三國小説 1 (呂蒙&甘寧&凌統&陸遜) 剣が振り降ろされる音がした。 斬られた机の角が、ぽとり、と地面に転がり落ちる。 「今後、曹繰との戦に異論を唱えた者は、この机同様斬られると思え!」 玉座についた主(あるじ)の甲高い声がその場を制した。 それを聞いた諸将等が互いの顔を見合わせる。 「周瑜!」 「はっ!」 碧眼紫髭(ヘキガンシゼン)の主が名を呼ぶと、一人の漢(おとこ)が立ち上がり、主の元へ歩み寄る。 白い肌、真一文字に閉じられた唇はまるで朱を施したようであり、容姿端麗な若者であった。 その漢の瞳は燃ゆる闘志を宿していた。 周瑜が歩み寄り、孫権の前で跪(ひざまず)いた。 「この剣と共に、お前を大都督に命じる。」 孫権は机を切り落とした剣、孫呉の宝剣・古錠刀(コテイトウ)をそのまま、周瑜に与えた。 周瑜は剣を持つと、すっ、と立ち上がり、剣を天井へと掲げた。 「今度(こたび)の戦、呉の勝利に彩(いろど)ろうぞ!!」 周瑜の言葉に歓声が上がった。 それは、後世に長く語り継がれる『赤壁の戦い』と呼ばれる合戦の決意が決まった瞬間だった。 ※ ※ ※ 「いよいよ、明日か。」 呂蒙が呟く。 「おっさん、そんな陰鬱(いんうつ)になるなって!」 椅子に座っている呂蒙の肩を、甘寧が叩いて言った。 「曹繰軍の雑魚共なんざ、この俺が蹴散らしてやるからよ!」 「どこぞかの鳥頭が大暴れして、都督達が考えた策を台無しにしそうで、安心出来ないね、俺は。」 呂蒙と机を挟んで座っている凌統が言った。 この凌統の挑発に甘寧が乗らない訳がなく、 「凌統、てめぇ!」 きっ、と甘寧が凌統を睨みつける。 だが、睨みつけられた当の本人は涼しげな顔をして、こう返した。 「誰がアンタの事だって、言ったんだ?ああ、そうか。アンタ、自分が鳥頭なんだと認めてるんだな。」 「...二度とそんな口を叩けねぇようにしてやろうか?」 「やれるもんなら、やってみろよ。返り討ちにしてやんぜ。」 売り言葉に買い言葉。 二人の言い争いが次第に武力行使へと移っていく。 「おもて出ろや、凌統!!」 「はっ! 今回ばかりは乗ってやるよ!!」 いきなり、誰かが机を両の拳で叩いた。 机にのっていた湯呑みが倒れ、中に入っていたお茶がこぼれる。 ぎょっとして、甘寧と凌統はその誰か―――呂蒙を二人揃って見た。 「甘寧も凌統も、いい加減にしろ! 明日には、戦を控えているのだぞ!! 喧嘩してる場合ではないだろう!!!」 呂蒙の大声に押され、二人は声が出なかった。 「悪(わり)ぃ、おっさん。」 しおらしく、甘寧が呂蒙に謝り、呂蒙の隣に座った。 甘寧の謝る対象は呂蒙であって、凌統ではない。 「すまない、呂蒙殿。」 凌統も凌統で言い争っていた甘寧ではなく、呂蒙に謝る。 甘寧も凌統も互いに目を合わそうとは、決してしなかった。 呂蒙は溜め息をした。 気まずい沈黙が三人の中を流れた。 甘寧が両足を乗せて、椅子を揺らす音のみがしていた。 そんな空気を取り繕(つくろ)うとするかのように、開いた窓から風が入り込み、三人の間を流れた。 だが、その風は取り繕うとするばかりか、ますます、気まずくさせた。 なぜなら、その風は………… 「なぁ、本当に東南の風が吹くのか?」 凌統の台詞に、甘寧が椅子を揺らすのを止めた。 なぜなら、その風は『北西』の風だったから………。 凌統の問いに返事をする者はいなかった。 ただ、すきま風の通る音が何処からともなく、していただけ。 曹繰の軍勢は、20万とも100万とも言われている。 それに対する孫権と劉備の連合軍の軍勢は、せいぜい4万か5万。 その勢力差を覆(くつがえ)すために、考え出された策が、 『火計』 なのである。 だが、その策は、東南の風が吹いて、初めて成立する計略。 もし、東南の風が吹かなければ……? 火計は失敗に終わり、戦に負ける。 孫権も劉備も乱世の表舞台から姿を消し、曹繰が皇帝として、この地に君臨するだろう。 絶対に負けてはならぬ戦。 だが、必勝の火計が成功するための東南の風が吹くという保証は、何処にもない。 劉備軍の軍師、諸葛亮が鬼道で風を起こすというが、そんな事を、一体、誰が信用出来ようか? 東南の風は吹くのか? 誰もが沈黙を以(もっ)て、答えた。 誰も返事が出来なかった。 再び、沈黙の時へと戻ろうとした時、返事が返ってきた。 「東南の風は吹きますよ。」 甘寧と呂蒙と凌統は、その声をした方向を振り返った。 「陸遜!?」 それは、三人の声が見事に重なった瞬間だった。 「東南の風は吹きますよ。」 陸遜が三人に確かめさせるように、台詞を繰り返す。 「なんで、言い切れるんだ?」 「鬼道でも何でもなく、この地域では、毎年、この時期に逆風が吹くと決まってるからです。」 甘寧の問いに、陸遜が淡々と答える。 「それが『明日』だという保証はあるのかよ?」 凌統が追い打ちをかけるかように、あの嫌味口調で訊いた。 それに陸遜は答えようとせず、 「凌統殿が甘寧殿と同意見とは、珍しいですね。」 と逆に、凌統に笑顔で返した。 『誰がこんな奴と!!』 双方にそう思ったのか、プイッと甘寧と凌統は互いに顔を背(そむ)けてしまった。 相変わらずの甘寧と凌統の行動に、溜め息が出そうになるのを堪(こら)えながら、呂蒙が言った。 「陸遜、どうして、お前は自信を持って言えるのだ?」 若さ故か? まさか、いくら青いからって、この戦を楽観視する程、馬鹿ではないだろう。 呂蒙をそう思うのを余所(よそ)に、陸遜は、この重い空気を吹き飛ばすかのように、笑みを浮かべた。 『???』 呂蒙も甘寧も凌統も、その笑顔の理由が、さっぱり分からない。 陸遜が口を開いた。 「では、皆さんに訊きますが..... 東南の風が吹くと確信しているのに、何故(なにゆえ)そうはならない場合を仮定しなくてはならないのでしょうか?」 東南の風が吹く、すなわち、勝利するということ。 己(おのれ)の勝利を信じずに、戦いに挑む奴はいない。 勝利する、必ず。 三人は呆気に取られて、反応が出来なかった。 「...クク、あっはっはっはっ!」 次の時には、甘寧が盛大に笑っていた。 「ぐだぐだ考えるなんて、俺らしくねぇったら、ありゃしねぇ!! 明日の戦、この甘興覇の存在、鈴の音と共に、敵軍に轟(とどろ)かせてやるぜ!!!」 甘寧が立ち上がると、椅子が倒れる音と鈴が鳴る音が同時にした。 「全く、俺とした事が.....」 そう言い出したのは、凌統だった。 「餓鬼に言われるまで気付かなかったとは、とんだ笑い種(ぐさ)だぜ。」 凌統が前髪を掻き揚げる。 「餓鬼扱いしないで下さい。」 陸遜がそれに小声で反発し、凌統が返事を返す。 「事実を言ったまでじゃないか。」 「私よりも、貴方の言動の方が、餓鬼っぽいと思いますが?」 「...チビ。」 「ひねくれ者。」 凌統と陸遜の不毛な言い合いを呂蒙は止めようと思ったが、やめた。 陸遜のおかげで、皆の明日の戦に対する不安がなくなった。 東南の風は吹く。 陸遜と凌統の口喧嘩に甘寧が加わるのを、呂蒙は横目で見ながら、その言葉を心の中で何度も繰り返した。 ……北西からの風は、いつの間にか止んでいた。 . [*前へ][次へ#] |