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子供店長とコスプレ女の日常
 



 個人経営の店が不況の中で生き残っていくというのは、まあなかなかに厳しい現実にある。ライバル店のいずれもが大手で、日本中にチェーンを展開しているのであれば尚更な話だ。
 風の噂では近々、駅前のすぐそばに大手チェーンのレンタルビデオショップを建設予定だとか。ただでさえ客足が少ないというのに、これ以上搾り取られたらきっと骨も残らない。牛乳なんて出ない。
 憂鬱である。そういえば今日は敷地代の振込期限だったか。新しく仕入れた商品の支払い期日だった気もする。
 気付けばレジカウンターの中で俺は頭を抱えていた。それは仕方ない、頭が痛いのだ。
 客は来ない。金はない。ついでに身長もない。神は慈悲すらないのか、身長くらいはなんとかしてくれればいいものを。
 諸々の感情を抑えるべくカルシウム摂取を試みようとしても、やはり牛乳はない。メイドに牛乳切れたから買ってきてとお使いを頼んだら何故か青汁を買ってきやがったから牛乳はない。逆にもしかしたら青汁を頼んでいればあいつは牛乳を買ってきてくれたのだろうか? ……いや、その場合はしっかりと青汁を買ってくるに違いない。だってあいつはそういう奴だもの。

 ばらばらと音を立て、陳列棚から商品がこぼれ落ちてゆく。
 寂れたレンタルビデオショップに不釣り合いなのかお似合いなのかよく判らないメイドが、見事にコケながら頭を棚へと直撃させた結果である。

「ああ……何やってんだよ、おまえは」
「す、すみません、若……なんだか今そこにバナナの皮が落ちているような気がして、つい」
「……ある訳ねーだろが。あったらあったで問題だっての。誰だよ店ん中で食ってた奴は」

 溜め息を堪えて頭をボリボリと掻きつつ、床に散らばった商品を拾うのをカウンターから出て手伝ってやる。
 ……ん? バナナの皮が落ちているような気がしただけであって、実際には何も落ちてなかったはずなのになんでこいつはコケたんだ? ああ、回避しようとしたのか。――とか、真面目に考える俺はきっと暇な奴だった。

「ありがとうございます。次はバナナの皮が見えても避けません!」
「……そうしたら実際にあった時またコケるだろ。ああいや、なんでもない。ぜひそうしてくれ」

 鼻息を荒く両手でガッツポーズしているメイドの額に絆創膏をペタリと貼ってカウンター内へと戻る。椅子に座り、頬杖をつきながら客の皆無な店内を見渡し直す休日の午後。

 ――と、客の入店を報せるベルが入口付近から響いた。

「おいっす。今日も冷やかしに来てやったぜ」

 トラだった。客ではなかった。

「毎日毎日……おまえ、まじでふざけんなって。金持ってないならもう来るな」
「おいおい……なんて店だよ。金のない奴は入店すら許されないのかい? 怖いところだねぇ、道理でいつもスカスカな訳だ」
「そこいらで黙っとけよ。ここをサファリパークか何かと勘違いしてるのかどうかは知らないけどな、少なくともトラの来るところじゃねーんだよ。いいかげん保健所に電話するぞコラ」

 凄みを利かせた眼光もなんのその、二足歩行のトラは外人のリアクションみたいに肩を竦める。……腹が立つ。ここに来るまでの間にどうして誰も通報しないんだ。
 心中でトラを安物の毛皮に変えつつ、なんとか怒りを鎮める事に成功。こちらのそんな内心も知らず、トラは何故か勝ち誇ったような憎たらしい冷笑とともに音楽コーナーへと消えていった。

「アレ、本当に毛皮になってくれたらいいのにな」

 そうしたら入口に敷いてあるマットと交換するのに、とか思ってみる。でも趣味が悪くて余計に客足が遠のくかも、などと思ってもみる。
 くだらない事を考えていると、メイドがモップを握りながらこちらに近付いてくる。

「あの……若? 試聴コーナーでまたトラみたいな何かがリズムを刻んでるんですけど……」
「ああ、あれは着ぐるみだから。中にちゃんと人が入ってるから大丈夫、そういう趣味の馬鹿なんだ。どうか哀れみの目で見守ってやってくれよ」
「はあ……なんかいつもそんな感じの説明をされてるような気がしますけど……分かりました」

 メイドは疑念を完全に振り払えないといった様子でモップとともに去りゆく。店内の奥でモップの端が棚に当たってまた商品をひっくり返していたが、今度は見て見ぬふりをした。頭痛がさっきより酷くなってきた気がするのだ。
 レジの隣に常備させてある救急箱から頭痛薬を取り出して飲もうとする。なんですぐ取れる場所に救急箱を置いているかっていうと、店内でよくコケるメイドがいるからだ。

「いいよな、あのドジっぷり。ほんと興奮とかしちゃうんだけど」

 頭痛薬を片手に持ったまま、唐突にカウンターの向こうから聞こえてきた声に眉根をひそめる。
 入口のセンサーに引っかからない幽霊らしき何かは神父の姿をしていた。

「いやほんと……金のない奴はお断りだから。冷やかしはトラだけで充分だから」
「いかんよ少年、そんな心構えでは。近頃、商品を買って帰らない客に冷たい店員が急増しているけどさ。手ぶらで店を出る時に無視されるアレ、結構心に来るんだよね。そこは些細なようで重要、その瞬間に店員のイメージってやつが決定したりするもんだ」
「あんたが無視されるのは幽霊だからだっての。……いいから帰ってくれよほんと。休日の稼ぎ時に客がトラと幽霊だけなんて、ついつい自殺したくなっちゃうからさ」

 そんな痛々しい現実にもめげずに声を振り絞ってみるも、相手はどこ吹く風。視界の奥であたふたしているメイドを恍惚とした表情で眺めるばかりだ。

「いいよなあ……あの狼狽っぷりが天然の証。私がまだ生前だったならびんびん勃ちじゃ済まされんよ。直角を通り越してきっと根元からもげた」
「悪霊退散」

 和服の幼なじみから頂戴したありがたい札を神父の後頭部に突き付けてやる。

「う、うおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお……光で……闇が、浄化されて……ゆ、く……」

 そうして不浄なる者は去った。後には何も残らない。きっと最初からここには何もなかったのだ。
 頭痛薬を口へと含み、コップに汲んできた水を一息で飲み干す。これで頭の痛みも少しは治まってくれるかと思いきや、人生はあくまでイバラの道であった。

「こんにちはー!! 白皇の美人教師が今日も来たよっ!! ……うぃっく。女一匹、教師道……桂先生の明日はどっちだ!?」

 酔っ払いが入店した。また金のない奴が来た。
 片手に一升瓶をぶら下げたダメ人間は千鳥足でこちらに近寄ってくる。見れば服はボロボロ、頭からは血が滴っていた。

「……大丈夫ですか?」
「大丈、ひっ、大丈夫大丈夫。商店街のスーパーで妹にちょっと殺されかけただけだから。それよりさあ……ひっく……聞いてよ子供店長。どういう訳かさ、先月の給料がもうないの。まだ給料日までしばらくあるってのにもうすっからかんなの」
「……そりゃ使ったからでしょ」
「うへへへへへ……はいっ! ずばりその通りなのであります!! 店長はちっちゃいのに頭がいいでちゅねぇ!!」

 頭を乱雑に撫でられても怒りはなかった。この時はむしろ哀れみさえ感じた。
 屈辱を伴うそれに怒りを抱かないのは大人になった証なのか。――それも少しはあるのかもしれないが、今はきっとそうじゃなかった。

「うっ……ごぼぁ……うえ……やば、店の中でゲロ吐いちゃった……でもいいよね! 子供店長は優しいもんね!!」
「はい。ちゃんと掃除しときますんで」
「うむうむ、良い生徒を持ったものだ。先生は嬉しくてもう一発ゲロしちゃいそうだよ」

 言葉通りに再度、夥しい量の汚物をカウンター前に撒き散らされようとも俺は遠い目でその大人を見据え続けた。

「それじゃ後の掃除はまかせた! 先生には大切な使命があるからこれにて退散! ばいばーい!! ――ん?」

 遅れてようやく気付いたのか、ダメ人間の後頭部に何かが突き付けられている。
 きっとそれは木刀で、ダメ人間の背後にある影は酔っ払いを綺麗に排除してくれる存在だった。

「あ、あれれ……? もしかして……まだお姉ちゃんを殺し足りないのかな……? あはあは……ご、ごごごごめんなさ――ふぎゃああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!!!」

 断末魔の雄叫びとともに血飛沫が散ったが、酔っ払いを消してくれた人物は床に散乱した汚物も一緒にモップで綺麗に掃除していき、最後には深い謝罪を繰り返してくれていたので受けた屈辱は水に流す事とした。

 店内は元の安穏とした空気を取り戻す。いまだ客はゼロ。トラと幽霊と酔っ払いしか来ていないからゼロ。そういえばトラはまだ音楽コーナーに居座っているのだろうか? 鬱陶しい。
 毛皮じゃなくて剥製にして店に飾ろうかと妄想するが、やはり趣味が悪いのでやめておいた。
 それと同時に誰かが入店する。今度もどうせ客じゃないんだろと自棄になって入口を見やる俺だったが、今度は本当に客だった。

「いらっしゃいませー」

 今日初めて口にしたであろうその言葉。小さすぎる出来事だというのに感動してしまった俺はもう手遅れなのかも。
 客はカウンターを横切り、店内の商品を物色しだす。
 ……客は見るからにオタクっぽい風貌の男であった。肥えた豚の如き肉厚の体。ピチピチに張り詰め、いかにもサイズが合っていなさそうなTシャツを着込んでいる。胸板周辺にはアニメキャラのプリントが施されていた。心なしかハアハアという息遣いが聞こえてきそうな勢いである。
 まあ客の風貌をじろじろ観察するのも失礼かなと思い、視線を外そうとしたその時だった。その男の視線の動きが妙である事に気付いてしまう。
 男は商品を物色しているようで、その脂ぎった目を店内の奥にやっていた。そこにいるのは今もまた棚の商品を散乱させてしまったメイドだ。
 錯覚かもしれないが、その男の舌なめずりが聞こえた気がした。

「――――」

 気に入らないとかではなく、生理的な嫌悪を感じる。あんな不潔な目で自分のメイドを見られている事に対して。
 ……だがどうしようもない。向こうは客で、そもそも視線を向けているだけだ。それをやめろと言う事は出来ない。
 棚に商品を戻し終え、はたきで埃の掃除をし始めたメイドの近くへと男が歩み寄ってゆく。

 そして――

「ひ、ひゃあっ!? な、なな何するんですか!?」

 男がそのいやらしい汗が滲み出ている手をメイドのスカートに潜り込ませて尻を弄る。その犯罪的な手つきに悲鳴が上がった。
 それでもまだ満足しないのか、男はもう一方の手を不快な動作とともにメイドのふくよかな胸元に這わせようとして、

「てめぇ!! 何しやがんだ……ッ!!」
「――――ッ」

 助走をつけた俺の蹴りで男は通路に吹き飛ぶ。メイドを庇うような立ち位置で床に倒れた痴漢男を睨みつける。
 ……今日はろくな客が来ない。なんでだ? 休日だぞ? 稼がなきゃなんない日なんだぞ? 泣いてもいいのか? 泣くぞ、まじで泣くぞ?

「俺のサキに手ぇ出しやがって……警察に通報してやる。てめえなんざ豚箱にでも入っとけ!!」
「――――ッ!」

 男はこちらの剣幕に動揺したのか狼狽しだした。いくら謝ったって許してやるものか。こいつは絶対に許してやらない。この豚野郎は俺の――

「……俺の?」

 なんだかその響きはとても問題アリなものではないだろうか? そんなどうでもいい事に首を傾げてしまったところで、トラが音楽コーナーからご機嫌な様子で戻ってきた。

「やっぱ音楽はクラシックだよな。今時のポップスなんざ足元にも及ばねぇ、高級で重厚な香りがそこにはあんのさ」

 やはり腹の立つ二足歩行獣は、こちらに気付いた素振りを見せると何故か男の元へと寄る。

「――お? なんだこいつ、背中にチャックなんか付けちゃってんじゃん。ジジジ……と、中には何が入ってんだ?」

 目を疑うような光景がそこに。喋るトラはそれ以上に奇怪な存在だがこの際は流すとして、気持ち悪いオタク男の背中にはまるで着ぐるみに付いているチャックのようなものがあり、トラはそれを躊躇う事なく開けてしまった。

「なっ――」

 蛹が羽化するが如くその中身から這い出てきたのは、丸眼鏡をかけた黒服のシスターだった。そして何故か涙目である。

「な、なんで……?」
「やっぱり……この女が大切なんだ……この女が、あなたの」
「へ……?」
「うう……しかも豚箱に入れだなんて……ひっく、こんなのやってられない……スーパーで盗んできたバナナを貪り食ってないとやってられない……ッ!!」
「いや……あの……?」

 もしゃもしゃとバナナを食べ始めたシスターと、いつの間にか帰っていったトラ。そしてどうしてか赤面しながら俺の顔をぼーっと見つめるメイド。少し時を遡れば幽霊とか酔っ払いとかがいて――やばい、意識が朦朧としてきた。本当に泣きそうだ。あと一回何か変な事が起きれば確実に俺は泣く。

「うわああああん!! お腹が痛いよ!! 男の子に思いっきり蹴られた後でバナナなんか食べたからすごく痛むんだよぅ!!」
「た、たいへん!! すぐに救急箱を持ってきますね!!」

 わんわんと、シスターが謎の大泣きを見せてきた。
 メイドは赤面から一転、慌てた様子でレジ横にある救急箱の元へと駆け出す。しかし、目の前にはシスターが食べ終わったバナナの残骸が。

「え、えっと……確かバナナの皮をもう避けないって、さっき若と約束したんだった!!」

 メイドはそのまま駆け、当たり前のように滑って転んで後頭部を強打し気絶。

 俺は泣いた。右手で顔を覆い、静かに笑いながら男涙を零す。
 ……だって、みんな馬鹿ばっかなんだもん。俺だけ真面目にやってても周囲には馬鹿しかいないんだもん。まともな客なんて誰も来やしないんだもん。
 泣いたっていいはずだ。たまには弱さを晒け出そう。男は涙の数だけ強くなるのだとなんかの本で読んだ。それを信じよう。
 ひとしきり涙を流し終えた後、ゆっくりと立ち上がってレジの方向へ。まだ泣いているシスターの手当てをしなければならない。メイドはもう無視だ、しばらく寝てればいい。

 レジの隣にある救急箱に手をかけると、客の入店を報せる音が聞こえた。
 覇気のない瞳でそちらを見ると、童顔で中性的な顔立ちをした、どっかの屋敷の執事がいた。

「この前のを返却するついでに、何か借りていこうかなって思うんですけど。面白い新作ありますか?」

 その言葉に、俺は自分でもびっくりするぐらいに優しい微笑みを浮かべてこう言ってしまう。

「今、おまえの事をとても愛おしく思うよ」
「……え゛?」

 執事が子供店長の中にホモを感じた瞬間であった。
 のちにホモ疑惑と名付けられたこの事件は、名探偵ナギの卓越した頭脳と地道な捜査により見事解決へ至る――といった予定は特にない訳だが。



End.

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