[通常モード] [URL送信]
[
 



 -154:02:19



 世の中には人の話をまったく聞かず、加えてお節介で心配性な馬鹿が稀にいるとか。
 つまるところ、西沢歩という人間がそれだった。
 こめかみに走る確かな頭痛を感じつつ、私は川沿いの道を歩いている。
 右後方を振り返ってみると、平日だというのに普段着で外を闊歩している間抜け面の失業者。
 左後方を振り返ってみると、木刀が入っているであろう細長い布を片手に握っている謎少女。

 ……ただひたすらに頭が痛かった。一体、私は何度この追跡者たちに「ついてくるな」と言っただろう? よく覚えていないが、頭が痛くなるほど口にしたのだろう。だって頭が痛いのだから。
 既に目的地は目と鼻の先である。ここまでついてこられた事に対しては溜め息しか出ない。
 一人で河川敷に出かけようとしたのは、この二人を危険に巻き込むまいとした私なりの考えによるものだった訳だが……甘い考えだった。そりゃもう、ティラミスに蜂蜜とアンコを大量にぶっかけたやつ、もしくはまったく運動せずに痩せようと深夜の通販番組でダイエットマシーンおよび食品を購入しまくる豚野郎よりも甘かった。
 西沢歩にそんなものは通用しない。まるでこちらの心を見透かしたかのように、そいつは私の「散歩に行ってくる」という発言に裏がある事を見抜いたのだった。
 勘の鋭い奴だと一瞬思いかけたが、そうではない。歩はこう言った。「朝の散歩だなんて、私の知ってるナギちゃんは絶対にそんな健康的な事は言わないんだから」と。……ああ、確かにそうだ。三千院ナギとは不健康の代名詞だというのに散歩などと、私は何を血迷った発言をしてしまったのだろう? 激しく反省する。
 そして結果が二人を引き連れているこの状況。歩の方はもう何を言っても「ついていく」の一点張りだったので、せめてソラは歩の家にいてくれと、そう言おうとした矢先に「あの人と直接会って確かめたいので」と言われてしまう私。散歩と称して私がどこに向かおうとしていたか、この察しの良い女の子は気付いていたようだ。

 川に架かったアーチ状の鉄橋の上では何かの事故だろうか、赤色灯の付いた車が何台か止まっていたが興味はそちらに向かない。
 その下方、東から差し込む朝陽によって薄く照らされた鉄橋の影の中で、魔法使いはぼんやりとした横顔で釣りをしていた。

「……え? あの人?」

 歩が少し驚いた表情をみせる。その反応は分からないでもない。
 私はあの女が人を殺した瞬間を目の当たりにした訳ではないから、明確な違いは判然としないが歩は見たのだろう。だからこそ驚く。
 遠目に見えるその姿は、まるで緊張感が抜け落ちたようなものだったから。

 緑草の生い茂った土手の斜面を下り、そいつに後ろから近付いていった。

「おはよう、タヌキ女。今日はよく釣れてるか?」
「ごきげんよう、金髪チビ。いやあ今日も駄目だね、全然釣れない」

 ささやかな悪意が込められた挨拶もそこそこに、私は本題を切り出す。だらだらと無駄話をするつもりはない。

「いくつか質問に答えてもらう。拒否も虚偽も許さん」
「こりゃまたいきなりだねぇ。おねーさん、ちゃんと答えられるかしら?」

 魔法使いは竿を握り、川面と向かい合ったままの姿勢で口元に笑みを作る。
 朝陽に照らされた方の横顔は、客観的に見ればものすごい美人なのかもしれないが、私の目にはどうしても胡散臭さしか感じない。

「昨夜、私の屋敷が見るも無惨な瓦礫と化したんだけどさ。一体全体どういうつもりだ、こら」
「そりゃあご愁傷さまでした。人生色々、家が吹っ飛ぶくらいよくある事だよ。そう気落ちしなさんな、どんまいどんまい! それにキミには寝床を貸してくれる優しい友達が――あっ、こら! おねーさんの背中を蹴るな! 痛い!!」

 がすっ、がすっ、と魔法使いの背中に軽い蹴りを連続で食らわしてやる。

「いたたた……キミ、すぐ暴力に訴えるその性格は直した方がいいよ」
「余計なお世話だ。……っていうか、おまえにだけは性格をどうこう言われたくない気がする」

 背中をさすりながらも釣りをやめようとしない魔法使い。そこに次の質問を投げかける。

「……まあ屋敷に関しては別にいい。そんな事より、おまえは本当に何がしたいんだよ」
「さて、なんの話かな?」
「いちいちとぼけるのはおまえのお約束かなんかなのか? そうだったらもうやめろ、誰も望んじゃいない。――おまえが私を助ける目的、動機、洗いざらい全て吐け」

 口調、眼光にも凄みを利かせて発するが、目の前の背中はそれらを苦もなく受け流してしまう。

「そう言われても困ってしまうな。目的は確か昨日言ったはずだし」
「言ってない。昨日は訊いても“神さまの真似事”とか訳の解らん事を返してきただけだろ」
「充分でしょうが。その言葉の意味はキミの中で読み解いて勝手に理解してほしい」
「ふざけるな。今ここで、その口から解りやすく白状してもらう。後ろめたい事じゃなかったら簡単に言えるよな?」

 いったん息を吐いて、小さく吸う。

「――もう一度訊く。魔法使いはなんの為に、三千院ナギを助けようとする?」

 自分で言っておいてなんだが、良く通った声だった。風もこの瞬間だけは止まり、橋の上の喧騒も今は遠い。今の声は対岸にさえ届いたのでは――そう思ってしまうほどの静寂。
 魔法使いが腰を上げた。釣糸を巻き上げ、竿を肩に当てながらこちらを振り向く。
 真紅の瞳は燃え盛る炎というより、冷徹な血の印象である。

「強いて言うなら、娯楽だよ」

 短い言葉。しかし、それこそが全てだったのかもしれない。

「どうしようもない悲劇をさ、ほんの少し変えてみたいと思った。あの夜に見つけた死体は、私の遊び心を満たすに相応しい素材だったんだろう。――それだけの話だ」

 冗談っぽい口調にも拘わらず、その口元は陰惨な笑みを浮かべていた。紅い瞳はそれこそ、視線だけで誰かを殺せてしまいそうな冷気を湛える。
 微かに息を呑む音が私の背後から聞こえた。きっと歩だろう。私と魔法使いの会話の意味は解らないだろうが、魔法使いの常人とはかけ離れた雰囲気に気圧されているのかもしれない。

「ふーん……つまり私はおまえにとって、持て余した暇を潰す為の玩具って訳か」

 私はさして恐怖を抱く事もせず、平然と魔法使いの放つ雰囲気を受け止める。感情が麻痺しているでも、強がりでもない。
 何も、感じない。仮にこの女が殺気全開で私を睨んだとしても、顔色一つ変えない自信さえあった。
 どうしてだろうか、実に不思議な感覚だ。

「玩具か。まあ妥当な表現かも」
「そうか。……で? 神さまの真似事ってのは?」
「言葉通りの意味だよ。キミ達の言う神さまっていうのは、絶望的な状況に一筋の希望を与える存在の事だろう? 私はそれを真似ているじゃないか」

 魔法使いの視線が一瞬、私から僅かに横へと逸れた。その先にはソラという女の子がいるはずだが。
 魔法使いは再びこちらを見て、首を傾げる。納得したか、そう訊いているようだ。

「ああ。やっぱり私はおまえの事が嫌いだ」
「大丈夫、おねーさんもキミの事は嫌いだから」

 たとえ天地がひっくり返ろうとも、決して仲良くなれそうもない相手と睨み合うこと十数秒。
 先に折れたのは魔法使いで、やれやれと嘆息してくる。
 そいつが今の今まで手にしていた釣竿は、いつの間にか消えていた。

「おい、待て」

 何処かへ立ち去ろうとしていた魔法使いを呼び止める。

「何かな? おねーさんはこう見えて結構忙しいんだよね」
「嘘こけ。忙しい奴が川で釣りしてる訳ないだろ」
「本当だって。これから朝ごはん食べに行くんだから、キミにかまってる暇なんてないの。……昨夜は食べ損なったし、もうお腹ぺこぺこだよ」

 腹部を抱えて、いかにも空腹そうな情けない表情をする魔法使い。
 ……そんなの知るか。こっちにはまだ訊きたい事が残っているのだ。

「質問はまだ終わってない。それにもちゃんと答えろよ? 魔法使い」
「焦れったいねぇ……本当の本当に訊きたい事は一番始めに持ってきてほしいものだ。屋敷がなくなった事も、私の目的も、三千院ナギはそこまで興味がない。キミが今、一番知りたいのは――」

 今度はしっかりと、魔法使いの瞳が私の後方に佇む少女へと向けられる。

「あの子は一体なんなんだ? おまえは魔法であのソラって子を屋敷の庭に出現させたんだろ? ならその意味は? おまえの娯楽とやらに、あの子はどんな影響を及ぼすっていうのだ」

 まくし立て、魔法使いを見据えるがあくまでそいつは涼しげな反応しか示さない。

「“反属性”――と言っても解らないか。うーん……まあ、別になんでもいいじゃないか」
「めんどくさがるな。しっかりきっかり答えろ」
「あー、やっぱり答えない方向で。なんだか急にダルくなってきた」
「……おい」
「彼女が何者かなんて本人に直接訊けばいいし、それでも解らない事があったらその壊れかけの頭で考えればいい。私がキミに語る必要性は特に感じられないね」
「この……タヌキ女」

 私の肩を通り過ぎ、歩とソラの間をゆったりとした足取りで抜けた魔法使いは、少し離れた位置で立ち止まる。

「でも、他人の空似だなんて思ってる訳じゃないだろう?」

 振り向きざまに見せてきたのは、心底楽しげに歪んだ笑顔だった。
 問いかけてるようで、私が何を言っても答えるつもりはないのだろう。そんな顔だ。
 ……ああ、やっぱりここに来ても無駄だった。魔法使いは肝心なところを何も語ろうとしない。
 苛立ちを含んだ溜め息をつく。きっと、もうこの場にいても何も訊き出せないに違いない。
 また頭が痛くなってきそうなところで、魔法使いに歩み寄る者がいた。

「……あの」

 ソラだった。控えめな声と落ち着いた色の瞳を魔法使いに向ける。
 すると、魔法使いが無言でソラに近付く。正面からソラの肩に手を置き、その耳元で何事かを囁き始めた。もちろん、私の耳には届かない。

「……分かりました」
「よし、いい子だ。――さて、もう質問は誰もないかな?」

 ソラと魔法使い、二人の間でどんなやりとりが交わされたのだろうか。それは後でソラに訊いてみるとして、最後の質問者が魔法使いの前に出る。

「……えっと、その」
「どうして平気で人を殺せるのか、そんな事はしちゃ駄目だ――そういう類は勘弁ね。昨夜同様、キミを納得させられるような答えは用意できない」

 歩は喉元にまでせり上がっていた言葉を飲み込んだ様子だった。図星だったのか、急いで他の質問を探している。

「あ……ナギちゃんは、誰かに命を狙われてるんですよね……? それじゃ、また昨日みたいな事が……」
「いや、それはないと思うよ。あの暗殺者もどきを雇った馬鹿者は、ちゃんと骨も残さずに殺しておいたからな」

 歩は目を見開く。それは私も同じだった。

「なんだって……? それ、まじか?」
「まじもまじ、臭いを断つには元からだ。雇われたゴミをいくら始末しようが、また新しく雇われちゃ意味がない。おねーさん、無意味って言葉嫌いなんだ」
「……そうか。おまえがどうやってそいつの居場所を突き止めたのかは知らないが、直接会って殺したのか?」
「そうだけど」
「じゃあその時、私を狙ってた理由を訊き出したりは?」
「さあ? 出会い頭にすぐ殺したからな。そんなものは知らないよ」

 にやにやと、相変わらず気に入らない笑みをこちらに向ける魔法使い。
 まあなんにしろ危険は知らぬ間に去ったようだった。少しは気になっていたはずの、自分が狙われていた理由。それも永遠に闇の中へと消えたのか。どうでもいいと言えば嘘だが、ろくでもない事には違いなかっただろう。
 魔法使いには感謝すべきか――いや、その必要はもうないだろう。女は言った、私を娯楽の為の道具だと。
 私を生かしたのは楽しそうだから。私に危害を与える者を潰すのは楽しみの邪魔だから、といったところか。
 私にはてんで理解不能な娯楽だが、魔法使いにとっては至高の遊びなのかもしれない。理解する必要はない。ただ、私は感謝しなくてもいいのだと判断した。
 出来る事なら、昨日のこの場所で私が魔法使いに言った「ありがとう」をなかった事にしたいものだが。

「一応言っておくけど、キミの執事長にはちゃんと記憶操作を施しておいたからさ。連絡とかはしなくて大丈夫だよ」
「シツジチョウ……? なんだそれは」
「おや……彼に関する記憶はもう壊れたか。これは失敬、今のはなんでもない」

 魔法使いはよく解らない事を言った後で、私達三人を見渡した。誰も口を開かないのを見てとると、

「――では質問タイム終了。続きましては、一触即発もとい感動の再会。観客の皆さまはどうかご静粛に、主賓であるナギお嬢さまには殺意を抑えるようお願い申し上げます」

 そんな、さらによく解らない言葉を大仰に両手を広げながら、パーティーの司会らしい口調で告げた。
 瞬間、魔法使いの体に黒い霞がまとわりつき、その体の輪郭をぼやかせる。間を空けず、魔法使いは空気中に溶けこむ霧となり、まるで最初から全て幻だったかのように河川敷から姿を消してみせた。
 黒い霧の残滓が風に吹かれて、朝もまだ半ばの空へと流れてゆく。
 視線はそれにつられて自然と上を向き――

「――――」

 胸の内側に、影が落ちるのが判った。
 影は影を呼びこみ、何層にも積み重なり、果てなく厚みを増し続けて濃厚な黒となる。これを一般に、殺意と呼ぶのかもしれない。
 殺意はやがて脳を侵食し始め、常識や倫理といったものを貪欲に壊し尽くす。
 目眩がした。地に足が付いていないかのような、幽霊の気分。そんな、狂気に変わりつつある殺意を私は――

 私は、押し留める。もう決めた事だった。狂気に負ける事は二度とない。
 理由もなかった。夢も何もかも失った後で、今さら狂気に身を任せて私は何をしようというのか。そうだ、笑い話にもならない。

 狂気は生まれず、内に燻るのは殺意だけ。

「……ヒナさん?」

 誰かが、河川敷から川沿いの道を見上げて言い放った。

「師匠……?」

 また誰かが、同様に顔を上げて言った。

「桂……ヒナギク」

 これは誰の言葉だっただろう? この殺意の滲んだ低い声色を絞り出したのが自分だとは、気付かなかった。

 赤毛が特徴的で、目を引く端正な顔立ちは魔法使いのそれとは違い、人間味があるものだ。
 女は私を見下ろしていた。表情までは、読み取る気にもならない。
 その位置関係が、ただただ不快だった。私は精一杯見上げて、そいつは悠然と見下す。私が敗者で、赤毛の女が勝者。これはそういう構図にしか思えない。
 実際、そうだった。三千院ナギが大切に想い続けていた男はいともあっさりと離別を口にし、いま瞳に映っている女を、こともあろうに“大切な人”だと言ってのけた。

 どうしてか、脇腹が熱い。もう存在しないはずの傷が一年ぶりに疼いていた。
 事故や病気で切断した手足の部位が、時を経て痛みなどに襲われる幻覚めいた症状があると言う。今の私と同じ。
 あの女は、彼にとって一番“大切な人”。
 なら私は、彼にとってのなんだったのだろう?
 ……ああ、答えなんてすぐ近くにある。この焼けるように疼く痛みこそが真実だ。
 私のいない世界が、彼の望んだものだった。本当に、まったくだと思う。皮肉というか、間抜けとでもいおうか。
 私の見た夢は、どこまでも陳腐な幻想だったと思い知らされる。
 嘲笑を浮かべてみたつもりだが、実際に表情として出ていたかは判らない。
 桂ヒナギクは土手の上で立ち尽くしたまま動かない。
 ぎり、と私は奥歯を鳴らして、もう意味さえない殺意を視線に込めるだけだった。



To be continued,

[前へ*][次へ#]
[戻る]


第3回BLove小説漫画コンテスト開催中
[小説ナビ|小説大賞]
無料HPエムペ!