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The end of the world B
 

 光に背を預け、夜空を見上げている。

 漆黒の空。星を塗り潰すその色が少しだけ残念だった。
 空に関心をなくし、自身の右下腹部に視線を落とす。
 最初からそういう柄の服であったかのように真っ赤で大きな血の跡が滲んでいる。溢れる血をもう手で押さえる事もしない。
 保ってあと数分。それだけの経過で三千院ナギの物語は終わる。
 長かったのか、それとも短かったのか。そのどちらとも言えない人生に、一体どれほどの価値があったのか。
 ここに至る過程が幸福であったなら良し、そうでなかったなら悪しとすれば私は幸せな人生だったと思う。
 だって楽しかった。
 友達なんて到底作れそうにない性格だったのに、気付いた時には親友とかいう部類の奴らが周りにいたり。
 お姉さん兼母親代わりの人が寂しがらないよういつも私のそばにいてくれて、時に叱ったり、優しくしてくれたり。
 想いを寄せた誰かはとても強くて格好良くて、だけど鈍感でデリカシーがなくてついでに運も悪くて。
 こんなのはほんの一部。
 語り出せば、残された時間では到底無理なくらい数多くの愉快な人間達が私の人生に関わった。
 それを不幸だと言うのなら私は本当に救えない馬鹿になってしまう。
 私はそこまで馬鹿ではないから知っている。
 手から零れ落ちる砂のように今はもう何もなくなってしまったけど、それでも。
 三千院ナギは充分に幸せであったと、そう胸を張れるのだ。

「……ああ」

 それなら頬を濡らしていくモノはなんなのだろう?
 幸せであったならどうして、笑顔ではなく涙なのか。
 私のこれまでは疑いようもない幸福。そこに間違いはないのだから、これはきっと“これから”に対しての感情。
 過去ではなく未来。幸せだった過去と閉ざされた未来の狭間に今、私はいる。
 だからこれは未来――描いた夢へと捧ぐ追悼の涙。
 その理想の世界で幸せそうに笑っている自分へと向けた、せめてもの謝罪だったのだろう。

「終わってしまう、な……けど、その前に……私の手、で」

 だらん、と力なく地に下げられた両手。その右手に銀色がある。
 あの場所から、この光に辿り着くまで、固く握って絶対に離さなかったナイフ。必要だったからここまで捨てなかった。もとよりその為に忍ばせていたものだ。
 あの場所で、たとえ何も事が起きなかったとしても結末は何一つ変わらなかった。
 それにしても最後に顔を見れて良かった。そこがおまえの一番大切な居場所だというのなら、奪わずに済んで本当に────
 ナイフが重く感じてなかなか上がらない。だから片手じゃなく両手で持ち上げた。

「わ、たしの、手で、やらないと……あいつに……要らない、ものを……背負わせてしま」

 せっかく必要な高さまで持ち上がったナイフが、不意の吐血で地面に落ちてしまう。

 ――夢の幕は自らの手で下ろす。

 それは最初に決めた事であったから、このまま放置して死ぬなんてのは筋が通らない。
 三千院ナギの死因は自殺。そうでなければおかしい。それ以外は間違いだ。
 彼の未来を守ってみたいと、そう思ったのは決して嘘ではない。
 だったら、きちんと守れ。
 狂気を道連れにするだけでなく、罪や後悔などといった不要物を彼に背負わせる事もするな。
 どんなに歪んでいても、その想いを、偽物ではなく本物だったと最期まで証明してみせろ――!

「――ぅ……、ぶ……!」

 長い吐血が止み、飛びかけた意識を意志のみで押し留める。
 熱病に侵されたように朦朧と地面を手探り、落としたナイフを拾った。

「でも……やっぱり……しぬ、のは……こわいよ……ハヤテ」

 最後に一度だけ、届かないと知りながらも大切な人に本音を漏らす。――それで終わり。
 柄を逆手に。残された力を腕にこめ、今度こそ持ち上げた。刃先の照準は寸分の狂いもなく、心臓へ。
 視界が白く染まり始めた。命が尽きる前兆か。だがそんなものは知らないとばかりな速度で。
 脆弱な白など一瞬で塗り替える大量の赤が、散った。
 死ぬのは怖いと、そう口にした直後にも拘わらず自決の刃はいともあっさりと振り下ろされた。
 即死。見ようによってはとても綺麗な終わり方。そこに痛みがあったかどうかはよく覚えていない。
 心が裂ける痛みを刻んできたのなら肉体的な痛みなど記憶に残るまい。

 ――それから。
 幾らかの時が過ぎ、そいつは現れた。

「おや、喉が渇いたから飲み物でも買おうかと思ったのだけど……これは困った。死体が取り出し口を塞いでいるよ」

 透き通ったような声。
 汚れ一つなき、聖なる響き。
 抱いた印象は真逆。
 そんなものはよほどの鈍感でも気が付くだろう。この厭な声の持ち主が清々しいくらいの悪人である事くらいは。

 どうでもいい。私には関係のない事だから。
 ……けど、少し疑問。
 どうして、死んだはずの私はそんな誰かの声を聞けているのだろう?
 心臓に刃を突き立てたまま、凄惨な色彩を周囲に拡げた上で完全に息絶えている。
 間違いはない。心臓は止まり、血流は遮断。動力を失った臓器は徐々に死滅してゆく。目も、耳も、感覚全て。
 だっていうのに、五感の消えた先で声が聞こえる。

「自殺、か。……いや、下腹部にも深い刺し傷がある。結末が自殺なだけで実際は殺人事件か。うん、真実はいつも一つってやつだな!」

 不思議な事はよく解らないけどその他、どうでもいい事を悟る。
 その悪人は決して喉を渇かしていた訳ではなく。
 何か別の、それも酷く身勝手な欲望を胸に秘めながら死体に寄ってきたという事。
 ああ、これは多分間違いない。この勘は正しいはず。
 何故って、それは悪人というのが大抵、自分の事しか考えない身勝手な生き物だと相場が決まっているからだ。



 

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