鬼畜オオカミと蜂蜜ハニー(鈴編) ・ 「え? えええええええっ!?」 小さな子供がきょろきょろと周りを泣きながら歩く。私はどうしたのかと声を掛けようとするが、何故か声が出ない。やがて子供は大きな狼を見付けると、安心したのか泣き止んで狼の首に抱き着いた。 狼は愛しげに子供の顔を舐めると、自分の背に乗せて歩き出した。 『待ってくれ、行かないでくれ!』 漸く出た声に、狼も子供も振り返らない。 『行くな、行かないでくれっ』 隼人は伸ばした自分の掌を見た。そして、隼人自身があの夢で見たアンリになっていた。 浅い眠りから目覚めた隼人は、傍らに立っていた女に気付いた。 「起きたの? びっくりしたわ、記憶喪失だなんて。私の事も忘れたの?」 「…すまない。あなたは?」 女は少し考える素振りを見せ、フッと微笑した。 「あなたの婚約者よ。お腹にはあなたの子供が居るの」 「…え?」 隼人は呆然として女を見詰めた。 「私はあずさ。あなたの妻になる女よ?」 「あず…さ…?」 「んふふ。そうね、明日にでもあなたのマンションに、私の荷物を運ぶわ。子供の部屋も必要よね?」 「…」 何故だか不安が頭に過ぎる。 忘れてはいけない何かが在る筈なのに。 夢に出て来たあの少年は、いったい…。 ペットOKのマンションで良かった。コンセルジュの人に一応友人から預かったと、説明したらすんなり信じてくれたけど…。結局大型犬? のジン(だと思う)と一緒にマンションまで帰宅していた。 「小早川の家に連れて行く訳にはいかないしな。疾風先生、犬苦手みたいだし」 鈴は犬…もとい狼を中へ入れると、取り敢えず隼人の服を持って来た。 「…寝てるし」 リビングの絨毯の上で丸くなって寝ている。 「まだ信じらんない、疲れてんのかな僕」 服をソファーに置いて、鈴はシャワーを浴びにバスルームへ向かう。そして、鈴は念の為内鍵を掛けた。 「勝手にキッチン使ってるぞ?」 髪の滴をタオルで拭きながら、パジャマ姿でリビングへ向かうと、美味しそうな匂いにお腹が鳴った。 「…」 鈴は白銀の狼を探したがやはり居なくて…この男があの狼だったのかと、やっぱり不思議に思った。 ジンは鈴が置いておいた隼人の服を着ている。 「この服着ても良かったんだろう?」 「え? あ…うん。ぴったりだね…何を作ってるの?」 「冷蔵庫に在った物で適当にな」 見れば野菜炒めにトマトのリゾット。 「美味しそう…」 「食う前に髪をドライヤーできちんと乾かせ、風邪をひくぞ」 なんだか薫みたいだ。ジンは鈴の鼻を摘まんで、上向かせた。 「早くしろ料理が冷めるだろ」 「うわっ、解ったってっ」 鈴は鼻を摩りながら、洗面所へ急いだ。 「これは夢? 現実? 狼がしゃべって人間になってご飯作るなんて……」 ドライヤーで髪を乾かせると、こっそりジンを眺めた。前回のシャワー室襲撃で、なんで鈴はこいつをマンションに入れたのか、後悔し始めていた。 食事を終えて、携帯の着信歴を見る。隼人から連絡は来ていない。溜息が零れた。 「直ぐに記憶なんて、戻らないか…」 落胆する。でもいつか鈴を思い出してくれると信じている。鈴は隼人のベッドに潜り込んで、隼人の匂いに包まれて、深い眠りに落ちた。 「ん…」 ドクンドクンと、規則正しく聴こえる鼓動に鈴は、違和感を覚えて眼が覚めた。視界に見えたのは逞しい胸板。鈴が飛び起きると、ジンが鈴の手を掴んで自分の腕にすっぽりと包んだ。 「まだ寝ていろ」 [*前へ][次へ#] [戻る] |