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A wizard
 



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 彼女は雨の中を歩いていた。
 都心の雑踏に紛れ、歩く度に小さな水飛沫が舞っていく。
 目に映る人波は例外なく傘を差して雨をしのいでいる。
 その当たり前の中において、彼女の姿は異形と言えた。
 手に傘など持たず、その中にあるのは火を灯した煙草のみ。
 吐く息が白いのは外気のせいではなく、その煙によるもの。

 その立ち居振る舞いを普通とは言い難い。
 にも拘わらず、歩む彼女を振り返る者は一人としていなかった。
 それだけではない。彼女は一滴も雨に濡れていないのだ。
 誰にも視認されず、雨は体を避けるようにしながら地に堕ちていく。
 まるでこの世界から切り離された、最初から存在しない人間のよう。
 しかしそれは彼女だけではなく、その瞳が捉えているモノにも同じ事が言える。

「……まったく、へたくそな尾行だ。気配も殺気もバレバレ。そんなのじゃあの二人に気付いてくれと言っているようなものだ。私の補助がなければキミの計画などとうに破綻しているぞ?」

 思わず愚痴りたくなる原因はすぐそこ、路地裏の影から何かを凝視している少女にある。
 魔法使いとは対照的に雨で全身がびしょ濡れだが、共通しているのは絶え間なく通りすぎていく誰かの目に留まらない点。

 ――魔法使いが自身と少女に施したのは“光の透過”。
 物体を見る、という仕組み。それはまず物に光が反射し、その光が目の網膜に届いて最後に脳へと伝わる。そこで初めて、人間は物が“そこにある”のだと認識出来る。
 現代の科学では机上の空論にすぎないが、前述の仕組みにおいて、最初の段階で物体に光を反射させなければ理論上は誰からも視認不可能となり、透明と同意になる。

 その空論を現実とするのは彼女が操る“魔力”という存在。
 この力についての詳細を記してある文献、書物の類は世界中を探しても数えるほどしか発見されていない。
 現代ではその存在さえ忘れ去られた力。
 それを彼女は見事に極めている。今のこの状況こそが、その証明だろう。

 魔力の本質は“無”。
 無より出でて、無へと帰す。
 魔力とはイロもカタチも“無”い力。
 ――故に。使い手の意思によりその性質は変化する。
 魔力を体内に精製出来る時点でそれは天賦の才と呼ばれる域であるが、そこに達した者でも内に作った魔力を意のままに性質変化させるのは極めて難しい。
 より多くのイメージが出来る――つまり、たった一人で多種多様なる性質の魔力を操る事が出来る存在は稀であり、もしも可能としたならばそれは“魔法”を使えるという事。そして同時に人間という枠から外れた事を意味する。

 悪魔の法術を扱う者――魔法使い。
 それはきっと、神さまの領域に最も近づいてしまったバケモノ。  

「――――」

 ……話を透明人間のくだりまで戻そう。
 魔力は使い手の意思によって性質が変わる。
 今、彼女が精製しているのは二種類の魔力。
 一つは光の屈折率を狂わせる性質を帯びたもの。
 もう一つは雨を弾く性質の魔力だ。 

 前者の魔力によって対象物を囲み、屈折率を光が反射しなくなるまで狂わせてみれば晴れて透明人間の出来上がり。
 ちなみに少女だけが雨に濡れているのは、その周りに透明になる魔力だけしか展開されていない為。
 魔法使いが濡れていないのは無論、二種類の魔力を同時に展開している為である。おかげで煙草の火も消えずに済んでいる。

 現状の説明はこの程度で充分だろう。
 次は魔力と魔法の関係性についての説明に移る。
 魔法と一口に言ってみてもその分野はかなり多岐に渡っており、彼女はその中でも特に呪術、降霊術の分野に秀でて――と。
 そんな事、今はどうでもよかったか。

 視線の先の二人が、次の場所を決めたようだ。

「おや、次はファミレスか。ありゃりゃ……見せつけてくれちゃって、こんな場面を見たりなんかしたら余計殺気が膨らんでしまうじゃないか」

 無論、それは魔法使いではなく少女――三千院ナギの事だが。
 離れたところでは綾崎ハヤテと桂ヒナギクが仲良さげに並んで道路沿いの店に入っていった。

 待ち合わせ場所の広場から始まり、ゲームセンターでしばらく遊び、その後はお腹が減ったから食事という事になったらしい。
 ここまでに、三千院ナギは二人の楽しげなやりとりをずっと目の当たりにしてきた。
 途中、おかしな視線を感じとったかのように二人は振り返ったりしていたが、幸い姿を見えなくしているおかげでバレずにここまで来れた訳である。

「いくら見えないからといってこれ以上気配を晒すのは――ん?」

 今まで以上の殺気で二人の後を追うものと思いきや、三千院ナギは路地裏からずっと店の入口を見つめたまま動かない。
 どうしてか、その瞳からは殺気が消え失せていた。

「……ふむ。ここにきて心境の変化でも生じたか? 判らないが、そんな悲しい表情をされるとなんだか胸が切なくなるねぇ……」

 くく、と心にもない事を口にした自分がおかしくて笑いが漏れた。
 少女とは距離をとった位置にいる魔法使いが、そばにあった建物の壁に寄りかかって煙草を味わっていると。

「……む」

 ぐう、と空腹の虫が鳴いた。

「ああ……長時間、魔力を垂れ流しすぎたか。まったく、それもこれもキミが考えなしな尾行なぞするからだ」

 綾崎ハヤテが屋敷を出た瞬間からずっとだ。
 彼女の有している魔力量ならその程度で尽きる事などあり得ないのだが――減るものは減る。
 減ったなら補給が必要。魔力は生命力を変換したもの。
 なら、その生命力を増やすにはどうすればいいのか。

 方法は二つ。
 一つは他人から搾取する事。
 そしてもう一つは、

「ゴハンだゴハン。お腹が減ったら白い炊きたてのゴハンを食べよう。都合良く目の前はファミレスだ」

 よっしゃ、いっぱい食べるぞー! と声を張り上ながら店の中に入る。
 魔力はもう解いており、突然な三十路の大声に何人かが驚いて振り返ったりしていたが気にしない。

 ――効率の問題だ。
 他人から無慈悲に奪う方が手っ取り早いのなら、彼女はなんの迷いもなくそちらの方法を選ぶ。
 選ばないという事は言うまでもなく効率が悪いからだ。
 他人から生命力を奪う時は“吸引”と呼ばれる結界を発動させる必要があり、それに伴う下準備はなかなかに手間で、しかも消費魔力は比較的多量。
 故に、この方法は消費する魔力を遥かに上回る量の生命力を搾取したい場合にのみ使用する。
 単に空腹だからといって選ぶ手段ではない。だから簡単に生命力を補える食事の方が効率は良いのだ。

 ――余談ではあるが、この一週間、大勢の人間が集う場所ばかりを狙ってかき集めた尋常でない量の生命力。
 それは今、彼女の中にはない。
 自身に取りこみもせず、別のモノに流しこんだが故に。



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 結構な時間が流れて、店から二人が出てくる。
 満腹な彼女はさっきもたれかかった建物の壁に、変わらず煙草を口にくわえていた。
 少女も同様に、あれからずっと路地裏の影にいる。
 やはりその瞳には殺気を感じず、明らかな迷いの色が見え始めていた。

 二人の姿が遠ざかっていく。少女は追わずに立ち尽くしたまま、その後ろを虚ろな瞳で眺めていた。

「追わなくていいのかい? 早くしないと見失ってしまうかも」

 魔法使いの声は距離的に、それと雑踏の音にかき消されて届きはしないだろう。
 それでも、少女は歩き始めた。
 不安な足取りでいつ転んでもおかしくない。しかし、三千院ナギは歩みを動かしたのだ。
 魔法使いはニィ、と口元を歪めつつその後を追う。

 しばらく歩き続けて辿り着いたのはあの二人が今日、待ち合わせをした広場。
 かたや雨塗れのベンチに座り、かたや広場の隅に設けられた人工の茂みに身を潜めた。
 双方を見比べている魔法使いは広場の入口に立ったまま、先端の短くなった煙草を携帯灰皿に押しこむ。
 煙草の箱から新たに取り出した最後の一本に火を灯し、空になった箱を近くにあったゴミ箱に放り投げた。

「勘だけど、ストーカー紛いな行為もここで終点かな?」

 一度だけ雨空を仰いだのち、少女の方へと歩き出した。
 一歩踏み出す度に、その足元から黒い霧状の何かが吹き出している。
 それはやがて彼女の体全体を覆うまでになり、そして徐々にカタチを成していった。

 ――現れた黒衣。それを身に纏う魔法使い。
 吐く煙草の白は雨に霧散し、消えてゆく。



To be continued,

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あきゅろす。
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