三國小説 2 (本編開始) 雪解けの季節へ 此の先から、子供達の賑やかな声が聞こえてくる。 視察がてらの散歩中、諸葛亮が街角を曲がると、川の近くで子供達が戯(タワム)れているのが見えてきた。 その中で一人だけ抜きんでて見える頭は蜀の旗色である緑の文官帽を被っており、その子一人だけが大人だと察(サッ)した。 周りにいる子供達が興味津津に、座り込んでいる青年の手の内を覗いている。 "なぁに、それ?"、"なに作ってるの?"と好奇心旺盛な子供達に囲まれて、青年の笑顔がちらほらと垣間見えた。 どうやら、青年は子供達に何かを教えているらしい。 (見掛けない顔ですね。新人の文官でしょうか?) 諸葛亮が微笑ましいその光景を見ながら、ゆったりとそう思った。 仕事が終わった帰り道に、地元出身の子供好きな文官が幼児(オサナゴ)達に構っているのだろう。 街角に佇(タタズ)んだまま、見知らぬ文官について推察する諸葛亮の耳に、その青年の声が届いてきた。 「こっち側も同じようにしてやると‥‥‥、はい!これで"笹舟"の出来上がり!!」 嬉しそうな青年に集(ツド)っていた子供達から歓声があげられる。 「なぁ、なぁ。それをどうするんだ?」 男の子が目を輝かせながら、青年を見上げた。 「こうするんだよ。」 にこっと笑うと、青年は笹舟を川に浮かべた。 笹舟は水面をすいすいと流れていく。 再び、子供達から歓声があがった。 「それじゃあ、私も作ろうっと!」 「俺も!!」 きゃいきゃい騒ぎながら、子供達は小川のほとりにあった笹の葉を千切っていく。 子供達は笹の葉を青年がやっていた通りに折ったり、破いたりしていく。 「ねぇ、この次はどうしたら良いの?」 頭に可愛らしい花飾りを付けた少女が青年の裾を引っ張った。 「ん?この次はね‥‥」 少女の小さな手と自分の手を重ねながら、青年は笹舟の作り方の説明をもう一度教えてあげている。 出来上がった子供達から順に笹舟を小川に流していく。 笹舟に速度を合わせて、その川のほとりを歩き出す子供も数人かいた。 その光景は諸葛亮に、様々な意味で"暖かい"春の訪れを感じさせた。 最も今は暦(コヨミ)上春に入ったが、まだまだ寒い時期であった。 この街が麓(フモト)となる連山の中腹には、白い樹氷が数多く立ち並び、頂上にある雪は太陽の光に反射して、その存在を高らかに主張している。 流石に街のある場所まで高さが低くなると、雪は姿を消し、小川も凍ってはいなかった。 (こんな寒い中でも子供達が楽しそうなのは、あの青年のおかげですね。‥‥‥にしても、本当に誰なのでしょうか?) 諸葛亮は心の内で青年に感謝しながら、そんな心優しい文官を思い出せない自分にじれったさを覚えた。 「わぁ!出来たぁ!!」 青年に教えられていた少女が喜びの声をあげた。 青年に促されるままに、近場にあった蒲公英(タンポポ)を一つと"星の花"と異名を持つ小さな小さな青い花を数個、笹舟に入れ、少女はそれを小川に流した。 黄色と青色の花舟がたゆたう先へと進んで行く。 「何処まで行くかな?」 少女が独り言のように呟いた。 青年が何かしら言う間もなく、一人の少年が答えていた。 「俺の舟はあの橋まで行くぜ。」 それに張り合うかのように、また別の少女が少年の言う橋より先を指差して言った。 「なら、あたしはあの曲がり角まで!」 少女に続くようにして、次々と少年少女は自分の舟が何処まで行くかを宣言した。 「君は?」 青年が――先程、笹舟を作るのを手伝った――花の髪飾りを付けた少女に問いかけた。 少女は視線を地面に落とし、左手を右手で包み、手揉みしながら、小声で答えた。 「‥‥‥天の川まで。」 そんな少女の科白(セリフ)に、青年と子供達が動きを止めた。 沈黙の域が続きを言うよう、彼女を焦(アセ)らせる。 「‥…だって‥…だって! お父さんが言ってたんだもん! 全ての川は天の川に通じてるって!!」 ぱっとあげた顔には朱が広がっていて、少女は拳をぎゅっと固く結んでいた。 「ばっかだなぁ。全ての川は海に繋がってんだよ。」 "笹舟が何処まで行くか"の討論で"海まで"と答えた少年が少女にそう告げた。 他の子も後を追うように、少女を攻め立てる。 「でも‥…でも‥…」 それでも尚、大きな瞳を震わせながらも言葉を紡ごうとする少女。 (さて、貴方は一体どうしますか?) 子供達のやり取りを見ながら、諸葛亮は心の内で青年に問い掛けた。 空想の甘い木の実か、現実の苦い木の実か。 どちらを少女に与えるつもりなのか? 自分でも自分自身を意地汚いな、と思いつつも青年を試すかのように諸葛亮は次の展開を待った。 青年は黙って、少女の頭に手の平を乗せた。 此の青年までもに反論されると思った少女だったが、青年は笑ってこう言っただけだった。 「そうだね。」 と。 青年は少女の頭を撫でながら、更に言葉を継ぎ足した。 「そう、全ての川は海に繋がっていて、全ての海は天の川に繋がっているんだよ。」 その科白に納得したのか、少女がこくりと頷いた。 上手な言い回しですね、と諸葛亮は思った。 此の言い分を辿ると、"海"と答えた子らも、"天の川"と答えた少女も、どちらも正しい事になる。 でも、それで納得する少年少女ばかりではない。 「じゃあ、なんで川から流れてった笹舟が海に出て、天まで行かないんだ?」 諸葛亮の思惑を代表するかのように、一人の少年が疑問を口にした。 諸葛亮も黙って、その疑問を後押しする。 「それはね…‥」 「「「あーーーっ!!!」」」 青年が言うのを遮るようにして、幾人かの子供達が叫んだ。 一気に子供達の興味がそちらへと反(ソ)れた。 なんだなんだ、と幼い団体が、叫んだ子供達に走り寄る。 「あ〜あ。」 何があったのか理解した子供達は揃って落胆の息を吐いた。 気になった諸葛亮がその方向へと視線を向けると、何が起こったのか、すぐに理解出来た。 小川を流れ行く笹舟の道程にあった、きつい段差で、全ての舟がひっくり返ってしまっていたのである。 底を上にして流れ行く数多(アマタ)の笹舟の中に、例外なく少女の笹舟も含まれていた。 少女の笹舟から零(コボ)れ落ちた、一つの黄色い花と、幾(イク)つかの小さな小さな青い花が水面を滑っていく。 ある者は口を開いたまま、またある者は口をきゅっと閉じたまま、子供達は――水面にぷかぷかと浮かぶ――舟としての機能を果たさなくなった笹の葉を見つめていた。 「‥…障害が多いからですよ。」 子供達の後ろに歩み寄った青年がそう呟いた。 諸葛亮は青年の声色に違和感を感じた。 青年を纏う雰囲気が一遍(イッペン)に(意味:たちまち)変わったような気がしたのだ。 その場にいた全ての少年少女が青年を顧(カエリ)みた。 「笹舟が海まで、天まで行かないのは、目的地に行くまでに障害が多いからですよ。」 青年が補足を付け加えて、もう一度答えた。 「しょーがい?」 ――青年と共に笹舟を作った――薄紅色の花の髪飾りを付けた少女が青年に聞き返す。 「道を邪魔するものだよ。」 青年が丁寧に説明した。 「ちぇっ!じゃあ、こっから流しても、そんな遠くに流れないのか。」 「なら、違うところから流そうよ!」 一人の男の子の言葉に触発され、一人の女の子が安易な提案をする。 それもそうだな、と思ったのか、問題提起者の男の子と提案者の女の子を先頭に子供の団体が移動していく。 「お兄ちゃんは行かないの?」 立っている青年の文官服の裾(スソ)を引っ張りながら、頭に花飾りを付けた少女が訊いてきた。 「うん。先生が来ているから、お兄ちゃんはそっちに行かなきゃ。」 少女が自分に使った言葉"お兄ちゃん"で自分を指しながら、青年が少女に優しく受け答えた。 諸葛亮は覚悟をしていたが、ふいに青年がこちらを見つめてきた。 子供達を省(ハブ)いた、青年と諸葛亮の二人の合間に冷たい空気が漂ってきている。 「そっかぁ…‥。お兄ちゃん、笹舟を教えてくれて、ありがとう!」 花飾りの少女が言い出した途端に、他の少年少女達もお礼の言葉を声にした。 「さよなら。」 青年は諸葛亮から視線を外すと、子供達に小さく手を振った。 「じゃあな!」 「また遊んでね!」 「楽しかったよ!」 口々に子供達は別れを言いながら、何処かへと走り去ってしまった。 青年はあの柔らかい笑顔で子供達の行く末を見守っていた。 春が去っていく、諸葛亮は人知れずそう思ってしまった。 最後の一人が見えなくなると、青年は一度、瞼(マブタ)を閉じ、開けてから諸葛亮を見やった。 子供達に向けられていた眼差(マナザ)しは完全に消え失せていた。 今一度、真冬が戻ってきていた。 (何処かで同じような空気を味わった気が‥…。) 青年が放っている、自分との空間の空気に諸葛亮は身に覚えがあった。 (確か、"コレ"は…‥) 表面には出さないように、諸葛亮は自分で出した答えに唖然とした。 . [*前へ][次へ#] |