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三國小説




呉国太が
長子・孫策を身ごもった時
自分の体内に月が宿る夢を見たという
次兄・孫権を身ごもった時は
自分の体内に太陽が宿る夢を見たという



‥‥‥これは、孫策が挙兵し、周瑜が加わってから、数週間が経った、ある夜のお話‥‥‥



※ ※ ※



 紙燭(しそく)の炎がゆらりと音も立てずに揺れた。
窓から室内に流れ込む夜風のせいだろうか?

‥‥いや、それだけではないな。

外に何者かの気配を感じ、周瑜は筆を走らすのを止(や)めた。
こんな夜更けに来る人物は、自分の知人達の中で、たった一人しかいない。

「孫策、君なんだろう?」

周瑜が窓に手を付き、その向こうに広がる闇に話しかけた。

返事はない。

‥‥気のせいだったか?

そう思い、周瑜が窓から離れようとした時だった。
窓の外から、にゅっと手が現れたかと思うと、周瑜の手首を掴み、一気に外へと引きずり込んだのだ。

「‥‥‥っ!?」

あまりに突然な事で周瑜は声も出ない。
体が宙を浮き、反転され、とすん、とその手の人物の隣に座らせられる。
そして、ぐいっと相手に引き寄せられた。
相手の顔に前髪が触れそうな程に接近する。

「そ、孫策!?」

周瑜がその名を挙げると、慌てて、孫策が周瑜の口を掌(てのひら)で塞ぐ。

「しぃ〜、声がでけぇよ、周瑜。程布(ていふ)らが起きちまったら、どうすんだよ?」

自分の口元に指を一本添えながら、孫策が言った。

「なんで、君がここに来てるんだ?」

孫策の掌が口から離れた後、小声で周瑜が問いかける。

「なんでって、そりゃあ、お前を散歩に誘うためだ。」

さも当然だ、と言わんばかりに孫策が答える。

「‥‥‥は?」

親友がこのように突発的に行動を起こす事を知っているとはいえ、理由もなしに、納得する周瑜ではない。

「だーかーらー、お前と一緒に夜の散歩をするためだって、言ってるだろ?」

ニィと孫策が笑っているのが、暗闇にいても分かった。

「君は、今の自分の状況を分かってないのか?」

 出来るだけ怒気を抑えた声で、周瑜は言った。

そう、やっと遠術から独立し、父・孫堅の臣下達を集め、江東を征(せい)し始めた今、孫策は立派な頭領であり、周瑜は………その配下の一人である。

「散歩なら、いつでも出来るだろう? 暗闇から敵に襲われでもしたら、どうするんだ?」

この小覇王の首を欲しがる輩は数知れない。
理由もなしに、自ら危険を冒(おか)す行動に出ないでほしい。

「大丈夫だって。」

孫策はそんな周瑜の忠告をさらりと流した。

「散歩って言っても、自分の庭を歩くだけだから、暗闇でも感覚で分かるし、」

それに……、と孫策は言葉を続ける。

「俺は、今、お前と散歩したいんだ。」

顔こそ見えないが、孫策が真剣にそう言うのが感じられる。
周瑜は呆気に取られ、二の次を忘れた。

「‥‥分かった。」

周瑜は仕方なく承諾した。
孫策のそんな飄々(ひょうひょう)とした態度に、怒りも呆れすらも通り過ぎてしまった。

「んじゃ、決まりだな。」

 孫策が立ち上がる気配がする。
周瑜がそれに続いて、立ち上がると、孫策が周瑜に手を差し伸べた。

「行こうぜ。」

「‥‥‥まさか、手を繋いでいくのか!?」

「と〜ぜん!」

狼狽(うろた)える周瑜に孫策が言い切る。

「暗いし、相手の姿が見えなくて、迷子になったら、大変だろ?」

「だったら、照明を‥‥‥。」

「そんな事したら、程布らに見つかっちまう。」

どうしても、周瑜は孫策と手を繋がなくてはならないらしい。
いや、実はそうではなく、孫策が周瑜と手を繋ぎたいだけなのだろうか?

‥‥この年で、手を繋ぐとは‥‥。

孫策の手を掴もうともせず、呆然と立っている周瑜に孫策は言った。


「ほら、来いよ。」


「‥‥ああ。」

何故か、それに素直に応じる自分がいた。
孫策と周瑜の手が繋がれる。
孫策の人を引きつける能力は昔と何ら変わらない。
むしろ、昔より、色濃くなった。
幼い自分が彼に引き付けられたように、今の自分も彼に引き付けられる。
昔も、今も、そして、これから先でさえも。

 散歩といっても、二人とも黙ったまま、夜を歩いていた。
頼りない月明かりでは、モノがある事の確認は出来るが、識別は出来ない。
庭はひっそりとしていて、草も花も木々も全て、眠りについていた。
周瑜は孫策に誘導されるような形で歩いていた。
ふいに、孫策が足を止めた。
急な事で、周瑜は前につんめりそうになる。

「見ろよ、周瑜。」

孫策が口を開いた。

「夜空がきれいだ。」

周瑜が顔を上げると、上弦の月と星々があちらこなたと輝いていた。
雲がないせいか、それらの輪郭がくっきりと浮かび上がる。
周瑜は隣で同じように夜空を見上げる漢を見た。
いつの間に、彼に『夜空を見上げる』という風情がついたのだろうか?

諸行無常

 この世の中で、変わらぬものはない。
この夜空も、変わってないように見えても、幼い頃に見た夜空とはきっと違うものなのであう。
孫策も変わっている。
自分も変わっている。
それは当然な事であるが、自分だけが置いてけぼりにされたようで、どこか淋しい。
寂寥(せきりょう)感がする。

「孫策。」

周瑜は漢の名を呼んだ。

「もし、君を月に例えたなら、私はあの星々の内の一つなのであろうな。」

「周瑜?」

今度は、孫策が名を呼ぶが、周瑜は口を閉ざしたままだった。
孫策は周瑜を追求しようともせず、また、歩きだす。

 孫策は頭領で、自分はその配下の一人だ。
昔とは違う状況。
昔のままではいられない。

深夜の暗さの中では、視覚は全く役に立たないせいか、周瑜の感覚は全て、孫策と繋がれた手に集中していた。

孫策の掌(てのひら)は
暖かく、
それでいて、
大きい。

幼い頃、自分と取っ組み合いした少年の掌とは全く異なる、青年の掌になっていた。

この掌で、
孫策は、
人を殺(あや)め、
女を抱き、
そして、
天下さえも掴み取るだろう。

天下のために、
孫策は、
金を
将を
名声を
地位を
手に入れ続ける。
両手を合わした掌に、次から次へと水は注ぎ込まれる。
だが、満杯になっても、水が注ぎ込まれ続けたら、ある程度の水はこぼれ落ちるしかない。
手に入れた分だけ、何かを失うのだ。
いつか、自分は孫策の掌からこぼれ落ちるかもしれない。
出会ったばかりだというのに、そんな事を考えている自分がいた。
昔の自分は、こんなに弱々しくなかったのに‥‥‥。
私も‥‥変わってしまったな。

「周瑜、痛い。」

「えっ?」

急に、孫策が抗議の声を上げた。
無意識の内に、周瑜は孫策の手をきつく握りしめていたらしかった。

「‥‥すまない。」

そう詫びて、周瑜は手を離そうとした。

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あきゅろす。
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