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被らない帽子と抜かない刀
7

 瞼の裏に光がある。
それを掴もうとして、言葉にならない声を発すると、

「目が覚めたか?」

という言葉が上から降ってきた。
訳も分らずに、うんともすんとも言えずにいると、もう一度、

「目が覚めたか?」

と声がした。
その台詞で、今まで、自分が眠っていたらしいことに気が付いた。
そして、あることにも。

「帽子! 刀!」

 大声で叫び、慌てて上体を起こした途端、カッと眩(まばゆ)い限りの光が目を突き刺した。
痛い! 眩(まぶ)しい! ともつかない呻き声をあげると、

「おとなしくしてろ。」

と言われ、手の平で瞼を押さえ付けるようにして元の位置へ押し倒された。
かなりの勢いで倒されたから、頭に何かしら衝撃がくるとか思いきや、何かがクッションになったのか、わりかし平気だった。
ただし、それは頭だけで、背中や肩はもろに痛んだ。
瞼の上には手の平が置かれっ放しで、若干重い。
いきなりのことで、未だに瞳がチカチカしている。

「…‥ったく、いきなり起き上がるから、そうなるんだ。もうちっとおとなしくしてろ。」

手の持ち主が再び命令し、逆の手で横になっている男の手を掴んだ。

「刀は鍛冶屋に預けた。帽子はお前の腹の上だ。」

そのまま、掴まれた手を自分のお腹(なか)の上に導かれ、細かなざらざら感と丘陵のような、まあるい触感が指先に触れた。
ほ、と安堵の息が漏れる。
そして、そういえば、と疑問が浮かぶ。

「…‥なんで、おれはここにいるんだ?」

「自分は帽子と刀の二の次かよ。」

麦わら帽子と刀の安否を確認した後で、男はようやっと自身のことを気にし始めた。
呆れたように、男を看病していた者がつっこむと、その前に、と話を切り出した。

「お前、自分の名前が言えるか?」

あまりにも当たり前のことを真面目な声質で訊いてくるもんだから、男は思わず吹き出しそうになった。

「いいから、答えろ。」

半分本気、半分拗ねているかの口調が再度降ってきたので、男は笑いそうになるのを耐え、相手に自分の名を告げたのだった。









「『ムギガタナ』だ、ム・ギ・ガ・タ・ナ。シ〜ルクちゃ〜んに貰った、こんな素敵な名前をおれが忘れる訳ねぇだろ、クソ医者。」

 寺院の長椅子に横になる患者(クランケ)のいつもの口調に、その隣りに腰掛けている医者は溜め息を漏らしてから、言い返した。

「おれの名前は『医者』じゃねぇよ、アホ金。何回『ジョリー』と言わせたら、覚えるんだ。」

「ンなこと関係ねぇだろ。なんで、テメェみたいなムサい中年がおれの隣りにいるんだよ。」

「おれはまだ中年と呼ばれるような歳じゃねぇ。」

「それよりも、シルクちゃんは何処にいったんだ?」

嫌味の報復をしながら、ところで、とムギガタナが本題に移る。
やっぱり、コイツの心配するのは女かい、と苛々しながら、ジョリーは答えた。

「テメェがいきなりブッ倒れたから、シルクのヤツ、かなりパニクってな。しゃあないから、タオルを濡らしに外にいかせたぜ。あーゆーパニクってる奴には何かしら指示を与えた方が良いんだ。『こめかみ』には水場がないから、多分、ルーブルに行ったと思うが、じきに戻ってくるだろ。」

 テキパキと話すジョリーに、

(テメェが行って、シルクちゃんが残れば良かったのに。)

と心内でぼやきながら、ムギガタナは自分が倒れた事実を認めていた。

 今、倒れる直前にあったことを思い返そうとしても朧気(おぼろげ)にしか思い出すことが出来ない。

(夢…‥、そういえば、夢は見ただろうか?)

倒れている間に夢を見たような気もするし、見ていないような気もする。
今となっては、何もかもが曖昧すぎる。

「ムギガタナ、頭は痛くないか?」

ふいに医者から訊かれて、ムギガタナは倒れる前に頭が痛かったことを思い出した。

「今は痛くねぇ。」

「他に痛い箇所は?」

「しいていえば、目が痛(いて)ぇぐらいだな。」

「そりゃあ、いきなり起き上がるからだ。しばらく、おとなしくしてりゃあ治る。」

瞼の上に手の平を置いたままで、ジョリーが淡々と話す。
なんか調子が狂うな、とムギガタナは感じた。

「最初に名前訊いたりして、まるで診察してるみたいだな。」

「みたいだ、じゃなくて、診察してるんだよ。」

コホン、とお偉いお医者様のように一つ咳をして、自身が医者であることをジョリーがアピールする。

「いくら診察でも、テメェはおれの名前を知ってんだから、訊く必要はないだろ。」

バッカだなぁ、という意味を含ませた台詞に、医者は神妙な口調で言った。

「名前を訊いたのは確認のためだ。今のお前が、記憶を失う前のお前か、それとも、ムギガタナかってな。」

医者の診察結果にムギガタナは馬鹿にするのをやめた。

「何度か以前の記憶の断片を口走り、頭を痛がっていて、とうとう今回、意識まで飛ばしちまったから、起きた際には記憶が戻ったかもしれねぇ、と思ったが、結果はこの通りだ。」

ぽんぽん、と瞼の上に置いた手の平を動かしながら、医者が締め括(くく)る。

「ガキ扱いすんじゃねぇよ、中年。」

「まだ中年と呼ばれる歳じゃねえって言ってるだろ。」

「じゃあ、オッサンだな、オッサン。」

「オッサンじゃなくて、お兄様と呼べ。…‥でも、"オッサン"ね―‐」

子供を相手にしているかのような態度にムギガタナが反発し、ジョリーも言い返すが、最後に患者が『オッサン』を強調して言うと、医者は少し黙り込んだ。

「…‥まさか言う方から言われる方になるとはな。」

「はぁ?」

「ンなことより、ムギガタナ、ちっとは記憶が戻ったか?」

 ジョリーの独り言に、ムギガタナが聞き返す前に、医者は新たな話題を提示した。

「まだ、名前が戻ってはないだろうが、他に何か手掛かりは思い出せたか? …‥まさか、あんだけ騒動を起こして、何も掴めてないなら、『大山鳴動して鼠一匹』になっちまうぜ。」

「…‥悪い。」

ジョリーの問いにムギガタナは少し遅れて返事した。

「悪いって…‥、何が?」

「何も思い出せねぇことだよ!!」

医者の追及に自棄っぱちになって、ムギガタナが答えた。
大山鳴動したのに『鼠』ならまだしも、何も出て来なかったのだ。
苛つきを感じながら、ジョリーの返答を待っていると、彼もまた「悪い」と呟いた。

「あン? 何がだよ!?」

苛々をぶつけるようにして叫ぶと、医者が返答する。

「だから、訊いたことに対してだ! ただでさえ、記憶を失って情緒不安定なのに、お前を急かすってか、焦らすようなことを言ったから、『悪い』と言った!」

こちらもこちらで、自暴自棄じみて言うもんだから、どちらが大人なのか分かったものではない。

 ジョリーが言い切ると互いに黙り合ってしまい、奇妙な沈黙が広がる。
その静寂が堪え難くて、ムギガタナはうっすらと瞼を開けてみた。
ジョリーの指の合間から這い出る光は未だに痛く感じる。
医者の手の平は瞼どころか、額まで覆っていて、彼の、男の手の平の大きさを知った。

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あきゅろす。
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