[通常モード] [URL送信]
Interlude
 


 眼下には胸に穴の空いた男が一人、息も絶え絶えに意識を失っている。なんの治療も施さなければ彼の命はここで終わる。治療とはいえ、ここは家の敷地とは名ばかりの森の中。今から電話で救急車を呼ぼうにも、医者の前に運ぶ頃には既に手遅れだろう。
 腰を下げ、鷺ノ宮伊澄はその透き通ったように白い掌を男の傷口に当てる。淡い光が、急速に拳大の穴を癒していくのが判る。

「────────」

 特に情が湧いたといった訳ではない。この作業は予定通りに行われているだけ。目的は殺す事ではなく、あくまで三千院ナギに会わせない事である。そして目的は既に達した。傷口は塞ぐが完全には癒さない。命に別状の無い範囲でこの男の身に刻まれたダメージは残しておく。おそらくそれで一週間は目が醒める事は無い。この男の人並外れた身体能力を加味した上での予測だ。早くて一週間、遅ければそれ以上。いずれにしても男が会いたい相手に会う事は二度と無い。

「なあ伊澄さん、ナギのアホたれはこの屑のどこに惚れたんやろか」

 近くの木に背を預けて腕を組み、伊澄の治療を受けている男を見下ろして咲夜は訊く。

「忘れたの? 一目惚れでしょ?」
「忘れとんのはそっちや。その勘違いの恋はうちらでナギにネタばらししたやろ。そうやなくて、その後の話」

 言われて、伊澄はああと思い返す。あれは何年前の話だっただろう、もう随分と遠い昔の気がする。
 一つの勘違いがあった。金銭に困った少年が一人、大金持ちの少女が一人。少年は少女を身代金目当てに誘拐しようと企てるのだが、その時の微妙な言い回しにより少女は愛の告白と勘違いしてしまった。それから少女の勘違いの恋は少なくとも二年は続いたはずで、このままではいずれきっと大変な事になる。そう思い至った友人二人はある日に少女へ真実を告げたのだが、彼女の反応は友人達の予想とはあまりにかけ離れたもので、

 ──────そうか、やっぱりな。

 などという、斜め上というか拍子抜けもいいところな、意を決して告白したこちら側が恥ずかしくなるくらいには淡白な幕引きであった事を覚えている。
 察するまでもなく三千院ナギはその恋が勘違いの産物である事に自力で気付いたのだろう。友人達、周囲の人間が思うよりもずっと彼女は大人だったという話。そこで諦めたのか、そうしなかったのかはその時は判らなかった。
 ただその後の数年も変わらず、かつて自分を金目的で誘拐しようとした男を隣に置き続けた事実が、彼女の恋が偽物から本物になった事を物語っていたのではないだろうか。
 勘違いでも構わない。ずっとそばに。そこに愛が無かったとしても──────そんな想いを幾重にも積み重ねて時を刻み、少女はやがて少女ではなくなった。
 思えばその頃からだったのかもしれない。彼女があまり笑わなくなっていったのは。

「惚れた腫れたの話はよく解らないわ。そういうの、私はあまり得意じゃないから。・・・・・・でも」
「でも?」
「ナギがこの人を本当の意味で好きになったのは多分、同じ夢を持ってたからじゃないかしら」

 咲夜はその言葉を頭で反芻させ、数秒考えこんだ後に「・・・漫画家?」と答えたが伊澄は首を横に振っただけで話を終わりにした。
 最低限の治療が終わる。後は男の身柄の処遇についてだが、鷺ノ宮家の黒服に何処かの病院にでも運ばせれば大丈夫だろう。
 立ち上がり、伊澄は血を吸った地面にうつ伏せで倒れたままの綾崎ハヤテを見つめて、彼が最後に口にした言葉を思い返している。

「ねえ、咲夜。あなた、三千院家に伝わるおとぎ話って知ってる?」
「はあ? なんやねん、突然」

 自分でも脈絡の無い話だったなと伊澄は少し反省した。「なんでもないわ、忘れて」と口にしてふっと笑う。
 何故に今こんな突拍子もない話を自分は切り出したのだろう、と伊澄は考える。原因としては伊澄が胸に穴を空けた男の、最後に放った一言に関係しているのか。
 ──────ナギ、と。お嬢さまではなくてその名を、男がその呼び方をした過去の場面は少なくとも伊澄の記憶に無い。
 名前を呼んだ。たったそれだけの、些細と言うにも取るに足らないその出来事はどういう訳なのか引き金となり、ふと口をついて出てきてしまったのだ。
 子供の頃に聞いたとある奇跡の話。子供の寝物語にしてはやや重い、大人が耳にするにはあまりに都合の良過ぎる。そんな、一人の愚かな人間が主人公の昔語り。
 ああ、だからなのだろうか。この男とその影が重なって見えたからなのか。
 そうでないのなら或いは、一度も名を呼ばれずに死した三千院ナギが、絶対的な死すら乗り越えた先で男の口から自分の名を引きずり出してみせたその──────あまりに小さな、しかし不可能に違いなかった事象を裏返した奇跡と、伊澄の知るおとぎ話が似ていたからなのかもしれない。

「おとぎ話って・・・・・・ああ、あれか。帝のじいちゃんがよう言うとったやつやな。えっと──────願いの石の伝説やったっけ?」

 どうでもいい話題だったにも関わらず、友人が律儀にも応えてくれたので伊澄は続ける。

「そう、古い王さまの話。欲望に取り憑かれた何処かの国の王さまが、星の力を集めて作った願いの石。あらゆる願いを叶えるという神さまを閉じ込めた世界への入口にして、持つ事こそが願いを口にする資格であるその石の名は──────」

 和服の帯の中から取り出す。石ころとも宝石とも言い難い、材質は水晶のそれだろうか内部に魔法陣のような紋章が灯っており、ペンダント状に加工されていた。

「──────王玉」

 咲夜は驚いたように目を見開く。今は亡き三千院帝から散々聞かされてきたおとぎ話、その話の中に登場した石の名。それと同じ名を冠したものを友人が自分の目の前に出してきた。
 架空の存在だと思い込んでいたものが今、咲夜の目の前に形として現れたのだ。驚くのは無理もない話だった。

「王玉・・・・・・って、冗談やろ? あれはボケてもうた帝のじいちゃんの世迷言で・・・」
「そうね、私もそう思うわ。これはなんの力も無いただの石ころなのかも」
「なんやそれ・・・・・・王玉と違うんか」
「確かめる術が無いという話よ。おじいさまは私にこれを王玉だと言って渡したけれど、それだけ。これが特別な石なのか、そもそもあのおとぎ話が本物だという証明にはならない。──────何より、晩年のおじいさまはかなりボケていたわ」
「ああ、ボケとったな。夜道を全裸で徘徊するくらいには」

 なんにせよ都合の良い奇跡。あらゆる願いが叶うというのなら、あと僅かな時間で死にゆく親友の命すら救えるに違いない。ただ、そんな便利な代物などあるはずもないと伊澄は考える。あったとして、彼女がその力に頼る事は今となってはもう無い。
 仮の話だが、その奇跡とやらで親友の命を救えたとする。そうして死を免れたその先──────三千院ナギの呪われた魂は再び別の形の死を運んでくる。意味が無いのだ。彼女が"死"そのものに魅了されている限り、何度その命を救ったところで同じ数だけまた死が訪れる。
 それに心は、死の運命を抜きにしても元通りになど戻らない。この石がどれほど奇跡を起こせる願望機だったとしても、壊れた心だけはたとえ神さまでも直せはしまい。
 伊澄はしばしの間、石を見つめた後でそのペンダントを昏睡状態の男の首にかけた。

「・・・・・・何しとんねん、伊澄さん」
「王玉は願いの石。──────そして絆の石。その輝きを最後まで守る事が出来たなら、愛の意味を知る事だって出来るらしいわ」
「なんや知らんけど、ナギとその男の間に何か期待しとんのやったらそれは大間違いやからな? そいつはナギを殺して、ナギはそいつに殺された。それが全てで、そこに絆やら愛やらはどう足掻いても成立せえへん。──────したらあかん。絶対に」

 反論の余地も無い。あまりに正し過ぎる友人の言葉。

「せやからうちらは会わせんように、」
「でも、私達にそんな事をする権利や資格なんて実はどこにも無いのよ、咲夜」

 その言葉に咲夜は押し黙る。納得などいかない顔で、それでも黙ったのは彼女自身もそう思うところがあったからだろう。
 この男はナギを殺した。それはたとえどんな理由だったとしても許せるものではない。だが、それなら自分達はどうなのだろうか。結局何も出来ずに友人をただ見殺しにした自分達もまた同罪なのではないのか。
 守れない事と殺す事は全くの同義なのだと、きっとあの魔法使いなら言うのだろうなと伊澄は考えてしまう。

「この石が起動する条件は負の感情の爆発──────それによって石は"道"を開き、その先で閉じ込められた神さまが願いを叶えてくれる」

 らしい、と曖昧さを後付けるのを忘れない。

「私はナギが死んだ夜、この石を握り締めて願ったわ。親友を救ってくださいって、何度も、何度も」
「・・・・・・伊澄さん」
「結果は言うまでもないわね。あの夜、私に出来た事なんて離れた場所からナギの致命傷をほんの少し軽くしただけ」

 一年前の夜。三千院ナギが企てた、とある計画の集大成の日。その夜、これから何が起きてどういう結末を迎えるのか、伊澄は知っていた。知った上で彼女は親友を決して止めはしなかった。姿も見せず、ただ彼女がしたいようにさせた。
 本来なら即死に至る傷をなんとか歩けるくらいにまで軽減させたのも、彼女の望む死に場所が別にあるのだと親友なりに感じていたから。
 ──────何が親友。ふざけた戯言を、と伊澄は今でもあの夜の感情を思い起こしてしまう。
 すぐにでも駆けつけて抱き締める事が出来た。自分の中にある全ての力を使えばその致命傷でさえどうにか出来たはずなのに、それをしなかった。
 秤にかけたのだ。三千院ナギの命と、その心とを。
 鷺ノ宮伊澄は後者を取った。今でもその選択に悔いは無い。ただ後から気付いた事がある。自分はその選択と引き換えに、彼女を親友と呼ぶ資格を代償として永遠に失ったのだと。

「私がこの石を持っていてもなんの意味もない。だから、この人の首に捨てていくわ」
「それこそなんの意味もないんと違うか? おとぎ話が全部ほんまもんやったとして、こいつに"道"は開けんやろ。そもそも目ぇ覚まさへんやろし。・・・・・・まあでも、タイミングは関係無いか。条件は負の感情だけやから」
「咲夜、別に私はこの人に想いを託した訳ではないのよ。"道"を開いてもらって神さまにナギを救うよう願って欲しい──────なんて思ってないわ」
「・・・ならどうして」
「むしろ開かないで欲しいとさえ思う。開かない事を、願いの石の伝説が全て嘘っぱちである事を証明させる為に、私は綾崎ハヤテに王玉を渡すの」

 咲夜は眉間に皺を寄せて、伊澄の言っている言葉の意味が解らないと疑問符を表情に浮かべる。
 伊澄はそんな咲夜を見てほんの少しだけ微笑み、彼女の横を通り過ぎて森を後にしようとする。

「だっておとぎ話じゃないのなら──────あの夜、石に願った私の想いはその程度の偽物って事になってしまうから」

 自分の果たせなかった想いを託すのではない。これは、親友に死なれてしまった人間の最後の意地だった。
 親友を亡くした夜、頬を伝った涙の味は忘れようもない。なんて無力で、何故自分はこんなにもちっぽけな存在なのだろうと自身を呪った。その負の感情を以ってしても王玉は沈黙を保ったまま、だからこの石は偽物。願いの石の伝説も全部偽物。
 ──────でも、と伊澄は幾度も繰り返したこの思考の最後にいつも同じ言葉で締め括る。
 三千院ナギと初めて出逢った瞬間からその死の運命が視えていた自分は、もう随分と昔に親友を諦めている自分の想いはとうに偽物と化しているのではないか、と。
 認めたくないという心は、友を殺した男に王玉を渡し、自分と同様に"道"を開けない事を確かめようとしているようなのだが、

「ふふっ・・・・・・そんな考え自体が、偽物だっていうのに」

 背中越しの渇いた笑いに、咲夜は嘆息する。

「・・・アホやな。親友助けたいゆう気持ちに本物も偽物もあるか」

 咲夜はその去る背中に続くように、組んだ腕を解いて木に預けていた背を離し、最後に倒れた男を一瞥する。行き場のない怒りを抱えつつも、それ以上に親友が悲しむような事をしている自分に嫌気が差して仕方がない。
 本当にこれが親友の為に出来る正しい行動なのか、確信などあるはずもない。
 これ以上は傷つかない。それだけは確かで、しかし親友の笑顔を取り戻す事もまた無いのだろう。最善策とは名ばかりなこの逃げの一手が正しいのか、それとも間違えているのか。今の彼女達には知る由もない事だった。

 しばらくお互い無言のまま歩き続けて、暗い森の出口、白い光が前方に漏れてきたところで不意に伊澄は立ち止まる。咲夜はその急停止に気付かず顔を伊澄の背中に直撃させた。

「──────ところで咲夜。ナギの手料理って美味しいと思う?」

 咲夜は涙目で鼻をさすりながら「はあ?」と言い、伊澄は珍しく申し訳なさそうな顔で「ごめんなさい」と急に立ち止まった事に対してではなく、唐突で意味のない質問をしてしまった事について詫びていた。



Interlude out.

[前へ*][次へ#]
[戻る]


第3回BLove小説漫画コンテスト開催中
[小説ナビ|小説大賞]
無料HPエムペ!