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被らない帽子と抜かない刀
2

「違う! デマじゃない!! 本当に金はあるの!!!」

夢のない大人を叱り飛ばすように言うと、シルクは会話の矛先を変えた。

「もうっ! ムギガタナも酷いと思わない? …‥って、あれ?」

膨れっ面のまま、シルクが振り返ると先程までいた記憶喪失の男がいない。

(ま〜た、女か〜?)

呆れながら、何気無しに『ルビコン橋』を見て、ジョリーはギョッとした。

「ムギガタナ、テメェッ! 何してやがるっ!!??」

落下防止柵を跳び越えた青髪の医者は、柵の向こうにある橋と陸の接点、すなわち、崖すれすれの場所にしゃがみ込んでいた金髪の男の首根っこを猫よろしく引っ掴んで、慌てて柵内に連れ戻した。

「クソ医者、いきなり何しやがる!?」

急にされた行動に不平を言うムギガタナに、それ以上にカッカとしながら、ジョリーが崖を指差して怒鳴った。

「何してやがるのはテメェの方だ! 落ちたら、どうするんだ!!!」

こんな高さから落下したら、まず助かるまい。
ムギガタナからしたら、勝手に声を荒げる医者に、記憶喪失の男が反発する。

「ンなの、ガキじゃあるめぇし、落ちる訳(わきゃ)ねぇだろ!」

「おれからしたら、充分クソガキだ!! このバカガタナ!」

「ンだとっ、クソ青髪っ!! 刀を馬鹿にすんじゃねぇ!」

「前にも言ったが、おれが馬鹿にしたのは刀じゃなくて、テメェ自身だよ! このアホ金髪…‥いや、アホ金!!」

「変な風に略すな! バカ青!!」

「ところでっ!」

 やいのやいのと喧嘩する二人にシルクは嘆息しながら、なるべく大きな声で尋ねた。

「どうして、ムギガタナはあんなところにいたの?」

「それはね、シルクちゃ〜ん♪」

ジョリーが「鉄拳制裁っ!」と拳を繰り出したが、レディーを嗅ぎ付けたムギガタナが急に身を翻(ヒルガエ)してシルクの正面に立ったため、見事、空振りに終わってしまった。

「これを貴方にあげるためです。」

片膝を付き、中世の騎士のように畏(カシコ)まって、ムギガタナがシルクに差し出したのは小さな四つ葉のクローバーだった。
どうやら、彼が危険防止柵を乗り越え、崖っぷちにしゃがんでいたのは、これを取るためだったらしい。

「これって、幸せの四つ葉のクローバーじゃない! 私にくれるの?」

「勿論です。姫(プリンセス)の幸せを願うのは、騎士(ナイト)の役目ですから。」

劇の台本のような台詞を恥ずかしげもなく言い放ち、恭(ウヤウヤ)しく、騎士は四つ葉のクローバーを姫に手渡した。

「わぁ、ありがとう!! ムギガタナって優しいのねっ! …‥ホンット、どこぞかの医者と違って。」

その発言に、無様に拳骨をミスった"どこぞかの"医者が、むぅと口をへの字に曲げた。
シルクの影では、鼻の穴を膨らましながら、騎士"もどき"が

「シルクちゃ〜ん、おれに惚れた〜?」

と馬鹿げたことを言っている。

(あんにゃろ〜。)

子供染みた苛立ちを醸し出したまま、平民の医者はジトリと騎士"もどき"を睨み付け、報復を考えていた。

「何をお願いしよっかな〜?」

「おれとの結婚なんて、どう?」

「却下。」

「そういや、」

 ウキウキしているシルクとムギガタナに、ジョリーが水を差した。

「どうして、四つ葉のクローバーが人を幸せにできるか、知ってっか?」

「知らないけど…‥、ムギガタナ、知ってる?」

「いや…‥ってか、そんなのあったのか?」

あからさまに黒い影を潜ませている医者に、浮かれている二人は気付かない。

「ないなら、教えてやろう。」

ふふん、と偉そうにジョリーは告げた。

「幸せの四つ葉のクローバーってのは、元は黒魔術なんだぜ。」

医者がびしっと告げた割に、少女と記憶喪失の男は白(しら)けていた。

「…‥うわー、その歳(とし)で黒魔術って、正直きっつー。」

「その歳でとは、なんだ! おれはまだ三十二歳だぞ! …‥って、シルクまで聞いてんのか!?」

「…‥。」

引き気味の男の台詞にジョリーが顔を赤くして憤怒するが、シルクですらも顔を背(そむ)け、明後日の方角を見つめている。

「まぁ、いい! そもそも、四つ葉のクローバーってのは黒魔術で、他人にそれを見せることで相手を不幸にし、それと引き換えに自分が幸せになれる術っつーもんだ。タダで幸せは入らない、何かしら犠牲が必要ってことだな。」

何が、まぁ、いいのか語らずに、ジョリーは一息で蘊蓄(うんちく)にも似た雑学を披露(ひろう)した。

「つまりは、シルクの幸せと引き換えに、ムギガタナ、お前が不幸になるっつー算段だ。」

ケケケ、と悪魔染みた笑い声でも出しそうな勢いのジョリーに、シルクの拳があがった。

「医者のド阿呆!!」

「ぶへっ!!」

ジョリーの逆恨みは裏目となり、結果的にシルクからの鉄拳制裁をくらうこととなった。

「アンタの雑学の深さは知ってるけど、普通ね、そういう悪いことは知っていても黙っているもんでしょ!」

 医者を容赦なく殴った少女は、くるりと振り返ると、先程の態度とは打って変わって、ムギガタナに接した。

「ムギガタナ、医者の言うことなんて、本気にしなくていいからね。」

「あ〜んな野郎のこと、ハナから信じてませんよ。仮に本当でも、このムギガタナ、貴女のためなら、どんな不幸でも被ってみせましょうっ!」

鼻の下を伸ばして、デヘデヘと受け答えるムギガタナを見て、シルクが

(まともな人間に会いたい。)

と思ったのは仕方のないことだろう。
ジョリーはジョリーで、どうでもいい雑学を曝(さら)したせいで、ムギガタナに復讐どころか、更に墓穴を深くしてしまっている。

「くそっ! このアホ金め!! いっそのこと、シルクのためだ。地の底まで不幸になりやがれ。」

「フン、シルクちゅわんのためなら、いくらでも不幸になってやんぜ。でもよぉ、クソ医者、四つ葉のクローバーを見てんだから、テメェも不幸になるんだぜ。」

「お前と一緒に不幸なんて、それこそ不幸だ。死んでも願い下げたいもんだな。」

「それはこっちの台詞だ、青汁。」

なるべく静かに、それでいて相手の神経を逆撫でする言葉の応酬をする二人に、シルクは頭が痛くなった。

「…‥それに、人を不幸にしてまで、自分の幸せなんて手に入れたくないわよ。」

シルクのぼやきに、言い争いに夢中な二人は全く気付いてない。
一瞬、騒動の種となった四つ葉のクローバーを崖から捨てたくなった少女だったが、ムギガタナに失礼かつ、可哀相だと想い、ポケットに忍ばせていた手帳に挟むことにした。

「幸せの四つ葉のクローバーのロマンティックさをテメェのくだらねぇ雑学で汚すな! このヤブ医者!!」

「ヤブ医者とは、どういう了見だ、テメェ!! テメェなんか―‐」

「ところでっ!!」

顔があと数センチまで近付いてる二人を引き剥がすと、シルクは話を持ち出した。

「あの石碑に何て書いてあるか、気にならない?」

「気になりま〜す!」

「のわっ!」

ジョリーをドンッと押し退けると、ムギガタナはシルクの一番前に立った。
少しずつ少女は女性至上主義の男の扱いが分かってきた。
つまり、彼女が率先して会話をすればいいのだ。

「この石碑には、こう刻まれてあるの。」

ルビコン橋を背景にするように立ちながら、シルクは語った。

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