駆られる"余裕がある"が、それすら感じなくなった時こそ本当に最期なんだと、そう思う。 「……あぁ」 自分でも、本当に今の自分が織斑一夏なのかと疑いたくなるぐらい、俺は変わってしまった。 変わった事を自覚してしまえるぐらい、変わってしまった。 変わった自分の惨めさで嗤えるほどに、変わってしまったのだ。 嫌なら嫌だと、訴え続ければよかったのだろうか? こんな事をするのは間違っていると、諌め続ければよかったのだろうか? まさか……そんな事を続けたとして、それが一体何になるというのだ。 既に暴徒になりつつある住民に向かって、そんな事を言ったところで逆効果にしかなりはしない。 事の元凶の……その親族の、尚且つ解り安く当たり安い存在でしかない俺の言葉なんて、届くハズが無いのだ。 ……殺される。 どうしたって殺される。 そんな無駄な努力を続けたところで、いつか訪れる末路の、その"いつか"が"今すぐ"に変わるだけではないか。 なら、町の住人にではなく千冬姉や束さんにお前達のせいでこうなったんだからどうにかしろと訴えればよかったのか? それこそまさかだ。 そんな事をしようものなら、それこそあの二人は報復の為に多くの人々を死にいたらしめるに違いない。 自分達が元凶である事を棚に上げて、報復という大義名分を掲げて多くの人々の命を奪うに違いない。 自分が助かるために他人を犠牲にするのは悪い事だと、そんな綺麗事をほざくつもりは毛頭無いが、だからといって実際に自分の為に多くの人々を犠牲にして平常心を保っていられるほど、俺の胆は太く無い。 だから、耐える。 ただひたすら恐怖で怯えながら、問題を先送りにするしかない。 自身の行動の、その結果に耐えられないから、何もしないで耐え続ける。 そんな不様な男に、俺は成り下がっていた。 「……闇討ちは、流石に勘弁してもらいたいんだけどな」 隣町の定食屋が町の奥に……殆ど隣町というよりは隣の隣町と言っていい場所にあった上に、怪我を庇いながらの移動であったが為に行くだけでもかなりの時間を要したのだが、そこに吐き気が追加されたせいか、帰宅には更なる時間を要した。 なるべくISの影響が少ない地域をと、そんな基準だけで店を選んだせいで、店を出て隣町の中心を越える頃にはもう夜になっていた。 町に戻るのが酷く憂鬱ではあったが、連中が勝手に聖地扱いしている以上自宅にまでは乗り込んで来ないので、安心して眠れる場所はやはり自宅しかない。 だが、帰宅までの間が問題である。 当初の予定では夕方までに隣町で買い物を済ませて帰宅し、自炊するハズだったのに、今日は家を出た途端に捕まってリンチに合ったせいで遅めの外食をする事になってしまったのだから、帰りも襲撃に合わないだなんて楽観を出来るハズも無く、だからこそ警戒を怠らず、なるべく迅速に、それでいて不自然で無い様に、歩いた。 人通りが多い場所で襲撃に合えば相手の人数が増える可能性があるので、なるべく人通りの多い場所は選ばず、かといって人通りの無い場所で襲撃にあった場合はもっと危ないので人通りの無い場所も選ばない。 だからなるべく人通りが疎らで、それでいて逃げ道の確保出来る場所を選んで歩いた。 そんな都合のいい場所なんて中々無いのだが、これでも生まれ育った町なのだ、全く心当たりが無いワケでは無い。 (……取り敢えず、今のところは大丈夫……か?) いつも通り、通行人の目が忌ま忌まし気ではあるものの、視線だけで特に何か仕掛けてくる気配は無い。 随分歩いたせいか足が疲労を訴えてきてはいるが、後は次の角を曲がって真っすぐ進めばそれで終わり、帰宅までもう5分と掛からないだろう。 「お帰りなさい、織斑一夏君。さっそくで悪いんだけど、死んでくれない?」 「!? ガハッ……!!?」 それは、角を曲がってすぐの事だった。 角を曲がって、後は真っすぐ進めばそれで帰宅出来るハズだった。 もう自宅も見えていた。 ……なのに。 突然、脇腹に衝撃が走って身体が吹き飛び、壁に激突して背中を強打して……。 何が何だか、ワケが解らなかった。 解らなかったが、ただ脇腹と背中の痛みだけは、どうにか知覚出来た。 だが、どうして痛むのかは、顔を上げて"見る"まで全く解らなかった。 「ッ……ゲホッ、ゲホッ……なっ!!?」 軋む様な痛みを無視して見上げたその先に、見知った顔が下卑た表情を浮かべてこちらを見下ろしている。 予感はあった。 でも、それでも驚嘆の声を上げられずにはいられなかった。 「なん……で?」 何故ならその顔が、今日行った店の店員の顔と同じだったのだから。 [*前へ][次へ#] [戻る] |