[携帯モード] [URL送信]
Interlude
 



 /1



 最初の異変は隊員の一人が無線で放った言葉だった。なんでも空が真っ白になったとか、そしてその直後に敷地内から爆発音が聞こえたのだとか。
 敷地外に配備している迎撃班の指揮官である彼はその報告に対してこう答えた。大方、予定よりも若干早く襲撃班の攻撃が始まったのだろうと。そう言って苛立たしげに無線を切り、彼は背もたれを倒した運転席に再び寝転んだ。
 意味のない報告だと思った。夜空が白く光ったのは閃光弾か何かによるものだろう。同じ部隊とはいえ襲撃班の制圧方法はこちらには知らされていないが、おそらくそんなところだ。
 空が光ったくだりは目を瞑っていたから分からないにしても、爆発音なんて彼の耳には届かなかった。いくらサボって寝ようとしていたからといって、敷地内で爆発があれば嫌でも耳に届く。彼はそこそこ聴力が良い方のはずなのだが、しかし聞こえなかった。そこから、爆発というよりかは手榴弾くらいの小規模なものではないかと推測する。そういえばさっき報告してきたのはまだ新入りだった。これだから経験の浅い奴は嫌いなのだと、心中でそう愚痴を零しつつ彼は再び目蓋を閉じた。

 次の異変はそれから二十分くらい経った頃。眠りに落ちかけたところで無線の呼び出し音が車内で反響する。寝ぼけ眼の男は不機嫌な声色をなるだけ抑えてそれに応答した。
 しかしその内容を聞き、理解するにつれて彼は目元と声を引き締める事となる。応答先は襲撃班と全体の指揮を兼任している部隊長から。聞いた内容はこうだ。襲撃班の隊員、その大部分との通信が途絶えたと。
 無線機の故障なのではと、彼はそう言ってみたが無線からは否定の言葉が返ってきた。邸内別棟の屋上にいた隊員から報告があったらしい。――ヒトが溶けて消えた、本棟に狙撃銃の照準を合わせていたらそこの屋上にいた仲間が突然溶けたのだと。
 つい素っ頓狂な声で無線に返してしまう。なんだそれはと、しかし向こうは冗談を言っている訳でもなく聞いたままを口にしているだけなのだ。
 笑い飛ばすのが正解だったなら彼は笑ったはずだが、状況はそれを許さなかった。繋がらない無線、不可解な報告。こうなると先の新人から寄越された報告さえも何か関連性を疑い始めてしまう。
 無線は一方的に切られた。部隊長はこれから戦闘機にて敷地内へと向かうらしい。通信を絶たれる前に彼はこう口走ってしまった。それで大丈夫なのかと。
 その無意識な自らの発言にはさすがに驚いた。自分は何を言っているのかと。あれは大金にあかせた武装の塊、万が一などあり得ようはずもない。
 ただ、理屈では表せない不吉な予兆が彼の心を陰らせていた。そして、それはただの錯覚ではない。――現に、戦闘機で邸内に向かった上司からの通信はそれきり途絶えてしまったではないか。

 最後の異変は――もはや異変などではない、明確な絶望と断末魔の叫び声が無線を通じて彼の耳へと送られた。

「隕石……黒い隕石が……空から……で、でも体が、ぜんぜ、ん……動かな、く、て……あ、あああこっちに近づい――ああ、ああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ……ッ!!!!!」

 鼓膜が破れそうになる雑音とともに無線が切れた。……これで何人目か。白皇学院に待機させていた隊員も全て呼び戻して迎撃班を敷地内へと総動員させてから、通信が彼の元へと絶え間なく殺到している。
 落ち着いて状況を報告できる隊員は誰一人としていなかった。故に彼は何も理解できない。思考が追いつかない。判るのは次々と部下が死んでいくという事実だけ。

「ひ、ひあっ……あああ足が、足が両方、吹っ飛んで……血が、いっぱい……た、助けて誰か……痛い、痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛いいいい!!!!!」

 悲痛な声色で懇願を繰り返す者。

「悪魔だ……銃なんか全くききやしない……お、俺達は……絶対に来ちゃいけないところに……来ちゃった、のかな……? あ、あは、ははは、これが報いか……今まで悪い事ばかりして……ごめんな神さま」

 終いには神に懺悔する者まで現れる有り様だった。
 彼は茫然と無線機を耳に押し付けたまま、トラックの車外に出て夜空を見上げる事しか出来ない。

 黒空を切り裂くのは、それと同じ色をした死の群れだった。
 流星群とはあくまで観測するだけの現象であって、間違っても死を運んでくるものではない。
 それではアレはなんなのか。敷地内の詳しい様子は外壁に阻まれて見えない。だが建物なら見える。だがそれも一瞬前までの話。黒炎を纏わせた複数の隕石が建物に降りかかり接触した瞬間、爆発してその輪郭ごと吹き飛ばしたのだ。
 音は聞こえない。目に映ったのは大規模な爆発だったというのに、彼の耳には何故か微量な音さえ届かない。
 周囲は依然として夜の静謐に包まれている。ここには爆発音も、今もなお繰り返されているであろう断末魔の叫びもない。まるであの敷地内がこちら側と隔絶された空間、それか防音処理でも施されているかのようだ。そうだとしたら敷地外にいたはずの新人はどうして爆発音など聞こえたのだろう? 解らないが、少なくとも彼には知る必要もない事柄である。
 ここは住宅地の中だが、これではきっと誰も気付かない。自分達の家の付近に死の雨が降っている事になど気付きもせず、安穏とした夜の世界に沈み続けるのだろう。

「――ぁ、撤退命令、を出さない、と」

 気が抜けたようなおかしい声でそう呟き、無線を手にする。各隊員に持たせている無線への一斉送信を行った。

「各隊員、対象の抹殺を中止。直ちに撤退せよ。……以上だ」

 それが無意味に極まる言葉だというのはどんなに知恵の浅い馬鹿でも判る。この通信を聞いている者はおそらくもう一人もいない。
 生き残りは既に自分一人だけなのだと、その現場を見ずとも状況が教えてくれた。
 止まない雨。あの壁の向こうがどんな状況になっているかなど知りたくもない。考えるのも嫌だった。
 だから彼は震える手足に鞭を打ってトラックに乗り込んだ。一刻も早くこの場から離れようと、どこでもいいからとにかくずっと遠くへと――その一念だけでエンジンキーを回す。
 夜の狭い路地に暴走トラックが怯えにも似た唸りを上げ始めた。

 彼は自分が助かるのだと思っていた。
 上司も部下も全員死んだが、自分だけはまだ生きている。その奇跡、唯一あの敷地内に踏み入れなかった人間は彼だけ。だから生きる権利を失わずに済むのだと。
 幸運だった。こんなところで訳も解らず死ぬなんてあり得ない。彼には大切な家族がいるのだ。ゲーム感覚でヒトを殺せるからといった遊び半分な気持ちでこの部隊にいた他の連中とは違う。
 彼は元々、とある傭兵部隊の出身だった。その腕を買われて今の上司に誘われたのだ。非合法な部隊なのは最初から知っていた。それでもその誘いに頷いたのは彼に養うべき家族がいるから。その高額な報酬に目が眩んでしまったのだ。
 ……だが、こんなよく解らない死の恐怖に巻き込まれる可能性などただの一度も考慮しなかった。彼は今、その軽率さを心の底から後悔している。だからこそハンドルを握る力は強く、アクセルは深く押し潰した。
 いつの間にか住宅地を抜けて、川を跨ぐ道幅の広いアーチ状の鉄橋に出ると速度はより一層増した。暴走化した車体は当てもない逃亡をどこまで続けるのか。きっと燃料が続く限り彼はアクセルから足を外す事はしないだろう。
 燃料が尽きるまで離れたならもう安心だ。それまでには心も落ち着くだろうし、そしたら家に帰ろう。愛すべき家族が待っているからと、彼はうわごとのように呟き続けていた。



 /0



 ――今夜は一人も生かして帰さないと、月夜のどこかでそんな誓いがあった。それは神にではなく自らに対してのもの。
 そこに例外はない。だから、この逃亡者はもう終わりなのだ。たとえ世界の裏側まで逃げようとも彼女はこの男を許さない。
 物語の舞台を土足で汚した。実際に三千院邸へと足を踏み入れなかったとしても、その事に関わった者には死という形で償ってもらう。それが彼女の決定である。
 遊び半分なのは結構、金銭目的もまた同様に。しかし彼女の娯楽を邪魔したのはいただけなかった。
 踏み越えてはならない一線というものがある。気付かなかったでは言い訳にならず、知らなかったなんて子供じみた事を言い出す馬鹿はそれこそ死んだ方が世の為、人の為だ。その手の輩は法で裁かれようが何度でも繰り返す。何度も何度も、死ぬまで他人の不幸を自らの欲望へとすげ替えるという事がもう目に見えている。

 彼女もそんな連中となんら変わらない悪だが、特殊な視点から見ればある種の正義の味方だったのかもしれない。
 結果的に彼女は今夜、多くの悪を消した。それは図らずも、罪もない誰かの命を救ったという事でもある。

 彼女が殺した者の中には仕事以外でも日常的に犯罪を繰り返して法を逃れている者もいた。
 幼児を誘拐して、常人では想像すらつかない嗜虐の限りを尽くしたのちに恍惚と殺害を愉しむ者。夜道を歩いていた女性に襲いかかり、誰の目にも留まらない場所に連れ込んで強姦、満足し終えたら絞殺というのが口封じの常套手段となっている者。いかにも幸せそうな家族を道端で見かけたら、深夜にその家に忍び込んで一家全員を惨殺しなければ気が済まない者。
 いずれも度が過ぎた異常者たちだ。命はみな平等で尊いものだという平和主義に疑問を抱かずにはいられないほどの。

 それらを殺人という行為にて排除した彼女は果たして正義の味方か否か。いわゆる究極の選択というものかもしれない。
 その行為の悪性を黙認して、罪もない誰かの笑顔が保証された事を評価するか。殺人は断じて悪だという否定を貫き通して、幸福になるべき誰かが不当に命を奪われるとしても構わない、それは運命だから仕方ないとするのか。
 ――あくまでも結果論。彼女には今夜の暗殺者たちが日常で自らの内にたぎる欲望のまま殺す予定にあった誰かを救ったつもりなどないし、興味もない。ただ自分の邪魔をしたから潰しただけ。
 究極の選択とは大げさな言葉遊びで、今回がたまたま他者を救う結果となったから一興として問うているのだ。彼女が必要悪か絶対悪かという判断を。
 悪には違いない。けれどその存在が自分以外の他者を救うのなら、そこに必要性を見出す余地があるのではないかと。

 一晩で五十を超える人数を惨殺した悪。だが、確実にその数以上の罪なき人間の命が救われた結果となったはず。
 決して殺さないにしても罪もない千の人間から生命力を奪った悪。それを許容できずに果敢にも刃向かった人物をも殺そうとした。しかしその搾取行為のおかげで、たった一人だけだが救われる可能性が生まれた。

 善行のみが正しいと信じる者にとっては皮肉な話。悪行の裏に救われる存在が確かにいた。彼女がそうしなければ理不尽に命を落とした者がたくさんいた。――それを踏まえた上で善悪を抜きに今一度だけ問おう。

 魔法使いは正義の味方か、それとも否か。



 /2



「……?」

 鉄橋はじきに越える。渡りきれば都心に繋がる道に出るから、そうしたら高速道路へと乗り上げ――待て、何かおかしい。何故かいつまで経ってもトラックは橋を越えようとしない。
 よく見れば車体は動きを止めていた。原因は明白で足がアクセル部分を踏み外している。これでは止まるはずだ。
 踏み直さないと。しかし、足を動かそうという脳髄からの命令は一向に届かない。手足が命令を聞いてくれない。なんとも不可解な現象だった。

「ぁ……れ……?」

 不可解ついでに、男の胸から何かが生えていた。
 黒い何か。視界がぼやけてよく見えない。だが運転席もろとも、正面から胸を貫かれたという事は鋭利な刃物なのだろう。そしてやけに細長いものだったからきっと槍だ。
 フロントガラスが割れている。誰かが暴走トラックの真正面から槍を投擲してきたのだろうか。

「血……だ」

 その言葉が辞世となった。男の意識はもう保たず、痛みを感じる前に絶命した。
 これにて暗殺者は全滅。無慈悲なる黒衣は、今夜の茶番を差し向けた元凶の住む根城へと空間転移する。



Interlude out.

[前へ*][次へ#]
[戻る]


あきゅろす。
[小説ナビ|小説大賞]
無料HPエムペ!