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狼御礼・拍手短編・番外編小説  (槙村・ヤマト)

「無事のご帰国お待ちしております」
「ふむ。帰国したら、アルマ殿に願おう」
 結婚を拒み、ただひとりを想い続けたイムホテップは、生涯のパートナーにルリを望んだ。
 まだ恋がどんな物かを知らぬルリは、純粋にイムホテップを慕い、尊敬する。
「もう時間だ。行かねばならぬ」
 他の子供よりも小柄なルリを、イムホテップは優しく抱き締める。
「お前のこの痣に誓おう。必ずや無事に帰国する」
 ルリの額に在る羽を広げた小さな痣に、イムホテップは額をそっと押し当てた。






「おい聞いたか? カエサル殿が暗殺されたぞ」
 夜半、ルリは最後の仕事を終えて、下男達と寝所へ戻る処に、神官のひとりが他の神官仲間に囁くのを聞いた。ルリは驚愕して立ち尽す。
「…此処は神の神殿だから大丈夫だよな?」
「イシス神が守って下さるさ」
「女王様は無事だろうか」
「無事でなくては困る」
 ルリは仲間から離れて、神殿への回廊を走った。満月がナイル川に映り、キラキラと輝いている。
「イシス様にお願いしなくては、イムホテップ様を守って下さるように」
 ルリの胸は張り裂けそうになる。
「アルマ様」
 イシス神に経を唱えるアルマと神官2人が振り返る。追い出そうとした神官に、アルマは手で制した。
「たった今聞きました、女王様はご無事なのでしょうか? イムホテップ様は…」
「神聖なる時間ですよ?」
「す、すみません」
 ルリは泣きながら床に額を押し当てた。
「神に祈りを捧げなさい。ナイルは全てに通じている」
 ルリはハッとして、立ち上がり、ぺこりとお辞儀をして踵を返した。ルリは神殿裏を流れるナイル川に来ると、満月を見上げた。
「神様、どうかイムホテップ様をお助け下さい」
 ルリは青く煌めくナイルに腰まで浸かり、朝方まで祈り続けた。
 朗報はそれから2日後に届く。
 クレオパトラが無事に帰国したのだ。ルリは居ても立ってもいられず、回廊を走り、クレオパトラを野乗せた船を停泊させる王宮へ急いだ。
 誰もがクレオパトラの無事を歓喜し、これから始まるであろうローマとの戦に身を震わせていた。
 遠くから、イムホテップの無事を確認したルリはホッと安堵し、そして美しい娘がイムホテップに泣きながら抱き着くのを見て、双眸を閉じた。
「あれが、イムホテップ様の婚約者だろう?」
「綺麗な方だねぇ」
 女達が話す傍らを、ルリは駆け出していた。



 その夜、ルリは眠れずにいたので、ナイル川へ脚を運んだ。
「神様、イムホテップ様をお守り下さって、ありがとうございます」
 大好きなイムホテップが無事に帰国した。あんなにも美しい婚約者まで居るのだ。無事に帰還しなくてはならなかった筈だ。ルリはこの胸に在る物が、『恋』なのだと知った。知って、幸福な我が身への夢は潰えたのだ。今頃婚約者と愛の時間を過ごしているだろう。

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