Last battle "royal garden"
+00:27:33
真円の月が、星の無い夜空を穿っている。
星の煌めく夜空を雲が覆い隠しているのではなく、ここには始めから"そういったもの"が存在しない。夜になったら星が灯る、そんな常識が用意されていないこの場所なのに、偽物ながらも月だけが存在を主張している事が酷く中途半端だなと女は思っていた。
「──────桂ヒナギク、鷺ノ宮伊澄、共に生命反応消失。・・・・・・死んだか。思いのほか手こずったようだが、やはり力無き正義ってやつにはなんの意味も価値もありはしないんだよな」
辺り一面、広大な純白の花畑。その中心で女は深々と溜め息を吐くと、夜空に向いていた視線を眼前の少女へと戻した。
「さて、君の仲間はみんなお亡くなりになられてしまったけれども、まだ続けるかい?」
木刀を杖代わりにしなければ身体は崩れ落ちる寸前、息も絶え絶えの少女の全身は既に血まみれだった。足下の白は真紅へと花弁の色を変えている。
出血はじきに致死量へと達するだろう。それでもまだ少女は立っていた。
「愚問。とてもくだらない問いかけだ」
満身創痍の身体とはあまりに対照的な、強固な意思を宿したその眼光。黒衣の女は小さく笑って「それは失礼」と返した。
「想いの強さは人を高みへと連れていってくれるけれど、それはお山のてっぺんまでが限界なのさ。そこから先に行く術を持っていないから君は今死にかけていて、私は無傷でへらへらと笑っている」
血濡れの少女はその先の言葉を聞かずとも既に答えを知っている。この女の過去を含めた全てを少女は知ってしまっているのだから。
「大切なものを失って得た力・・・・・・絶望と狂気があなたを最強たらしめている」
「そう。そのどちらも持たない君じゃ、他の誰に勝てたとしても私には決して敵わない」
傲慢でも虚勢でもない。事実、恐竜と蟻ほどの力量差を見せつけられた少女にとって、女の言葉を疑う事など出来はしない。
「敵わない、か・・・・・・だから、なんなんだ」
何事もなかったかのように身体を立て直し、地面に突き刺さっていた木刀を引き抜く。刀身に滴っていた血を払うように軽く振り、舞う飛沫を蹴散らして駆け出す。
「相手が強くて勝てないから、なんだっていうんだ」
間合いは十足程度で敵は攻撃姿勢はおろか敵意さえ見せずに棒立ち。にもかかわらず少女は直線的な疾走を中断し、真横に跳ぶ。
──────直後、少女が跳ぶ前の地面が丸ごと抉れた。
銀色に輝く粒子が宙空で不気味に揺蕩う。
「はあ、まったく。退かなければ君はここで死んじゃうんだよ? それが怖くないっていうのなら、君は筋金の入ったマザコン野郎だ」
「構わない。それくらいの自覚はある。──────それと、マザコンは私にとって褒め言葉だから」
横に跳びながらも律義に答え、着地と同時に後方にまた跳ぶ。
眼前の光景全て灰塵と化す光線の如き粒子の束が少女の直前を掠っていく。
それはこの世に存在しない筈の白い炎。夜そのものを焼き尽くさんばかりのそれは、闇よりもなお死に近い色をしていた。
「親子の絆ってやつなのかね? 残念ながら理解は出来ないけれど、ほんの少しだけナギお嬢さまを羨ましく思うよ。こんな可愛らしい子にそこまで想ってもらえるのがさ・・・・・・いや、それにしても良く避けるよね、その傷で」
女の言葉には驚愕の感情が確かに含まれていた。既に事切れていてもなんらおかしくはないダメージを負っているのは間違いなく、立っているのもやっとの筈なのだ。
だっていうのに、少女の目は毛先ほどの絶望すら陰っていない。まだ年端もゆかぬ少女が死の淵まで追い詰められてなおこんな目をするのかと、女は柄にも無く戦慄を覚えてしまう。
「鍛えているから」
「ははっ! そんな簡単に言ってくれるなよ。筋トレ程度で凌がれてしまうなら魔法使いの名が廃るでしょうが」
後方跳びの着地の反動を使い、再び前方へ。木刀正宗が刀身を蒼く煌めかせると同時、駆けながら一太刀を放つ。
女をめがけて飛ぶ光の斬撃。障壁さえ斬り裂くそれを変わらずの無防備で迎える。避ける必要がまるで無い、そんな表情で。
攻撃側の少女も似た表情。当たる訳もない攻撃に始めからなんの期待も無いのだから、感情の揺らぎなど微塵もありはしない。
"それ"の巨躯が女を護るように、斬撃を軽い音と共に容易く弾いた。
「その魔法、いくらなんでも厄介が過ぎる」
「そりゃそうさ、これは私が今まで考えた中で最強もとい最悪の魔法なんだから」
銀色の鱗が月の光に反射し、幻想的とも言い難い、ただひたすらに畏怖の具現としての輝きをそれは放っていた。
「────────ッ」
広大な花畑に突如として響き渡る獣の咆哮。強烈という言葉では表現不足の音量は、精神が未熟な者なら耳に入れただけで失神するほどの代物であるばかりか、少女の身体を物理的に後退させるまでの衝撃を伴っていた。
「誰にだって護りたいものの一つや二つはある。それが命を賭けてでも護る価値のあるものだって、時にはあるだろう。けれど冷静になってもう一度考えてみる事だ、君の護りたいその誰かは、君がここで死んだらどれだけ悲しむかって事をさ」
長い咆哮が止み、後退しながら片膝を地面に着かせると軽く痙攣を起こしていた。今の衝撃音の影響もあるのだろうが、大量の失血が刻一刻と少女の身体を蝕んでいる。
残された時間はもう既に底が見えてきてしまっていた。
「嫌ってくらいに考えたよ。そんなの、もうとっくに」
二度、少女は何事も無かったように立ち上がる。命の残量と反比例するがごとく、その瞳に宿る闘志の色は濃さを増しているようだった。
「あなたの言う通り、あの人は私がこんな命のやり取りをする事なんて少しも望んではいない。彼女の望みを叶えようって話なら、私はここらで大人しく引き退って元の世界に帰るべきなんだと思う」
少女は思い返す、自分のいた世界とは異なる場所であるこの地で過ごした数日間を。
何も解らないままこの世界に呼び出された時には、まさかこんな命を賭けた戦いをする羽目になろうとは思いもしなかった。
一つの出逢いが今のこの状況を作り上げた。それでも微塵の後悔も少女には無い。出逢わなければ良かったなどと、一度でさえ浮かべる事も無かった。
無数に連なる世界の輪の中で、呼び出されたのが自分で本当に良かったと神に感謝すらしているくらいだから。
「でも、やっぱり駄目だ。私はあの人を救いたい。・・・・・・生きてて良かったって、そう思わせてあげたいんだ」
出逢った人は母親と同じ名前で、同じ姿と声で、同じ温もりを持っていて、目を背けたくなるくらいの傷を心に負っていた。
今目の前にいる女は死こそが唯一の救いだと言い、その人自身もそう口にした。馬鹿な話だと思った。だが時が経つにつれて理解もした。死による解放を簡単に否定するのは、心に痛みを持った事の無い者のエゴなのだと。
永遠にさえ思える孤独と傷の痛みを背負いながら、それでも生きろと口にするのはあまりに身勝手で無責任なのかもしれない。
「親子の絆って言うけど、そんなんじゃないんだ。始めは確かにそうだった、でも今は違う。三千院ナギだから、じゃない。私は──────」
それでもいいかなと、少女は思う。
エゴでも、無責任と罵られても一向に構わない。
自分が剣を取った理由を今もまだ覚えているのなら、信じた道を間違いだったなんて思う事もしない。
自分は心正しき聖人君主でも、ましてや正義の味方でもない。この身はどこにでもいる普通の、平凡極まる家庭で育った剣道を学んでいただけの女子中学生なのだから。
護りたいものを、護りたい時にしっかりと護れるように。
師の言葉を全うするのは今。だから逃げる事もしないし、敵わない相手だとしても負ける訳にはいかない。
「私の事を大切だって言ってくれたあの人だから、ここで命を賭けるんだ」
月さえ覆い隠すほどの巨大な翼が広げられ、豪風が一帯の花々を散らしてゆく。
黒衣の女は一度の跳躍のみで軽々と"それ"の背中へと着地する。
「──────そっか」
女は短くそう言うと、何も無い真正面の空間に右手を伸ばす。
空間に浮かぶ亀裂。その中から歪な形をした武器を取り出す。
長い棒状の先端に、無数の透き通った鉱石らしきもので出来た刃が密集している様は、まるで槍というよりかは魔女が空を飛ぶ時に乗る箒のような印象だった。
「もう何も言うまい。せめて敬意を払って、全力で殲滅するとしよう」
その言葉を合図に"それ"は女を乗せて飛翔する。
銀の双眸、爪と牙、その他ありとあらゆる部位がダイヤモンドをも凌ぐ硬度の魔法金属で錬成された生命体が星なき夜空を泳ぐ。
──────銀色の竜。虚構の月と魔女を背負い、今一度空間ごと揺るがす咆哮を上げた。
「魔法使いにドラゴン・・・・・・まったくもって、ファンタジーの極みだ」
揺らいできた視界を正し、木刀を両手で構え直しながら、今自分で口にした言葉に対して少しだけ吹き出してしまう。その文字の羅列があまりにも現実離れが過ぎていて。
そんな事を絶体絶命の今、少女は思う。そもそもこの場所自体が現実とは程遠い所だったような気もしたが。
──────木刀正宗に光が収束してゆく。それはまるで、周囲の景色の色を喰らい尽くしていくかのように。
「帰ってお母さんに話したら喜びそうだな・・・・・・こういうの、好きだろうし」
蒼い光の剣を担ぎ上げるように構える。
それに応えたか、銀色の竜がその巨大な口元付近に魔法陣を展開させていた。
「ああ、そうだ。一つだけ言い忘れていたよ、魔法使いさん」
既に声の届かぬ高度まで上昇した女に届くはずのない言葉を、しかし少女は言わずにはおけなかった。
「師匠も、伊澄さんも、誰一人死にはしない。あなたの魔法がどれだけ強かろうと、決して」
光の剣を振り下ろすのと、銀色の竜が白炎を吐き出すのがほぼ同時。
夥しいまでの閃光が視界一面を覆い尽くす。
「私達はあなたが思っているほど、弱くはないから」
──────ここは時の彼方。
世界の中心の丘に在ると云われる、古い王さまの妄執が作り上げた世界。
あらゆる願いを叶えるという神さまを閉じ込めた様はどこか牢獄にも似たこの場所。長い時を語り継いできた人々の間ではこう呼ばれていた。
王族の庭城と──────
──────To chapter 6
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