Interlude /1 流星群の概要としては、軌道上で尾を伸ばす彗星という天体が公転の過程で太陽に接近し、その際に散らばる塵の集合体が地球の引力圏内に入り、地表に到達するまでに燃え尽きる現象の連続。 ――とある日、夜空を眺めていた誰かが煙草を吹かしながら考えた。それをどうにか殺戮の手段に変えられないかと。それとはもちろん流星群という現象を指している。 天体望遠鏡を用いて観測したいとは思わず、あくまで人殺しの道具にしようなどと思うのは世界広しと言えども稀に極まった思考だろう。 斯くして、彼女は妄想と変わらない思いつきから一つの魔法を発明する。 この術式を扱えるのは世界に一人。なにせこれは彼女が作ったオリジナルの魔法だ。どんな古文書や魔導書にも記載されておらず、彼女の頭の中だけに存在するもの。 多重魔法。魔法が魔力の応用だとして、そのまたさらに応用がある。既存の術式を複数組み合わせる事により、全く新しい奇蹟を生み出す手段。 彼女は空から殺傷性の高い隕石を降らせたかった。ただ、それだけでは芸が薄いのでさらに追加した要素は範囲内の標的を逃がさないようにする事。 そんな魔法を作る為に彼女が必要と判断したのは三つの術式。時空術より“転移”、呪術より“煉獄”と“無雨”。 根本的な話になるのだが、どうやって隕石を降らせればいいのか。既存の術式に“流星群を呼び寄せる”といったものはない。 だからこそ彼女は考えて閃いた。“転移”を利用しようと。“転移”の仕組みというのは、ある地点とまたある地点との座標を術式に入力してその間の距離をゼロにまで縮めるもの。そこに着目する。 通常の“転移”では離れすぎた地点の座標を入力出来ない。何故なら人間という生物は金属みたいな無機物ではなく、魂といったエネルギー体が混入しているいわば異物である。それゆえ“転移”に限界線を敷いてしまう。 ――ならばと。人間は移動させずに、座標と座標を結ぶ“穴”を開けるに留めればその限界を取り払う事が可能ではないのか。 実験は幾度の失敗を重ねて成功に至る。空に穿たれた穴と、太陽周辺に固まる小天体との距離をゼロに。 遥か遠く離れた宇宙のはずなのに、人為的に地球の引力圏内に突入した彗星の欠片は、しかし大気圏を通過しない為に燃え尽きる事なく地表へと降り注いだ。 彼女の思いつきはここに実を結ぶ訳だが、しかしこれでは殺傷性に大きく欠ける。この問題を解決したのは“煉獄”。誘爆性が付属された炎を生み出す術式である。 空に生じさせた亀裂部分に予めこの術式を施し、そこを通過するものに“触れれば爆発する炎”を纏わせる。これで充分に殺傷性の高い流星群が出来上がった。 しかしまだ満足しない。当初の着想はそこに“標的を逃がさない”が含まれていたはずだ。この段階ではそれが足りない。 ここで、範囲内の重力操作により対象を圧殺する“無雨”を用いた。本来は効果範囲を狭めて押し潰す術式なのだが、今回は広範囲に展開して重力を五倍に引き上げる程度。だが充分だろう、成人男性の体重がいきなり五倍に膨れ上がったらどうなるか――とても動けたものではない。普通はその急激な重力変化に筋肉や骨が対応出来ないのだ。仮に出来たとしても体を引きずる程度が精一杯だろう。 忘れないで欲しいのは、そうもたもたしている間に爆弾同様の隕石が空から容赦なく降り注いでくるという事。急いで逃げなければならないというのに体は思うように動かず、小石ほどの隕石だろうと一度でも接触すれば致命傷。二度受ければほぼ確実に死。三度被爆すれば黒い肉片と化す。 “凶星”と名付けられたその術式。 凶々しい星の群れを指すにはそのままな、残虐非道を極めた多重魔法である。 西沢歩はその光景の一部始終を記憶に刻み込んでしまった。 腕が千切れる。足が吹き飛ぶ。頭部が潰れる。胴体が燃える――夢だと思った。こんな事が現実に起こるはずがない。あり得ない。 では、夢はどこからだったのだろうか。歩は現実から逃避し、記憶を遡り始める。 大雨の中、三千院ナギが道端に倒れているのを見つけた数時間前。きっとこれは夢ではないと思うのだ。夢とは曖昧なもの、しかしその再会の記憶は鮮明にある。 背に感じた軽すぎるその体、懐かしいやりとり、握った手のひらから伝わる確かな温かさ。どれを取っても現実だった。 ならばやはり、曖昧になったのはこの屋敷に足を踏み入れてからか。未確認飛行物体らしき輝きを窓の外に捉えて――あの女性を視界に収めてから、西沢歩の世界は曖昧になり始めた。 言葉を交わす前の第一印象。それは実に奇妙な感覚であった。この人に、自分はどこかで会った事があると。 そんなはずはなかった。雪色の髪と紅玉の瞳に見覚えなどなく、その端正な顔立ちは記憶の中にある人物のいずれにも該当しない。そう声を大にして断言できるからこそ、どこまでも奇妙だったのだ。 ――事実、西沢歩と魔法使いはこの夜に初めて出逢った。そこに間違いはない。 桂ヒナギクのように人為的な記憶封印、綾崎ハヤテのように自己的な記憶改竄もない。 魔法使い自身にとっても、歩と接触したのは今夜が初めてだ。そこに嘘偽りはない。 西沢歩の勘違いと片付けるのが一番簡単な話だ。しかし、そうしなかった場合はこの奇妙な謎へと挑む事になる。 魔法使いに関する記録は歩の頭にはない。ともすれば心、精神のさらに深淵。決して自らの意思では届かない、ヒトの最下層に位置する魂の中にあるのかもしれない――というのはそれらしい響きな戯れ言に過ぎない訳だが。 挑むのは自由。諦めるのもまた自由。これはこの物語に何一つ関係のない些事である。 誰が知ったところで何も変わらない。物語は滞りなく進んでいき、一週間後に終わる。それが脚本であり、彼女はその最後に待っている瞬間の為だけにここに在るモノ。 今はまだ、誰も魔法使いという存在に対してそこまで疑問に思ってはいない。 ――いや、一番最初に深く疑問を抱いたのは今この時、この場所での西沢歩だったのか。 /0 疑問の螺旋、どこまでも続くかと思われた回廊の果てに、西沢歩は見てはならないモノを直視する事となった。 三千院ナギも、桂ヒナギクも、空から降ってきた少女も。物語の終局で知らなくていい事を知ってしまう。 結局、知らずに終わったのは綾崎ハヤテだけだった。それは結果として良かったのだろうし、見ようによってはほんの少しだけ残酷だったかもしれない。 ――近い未来の話をした。明かされたのは他ならぬ魔法使い本人の口から。 彼女はいつもと変わらず川で釣りをしながら、さもなんでもない風に、まるで世間話をするかのような口調で語る。 /2 「おい、体は大丈夫か? ハムスター」 ぶっきらぼうな口調の裏にらしくない心配げな感情を含ませて、三千院ナギは西沢歩に手を差し伸べていた。 頭は朦朧としているからその言葉の意味はよく解らなかったが、なんとなく自分が情けないなと歩は思った。確か心配をしていたのは歩の方だったはずなのに、その相手から逆に心配されているなんていうのはどうにも格好がつかない。 目の前に差し伸べられた手。その意味も解らずに取ってみるが、それだけで立ち上がろうとはしなかった。意識がはっきりしていたとしても腰が抜けているので立てやしないのだが。 「……なんか大丈夫じゃなさそうだな。でも屋敷はこんなだし、このままって訳にもいかないから……うむ、とりあえずおまえの家まで戻ろう。ソラ、こいつ引きずっていくからそっちの方の腕を持ってくれ」 「……え」 なんだかずるずると引きずられていく音がするのだが、歩にはなんの音か判らなかった。 「道順なんて覚えてないからな。違ってたら言えよ?」 本当の事を白状してしまえば、歩の意識はとうに鮮明さを取り戻していた。今さっきまで何が起きていたのかなんて、記憶の引き出しを開ける必要もないくらい目に焼き付いてしまっている。 ナギの言葉と手の意味が理解出来なかったのは、ただ単に別の事を考えていたからだ。 思い浮かべるのは隕石が爆発を伴う殺戮を繰り返していく中、とうとう最後まで無表情を貫き通した魔法使い。 蒼い三日月がその姿を一枚の絵画にした。黒衣は夜空に溶け、対照的な白い手足は触れただけで壊れてしまう硝子細工の如き儚さ。 血と悲鳴を運んでくる風を全て受け止める銀色の髪。それを地に足を崩した体制から見上げて、あの状況では絶対に抱いてはいけない感情を胸に落としてしまった。 ――綺麗だったなと。たとえその真紅の瞳が惨劇の元凶だったとしても、これ以上に美麗な存在はこの世界に二つとないのだと悟ってしまう。 見かけの上だけではない。その本質、その在り方の純粋さがただ綺麗だった。それがなんだったのか――ほんの刹那でどこか遠くへ消えてしまったが、その時の西沢歩は善悪を忘却していた。 きっと正気ではない。その存在が殺めた人間はたった一晩で五十を超え、その手際の良さから総計は途方もない数なのだというのは想像に容易い。 それでも綺麗なものは綺麗なのだと、歩は無意識下で理性に対して強く反論してしまう。 宝石で出来た剣が数多の人間を斬り殺したならその剣を汚い、醜いとするというのか。そんなはずはない、宝石はどれほど大量の血を吸おうとも宝石である。その輝きが鈍る事はない。 だからこれはそういう感情なのだ。法や倫理は黒衣の殺戮者を許さないだろうが、西沢歩は許してしまうのだと。あれほど恐怖したというのに、いざ事が終わってみると心は矛盾していた。 ――異常者の多く見られた夜はじき、日付が変わろうとしている。 西沢歩の矛盾した感情は異常と言えたが、この夜においては正常な方ではなかったか。 三千院邸に侵入した暗殺者と魔法使いは殺人行為に対してなんら躊躇を見せない異常者。 死を一度味わった少女。最後まで信じていた存在に致命傷を負わされながらも決して恨まず、憎む素振りすら見せず、ただ心を空洞化させている三千院ナギだってそう。狂気が消え失せようとも心など既に壊れているはず。だというのにあくまで普通を演じようとする、実際に他者との意思疎通が出来てしまっている異常者。 魔法使いに記憶封印を施されなかった綾崎ハヤテなど、改めて語るまでもない。誓いを捨て、約束を破棄した男はその果てに犯してしまった自らの行為を忘却する為、精神内にて逃げ場所を作成した。三千院ナギの死を確認した直後にも拘わらず罪をなかった事にして、誰もいない屋敷に足を向かわせるやいなや、一人執事を再開しだしたとびきりの異常者。 これだけ異常者ばかりだと、悲劇もだんだん喜劇に見えてきやしないだろうか。 そうなると舞台に上がっている役者は全て道化になってしまう。――だが、喜劇であるはずはないのだ。これは五つの魂が交錯するれっきとした物語。 属性“死” 属性“風” 属性“剣” 属性“無” 属性“命” 色はそれぞれ独自の在り方を示し、魂はそれぞれの道を歩いてゆく。多種多様なる色が交り合うのは時の流れでいえばほんの一瞬に過ぎない出来事。 過ぎ去るのは一瞬だが、意味のないものでは決してないはずなのだ。 意味のあるものにしなければならない。一つの死が、無価値なものとならないように。 結末に至る過程が、より長く、より鮮明に他者の記憶の中で生き続けるように。 ――前夜祭は、あと一人の死者を贄と捧げる事で終わりを告げる。そこから時を待てばやがて東の空は青白さを濃くし、当たり前のように朝がやってくる。 “主人公”は最後の願いを探し求め、“咎人”は後悔と自己嫌悪の波に曝され、“理想”は苦悩と葛藤を繰り返し、“友達”は疑問と状況の理解に努め、“騎士”はいまだ物語を知らず。 “魔法使い”は今宵を境として観賞に徹する事とした。 朝陽が空を照らしたなら、それはきっと今日までとは違う世界のはずだ。 離別の冬から一年と少し。途中で虚構を挟んだが少女はようやく、深い孤独の森から抜け出せたのだろうから。 To be continued, [前へ*][次へ#] [戻る] |