The end of the world A 寒い夜だった。 月も星も、電灯さえも周囲には見当たらず、遠くにある小さな光だけが唯一の道標。 一歩一歩がとても辛かった。 進む度に意識は断線しかけ、もうここで歩みを止めてしまおうと甘い誘惑が頭に囁く。 それでも歩みを止めなかったのは何故だろう? いや、それ以前にどうして私の体はまだ動けているのか。 もう指先一本さえ動かせなくなっても、なんら不思議ではないはずなのに。 「――ぅ……あ……はあっ……!」 ぐらり、と体のバランスが崩れる。 誰かの家の塀が近くにあったおかげで肩を強打した程度で済み、なんとか地面へ倒れずにまだ立っていられた。 荒く乱れる呼吸の傍ら、私はその事に安堵した。 頭のどこかで、一度でも倒れてしまったら二度と立ち上がれないのだと悟っていたのかもしれない。 どうしても倒れたくないと、もう限界を超えている体を引きずっていくのはやはり、あの光が綺麗だったからなのか。 「ご、ぶ――」 喉から大量の血がせり上がり、路面に赤を散らす。 しかし周囲の闇が深い為、血は黒いペンキにしか見えない。 「はあ……は、はは……」 そんな余裕はないというのに、思わず笑ってしまった。 想像したのだ。 こんな寒い夜にたった一人、誰もいない影絵の世界を吐血しながら彷徨い歩く自分の姿。 滑稽すぎだ。これが今まで描き、抱き続けた夢の果てだというのだからなおさらに。 「こりゃ助からない、よな……まあ……助かる気も、ないん……だけどさ」 脇腹が熱い。 焼けた鉄をねじりこまれたかのような感覚がそこにある。 足を動かす度に意識が消えかかるのはこれが原因だ。 ずっと手で押さえてはいるが、実際、意味のない事なのは知っている。 自分の体だからよく分かるのだ。これはもう致命傷、既に手遅れだという事を。 万に一つにでも助かる可能性があったとするなら――すぐに救急車を呼び、こんな風に体を動かしたりなどせず安静に助けを待つ、といったところか。そうすれば、あるいは―― 「ともあれ……これで……ようや、く……終わ」 繰り返す吐血。 これで何度目か、生きるのに必要なものが確実にかつ急速に消えていく。 ――あるいは、助かったかもしれない命。 でもそれは助けを呼んだ場合の、私自身がまだ死にたくないと願った末に起こる奇跡みたいなもの。 それなら私には関係のない話だ。 もとより生きる意思などない。 あの日記を書き終えた時点で、私は三千院ナギの結末を決めていた。 屋敷を一歩出た瞬間から、この夢の幕を自らの手で下ろすと決めたのだ。 ――そう。自分で自分を殺す。 死にたい、という自棄な考えより、死ななければならない、という義務感の方が強い。 今はその影こそ薄れているが、この胸の奥にはいまだ黒い狂気が確かに存在する。 弱い私はそれを消せない。 でも消さないと私は、私以外の誰かを確実に傷つけ、大切な人を悲しませてしまう。 この狂気はあってはならない。 消せないのなら、三千院ナギは生きていてはいけないのだ。 狂気に負け、夢に取り憑かれて、結果は独りぼっちになってしまったけれど。 それでも、最後くらいは意味を残したい。 死と引き換えにする事で狂気を消せるのなら、私は進んでその道を選ぼう。 彼があの女を守ったように。 私も、彼の未来を守ってみたい。 彼にとっての幸福が、私という存在一人を世界から消すだけで約束されるならこの命、惜しくはない。 ――だから、一時的に狂気が治まっている今、私は三千院ナギを殺す。 「あ……れは……? そう、か……あの光は」 いつの間にか、光のすぐそばにまで辿り着いていた。 そこは懐かしい場所。 遠い日、あの人と出逢った始まりの地。 夢の原点であるその場所は、なんの因果か終わるところでもあったようだ。 あと少しで、何をせずとも私の命は尽きてしまうのだろう。 その前にここに来れてよかった。 終わるなら、初めて逢ったあの場所がいいと思っていたから、神さまが私に情けでもかけてくれたのかもしれない。 暗闇の中、一筋の光を手探るように歩いてゆく。 例えるなら蛾のように、向かう先が死だと理解しつつもその歩みを止められない愚かな虫と同じ。 暖かい居場所を求め続けた私には皮肉な例えだが案外それも悪くないかなと、今にも雪が降り出しそうな寒い夜に小さく、三千院ナギは嘲笑ってみせた。 [次へ#] [戻る] |