今は教室。いつものことながら総長君に抱きつかれています。なんだか今日は総長君の腕に力がいつも以上に入っていて、苦しくて仕方がないんですけど。
「はなして」
「‥‥」
先程から離せと言っても無視を決め込む総長君。寝ているはずはない。なぜなら
「別にチクサと何もないから」
「‥‥」
これもまた無視だが、体がピクリと反応している。どうやら昨日の事で怒っているらしい。なんで怒っているかなんて知らないけど。
今日は珍しく谷川がいない。うん、平和だ。
「ふざけてんじゃねーぞ!」
「はあ? ナマ言ってんじゃねえ!」
教室ではいつもの殴り合いが始まって、チャイムが鳴った。教師が教室に入ってきて、黒板の前に立つ。今から授業が始まるのかと思ったけど、手に持ったチョークで黒板に書かれたのは自習という文字。それも堂々と書かれているのではなく、控えめに。自習用であろうプリントを教卓の上に置いて、教師は去っていった。
これもまた、いつものこと。いつもならそのプリントを取りに行くのだが、この状況じゃあ無理そうだ。それにプリント見てもわからないし。そういえば総長君は勉強できるのだろうか。
「総長君」
「‥‥」
「総長君って勉強できるの?」
「‥‥」
無視かよ。
「‥‥おい」
「‥‥できる」
返ってきた答えに驚く。総長君も勉強できないと思っていたから。
「へー、何の科目?」
「保健」
総長君にまともな答えを求めた私が悪かったよ。
「‥‥教えてやろーか?」
「遠慮します」
「そうか?」
久しぶりに上げた顔はいつものように無邪気に笑っていて、手癖の悪さもいつも通りだった。最近思ったのだが、もしかして総長君ってマゾ?
「シーグーレ!」
急に、本当に急に私の前に現れた谷川。その顔はとてもにこやかで、いつもの谷川じゃなかった。
「お願いごと聞いてくれる?」
なんだか今日はかわいい。かわいいけど、背中に冷たいものを感じるのは気のせいですか? 気のせいであってほしい。
「‥‥いやです」
「まだ何も言ってないじゃん」
シュンとなる谷川。どうしよう、私ってかわいいものに弱いんだよね。
「話ぐらい、聞いてくれたって‥‥」
顔に手を当てて、肩を小さく揺らしながら泣き出してしまった谷川。え、これって私が悪いの?
「え、いや、え?」
困って総長君を見ると、顔を俯かせて今度こそ本気で寝ていた。周りを見てみるが、救いの手を差し伸べてくれる者はいなかった。一部の人間からは目線で攻撃されている。
「まあ、話を聞くだけなら」
ろくでもない話だろうとは思うが、聞くしかないらしい。
「まじで! あのなあのな!」
嘘泣きかこのやろー。
さっきとは打って変わって目をキラキラ輝かせながら、ペラペラと早口で話し出す谷川。すべて右耳から入って左耳から出ていく。
「で! シグレに俺の代わりをやってもらいたいわけよ!」
「え、なんの話?」
聞いていなかったから何の話かまったくわからない。谷川はそんな私を見て、溜め息を一つ吐く。
「俺の代わりに喫茶店のバイト、やってくれるよね?」
「バイト?」
「そ、バイト」
「‥‥時給いくら?」
「え、ないよ」
「は?」
給料なしのただ働きですか。それを私にしろって?
「自分でやりなよ」
「やー、めんどい」
最悪だこいつ。
「絶対にいや」
「はあ? やれよ」
最終的に命令かよ。横暴だよこの子。
「まあ、ついてきてよ」
着いて来いって言われても、無理。行きたくないし、それに総長君に抱きつかれて動けないから。ちょっと総長君に感謝。
「総長、シグレから離れて」
「‥‥」
「総長も来ていいから」
それまで眠っていたはずの総長君は、ぱっちり目を開けて顔を上げている。あんたは小学生か。
「後で写真あげるから」
「早く行くぞ、シグレ」
早いな、オイ。てか写真って何。
私は二人に無理やり立たされ、右に総長君、左に谷川というなんとも嫌な立ち位置で教室から出た。谷川に至っては、逃がすかの言わんばかりに腕を掴んでくる。痛いんですけど。
「今から行くんですか」
「うん。早いほうがいいからね」
谷川の顔が嬉しそうに見えるのは気のせいだろうか。
それから門を出て、私の家とは反対方向に歩いていく。しばらく歩いていると公園がある。そこでは小さな子供達が楽しそうに遊んでいることはなく、代わりにスウェットを着た頭が派手な兄ちゃんたちと、特攻服を着ておまけにマスクをつけているお姉さま方がいた。ここではいつも絶えず喧嘩が続いている。今日はお姉さま方の喧嘩のようで、おらおら言いながら猫パンチを繰り出しているその姿は、あまり見たくはなかった。
「ここだよ」
着いた先、公園の入り口真正面。
『喫茶店・根性』
絶対に喫茶店ではないと思う。ものすごい圧迫感を感じる。
それからずんずんと中に入っていく谷川。お客はやはりというべきか、不良たちのようだ。意外なことに、喧嘩が始まっていることはなく、ちゃんとイスに座ってご飯を食べていたり、飲み物を飲んだり、寝ている者もいた。
「タニカワ」
「おー」
声がしたほうに向くと、茶髪ロングヘヤーのスタイルがいいきれいな人がいた。羨ましい。
「あ、こいつシグレね。シグレが働くから」
もう決定事項なんですか。私の意見は無視ですか。
「テメーが働かないと意味ねえだろ」
そうそう、もっと言ってやってくださいよ、きれいでスタイルのいいお姉さん。
「えー、俺が仕事しないのわかるでしょ」
「わかるよ」
「だったら働いてくれる人がいいと思わない?」
「思うよ」
「だったらシグレ」
「お前を無理やり働かすから構わない」
「‥‥っち」
このお姉さん強い。あの谷川を黙らせた。
話はそれでまとまったらしく、谷川も渋々お姉さんの後についていった。厨房に入っていくのを最後まで見届けてから、私は総長君と顔を見合わせた。
「一件落着?」
「そんな感じだな」
「んー、じゃあ帰ろうか」
「シグレ」
「うん?」
「昼飯食っていかねえ?」
「それいいかもね」
谷川が働いている姿を見ることができるかもしれない。そんな風に心躍らせていると、突然厨房からガラガラガシャンという音が聞こえて、怒鳴り声が聞こえてきた。
店内は静まり返る。すると厨房の中から、あのきれいなお姉さんが出てきた。イスに座ろうとしている私を見て、しばらくの間止まっていたかと思うと、私の方に一直線に歩み寄ってくる。
嫌な予感がする。
お姉さんは私の目の前で止まりこう言った。
「今日からお嬢さんが働いてね」
やってらんない。
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