鬼畜オオカミと蜂蜜ハニー(鈴編) 幼い恋 母、薫が働く此処は個人病院『小早川医院』だ。 「んじゃ今夜はひとりでおねんねね〜どうしょう、お化けが出たら〜ママこわ〜い〜あ、でも里桜はママとおねんねするから ママはへ・い・き♪ でも鈴は可哀想にひとりでおねんねだわ〜予防接種したら、お化けが『こりゃかなわん』で逃げちゅうのにね?」 里桜は鈴を抱き締める手に力を入れた。 鈴をひとりで夜を過ごさせるなんて有り得ない。 事の起こりは天音家の母、薫のひと言から始まった。 健康管理に厳しい薫は、毎年冬になると、恒例となったインフルエンザの予防接種を受けさせに、薫は自分の働く『小早川医院』に連れて来ていたのだ。 「鈴、此処は大人しく覚悟を決めて…」 鈴はびっくりして里桜を見詰めた。 「にいちゃん?」 里桜も恐くて震えていたが、順番が来たので里桜は院長先生の許へ行かねばならず…。薫と受付のお姉さんが見守る中、里桜は院長先生の手に在る注射器を凝視した。 「に、にいちゃん?」 里桜は鈴から離れると、意を決して院長先生の前に出た。息を呑む鈴はどきどきしながら、耐え切れなくなって、とうとう泣き出してしまった。 「ほら鈴、里桜が終わったわよ」 見れば泣きたいのを我慢していたらしく、里桜は里桜らしく鈴に笑いかけた。 「ふえ〜〜〜」 鈴は大粒の涙を流しながら、ふと覆い被さるように影が出来たので、ふえっと声を上げながら背後を振り返った。 「賑やかだと思ったら、薫さんとこのチビ達じゃん」 「隼人君」 薫がにっこりと笑った。 「泣き顔も可愛いけど、どうしたの? 注射怖い?」 隼人はこの病院の跡取り息子だ。医者になる為に、いっぱい勉強している。今は帰宅したばかりなのか、高校の制服を着ている。同じ目線になるように、隼人は鈴の前に片膝を着いた。銀縁メガネの奥に在る、双眸は黒く切れ長の目尻を細めて微笑する。 「ひく」 鈴は嗚咽しながら、里桜を見た。小さな綿を接種痕に当てている。里桜を振り返った隼人は頷いて里桜の頭を撫でた。 「偉いな里桜君。じゃ、次は鈴君だね?」 「やっ!」 「鈴!」 薫がいい加減にしろとばかりに鈴を呼ぶ。 「ふ〜っ」 「鈴君泣かないで」 隼人が鈴を優しく抱き締めた。 「大丈夫。そうだ君におまじないをあげようか」 「?」 スラックスのポケットから、白いウサギのキーホルダーを出した。 「これは勇気が出る人形。泣きたい時に握って? そうしたら辛くないから。これをあげるから。それとね…お兄ちゃんも実は予防接種大っ嫌いなんだよ? 内緒ね? だから、お兄ちゃんが頑張るから見ててくれる?」 鈴はこくんと頷くと、隼人は鈴を抱き上げて、院長の晴臣の前に在る椅子に座り、鈴を自分の膝に座らせた。 「よ〜し隼人、覚悟は良いか?」 晴臣は面白がり、息子に腕を出せと促す。 鈴は目前に出された注射器を見て、真っ青になる。鈴は隼人の胸に縋り着いた。 「痛くないよ?」 微笑する隼人を見上げる鈴は、その凛々しい顔立ちに見とれ、そして直ぐにチクンとした感触に瞬きした。 「ほら終わった」 鈴は隼人の腕と自分の腕を見比べ、傍に居た里桜を見る。 「鈴凄いよ、終わったよ?」 「……終わったの?」 鈴は双眸を見開き、隼人を再び見上げた。 「鈴ちゃん偉いな」 頭を撫でられて、胸がトクンと鳴る。 手にはウサギのキーホルダー。 その日から鈴は、ウサギのキーホルダーを宝物にし、小早川隼人に淡い恋を抱き始めたんだ。 天音鈴、5歳の恋だった。 [次へ#] [戻る] |