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Interlude
 



「はあ……はあ……」

 息も切れ、走るのも辛くなってきたところで、西沢歩は一時だけ足を止めた。

「完全に……はあ……見失っちゃった……おかしいな……」

 道路を走る車の流れ、スクランブル交差点を闊歩してゆく人の波。平日の都心は午前中にも関わらず活気に溢れていた。
 歩は周囲を注意深く見渡すが、探し人の姿は見つからない。

「橋は確かに通ったから、この辺りに出ているはずなのに……ええと、」

 歩は河川敷から遠ざかっていったナギを追っていた。
 最後に後ろ姿を捉えたのは川を跨ぐ鉄橋だ。魔法使いと話をしていたのが橋下で、ちょうどその上の部分である。
 すぐに追いつくはずだった。ナギは別に走るでもなく、ゆっくりと歩いていたから走ればその差はすぐに埋まる。
 問題は橋の上に出来た人だかりだった。何か事件でも起きたらしく、パトカーが何台も止まっていたのだ。
 大勢の警官と、野次馬。その中にナギは消えていき、歩がそれらに手こずりながらも通り抜けた時にはもう見失った後だった。
 ナギの進行方向から見当をつけて先回りしてみたのだが、それはどうやらハズレだったらしい。

「困ったな……ナギちゃんの行きそうな場所なんて全然心当たりがないし」

 歩は途方に暮れるしかない。この人通りの多さの中、なんの手がかりもなく一人の人間を見つけるなんてほぼ不可能だ。
 そんな事は誰に言われずとも歩は分かっている。ただ、その程度の現実では歩を諦めさせるに足らない。
 歩は走るのを再開させる。仕事をクビになってからというもの、エネルギーだけはあり余っている。

 それに何より――

「自殺……殺した……?」

 嫌な響きの言葉だった。それらが、歩の友人達の口から飛び出していたのを彼女はしっかりと聞いてしまっていた。
 その友人達の様子もおかしかった。不穏、険悪とも言い難い、異常な空気だった気がする。
 河川敷に現れた人物は、本当に桂ヒナギクだっただろうか? 昨日、雨道で倒れていたのは確かに三千院ナギだと、自信を持って言えるのか?
 時間の流れは人を変える、誰かがそう言っていた。間違いではないだろう、良くも悪くも人は変わる。変わるが故の、人だろう。
 だが、あれは変わるといった次元じゃない。
 あれは……別人だ。これが逃げの思考だとしても、そう思い至るのは普通だ。
 別人ではなく確かに本人だと、逃げる事を許さないのなら歩は誰かに教えて欲しかった。
 人をあそこまで変貌させるものとは、一体なんなのかと。
 時間の流れ? まさかだろう。もっと何か別の、決定的な出来事がなければああはならない。
 その出来事というのに、“自殺”や“殺した”といった言葉が関わってくるのだろうか?

「さっぱり分からない……分からないけど……」

 悪い予感だけはする。昨夜と同じ。三千院ナギの手を離してしまえば、まるで、二度と会えなくなるような――そんな予感。

「……早く見つけなきゃ」

 もう考えるのはやめよう。西沢歩は名探偵ではない。どんな手がかりを与えられようとも、真実に辿り着けそうにない。

“私は……あなたを、殺したんだもの”
“三千院ナギは頭がぶっ壊れて、いつかの春に殺人未遂を犯して――自殺した。それが真実”

 そう、決して。桂ヒナギクと三千院ナギの会話を一言一句、間違う事なく記憶したはずのくせに分からないなどと言う自分には。
 謎なんてない。だから名探偵も必要ない。真実はもう明かされた後なのだ。
 足りないのはあと一歩。西沢歩は今、友人を探すべく走り回っているようで、実は無意識に足を止めている。
 何も知らない西沢歩。けれど彼女は、本当はもう気付いているのかもしれない。
 その一歩進んだ先が、救いようのない絶望である事を。
 だから走る。止まれば嫌でも思考してしまう。止まってしまうと、進んでしまうのだ。その、行きたくない場所へ。

 どれくらい走っただろう。陽はもう真上に来ている。
 息は完全に切れてしまい、雑踏の片隅で両膝に手をつく。流れ落ちる汗を拭う気力も残されていない。
 二時間以上も走りっぱなしで、さすがに意識が朦朧としている。しかし流れていく人波はそんな歩を気にも留めない。
 それにしても喉が渇いた。全身を雑巾絞りでもされたかのように水分が体から消えている。
 どこかに自動販売機がないか探してみるが、そもそも財布を家に置いてきたのでどうにもならない事を知る。

「いかがですかー、当店自慢のスペシャルドリンクはいかがですかー、おいしいですよー」

 そんな時だった。視界の奥で何やら暑苦しい着ぐるみを来た人が飲み物を配っていたのだ。

「ちょ、ちょうど良かった……水……」
「スペシャルドリンクの中身は企業秘密で教えられませんー、ゴーヤとドリアンと鯖と納豆とあと何か一つなんて口が裂けても教えられませんー」

 着ぐるみに近付こうとした歩は思わず後退ってしまった。
 ……やめておこう。飲み物は欲しいが、あくまで人間の飲み物が欲しいのだ。そう思い、着ぐるみの横をさりげなく通り抜けようとしたのだが――

「スペシャルドリンク、どうぞー」
「う、」

 しかし、着ぐるみはそうはさせてくれなかった。即座に歩の進行方向を阻み、異様な臭いと毒々しい暗緑色を放つ液体を歩に差し出してきた。
 飲んだら絶対に死ぬと、肌で感じる。これは全力で拒否しなければ――そう心に決めつつも、着ぐるみの愛くるしく憎めない眼差しが歩に拒否を許してくれない。
 ちなみにこの緑色の怪獣を模した着ぐるみは、その背後に構える最近出来たばかりのファミリーレストランのオリジナルキャラクター“がちょぴん”であり、某子供向け番組のマスコットとは一切関係がない。

「どうぞー」
「うぅ……」

 なおも迫り来る着ぐるみ。歩はとうとう紙コップを手渡されてしまった。
 着ぐるみは歩を見つめ続けている。早く飲め、という事らしい。

「え、ええい! こうなったら西沢歩、男を見せよう!! 胃袋は鉄で出来ている!!」

 歩は何故か覚悟を決めてしまい、危険臭しかしない液体を一気に飲み干すという暴挙に出た。
 一つ訂正すると、彼女はロボットではないので胃袋がメタリックな訳はない。胸からミサイルが出たりもしない。

「……? あ、あれ? 意外と普通……」

 というよりも、むしろ美味しかった。臭いと見た目がグロテスクなだけで味に問題はなかったらしい。
 拍子抜けした様子の歩を、着ぐるみはどこか感心した様子で見つめている。

「……すごいですね。通りかかる人は誰も飲もうとしなかったのに」
「はあ……いやまあ、それほどでも」

 マスコットキャラクターとしての気さくな口調は影を潜め、やけにおっとりとした声色が着ぐるみの中から聞こえてきた。
 若い女性とおぼしきその声からは、どことなく隠しきれない上品さを感じさせる。

「どうですか、もう一杯。なんだか疲れてるみたいですし」
「へ? ああ……それじゃ、もう一杯だけ頂いちゃおうかな」

 着ぐるみの言葉に甘えて二杯目。やはり美味しかった。そもそもよく考えてみれば、新規オープンの店が不味いものを街頭で配る訳もない。

「ぷはぁ……生き返った……ありがとうございました」
「いえ、私は特に何も」

 歩が感謝の礼をすると、着ぐるみは軽い会釈を返した後で、残りの試飲を配るべく他の通行人の近くへ寄ろうとする。

「あ、すみません。この辺で金髪の女性を見かけませんでしたか?」

 歩は駄目もとで着ぐるみに訊いてみた。ろくな手がかりがない以上、こうやって道行く人に訊いて回るしかないのかもしれない。
 着ぐるみは動きを止め、歩の方を見た。

「金髪の女性?」
「はい。背はちっちゃくてこれくらいで、目付きは悪いんですけど可愛くて、ええと、」

 歩は身振り手振りを交えてナギの特徴を伝えていく。
 着ぐるみは黙って歩の説明を聞いていた。

「そんな女性を見かけたりは……」
「ごめんなさい。私は見かけてないです」

 当然といえば当然だが、着ぐるみはナギの行方を知らなかった。
 落胆するほど期待していた訳でもないのに、表情にはそういう風に出ていた。

「そうですか……ありがとうございました。それじゃ、」
「橋の向こう。負け犬公園」
「……え?」
「いえ、独り言です。気にしないでください」

 着ぐるみの女性はそう言った後で、自らの仕事に戻っていった。通行人に例のスペシャルドリンクを勧めていくが、当然のように断られていく。
 少し立ち尽くしていた歩の視界には既に着ぐるみの姿はない。より人通りの多い場所に移動したのだろう。しかし、味は良くともそれ以外の要素がよろしくないあの飲み物を配り終えるのが至難の業である事には違いない。
 アルバイトだったのだろうか、お金を稼ぐのはやはり大変だなと改めて思う歩だが今はどうでもいい事だった。

「……ん? 橋の向こう?」

 今さっき、着ぐるみが呟いた独り言がどういう訳か引っかかった。
 この場所から言うところの橋の向こうとは、つまり歩の家やナギの屋敷があった住宅街に当たる。歩達がさっきまでいた場所だ。そこからナギの姿を追って橋を越えてきた訳だが――

「まさか……」

 あまり浮かべたくない予想だが、そういうのに限ってよく当たるのが世の常。西沢歩はまんまと勘違いさせられたのかもしれない。

「ナギちゃん、橋を越えていない?」

 歩はナギが橋を越えて都心方面に向かったものとばかり思っていた。しかしそれは確実ではない。
 なにせ橋はパトカーと野次馬でごった返していた。その中にナギは消えていったが、実際に橋を渡った場面を見た訳ではない。
 こうは考えられないだろうか? ナギは後ろから追いかけてくる歩に気付いており、振り切りたかった。しかし走るのではナギは体力で劣る。そこであの人垣を利用した。歩に橋を越えたと思いこませ、彼女が見当違いの方向に行ったのを見届けた後に住宅街の方へと引き返した。
 考えられない事でもない。現に都心へ先回りしてもナギの姿を見つけられなかったのだから、むしろそちらが有力と言える。

「屋敷に戻った……? それともどこか他の、」



“橋の向こう。負け犬公園”



「そういえば公園とかもあったっけ……」

 着ぐるみの女性が放った言葉は既に忘れていたが、無意識下に刻まれたその言葉が歩に特定の場所を連想させる。

「――よし、とりあえず引き返、そ……う……?」

 来た道に向き直った瞬間、西沢歩の背景に凄まじい稲妻が降り注いだ。
 次いで、腹部の辺りから痛々しい破壊音が。

「ぁ……お、おなか……が……?」

 さて、西沢歩は宇宙人にさらわれて腹部に爆弾を埋め込まれでもしたのか。
 そう言われると最近そんな感じの夢を見た気がしないでもないが、一応今回はそうではないと明言しておこう。
 原因はもちろん、着ぐるみが配っていた謎の液体である。やはり見た目に違わない毒物だったのだ。

「う、おおぉ……これは、ちょっと、ピンチなんじゃないかな……?」

 歩はその場から一歩たりとも動く事が出来なくなり、奇妙なポーズをしながら石像のごとく硬直。
 母親に連れられた幼い子供がそれを見て、きゃっきゃっと指差しながら笑っていた。



Interlude out.

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