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A wizard
 



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「釣れないな……」

 溜め息と共に呟かれたその言葉は、さらさらと数日前から降り続いている小雨の音に溶けこんでいく。

 とある河川敷。
 川をまたぐ大きな鉄橋の下、雨に濡れていない唯一の砂利道に腰を下ろし、女性はつまらなそうに釣り竿を川へと向けて握っていた。
 彼女の憂鬱さの原因は無論、その握った竿がここ数時間ビクとも反応を示さない事である。

「雨の影響で川の流れが少し速くなっているから釣れない? ……馬鹿な、流れが速いからといって川の中の魚が丸ごと消える訳がないだろう。いるんだよ絶対に、魚はここに。……なのに何故釣れないんだ……」

 はあ、とまた深い溜め息。
 いつもならもっと景気よくバンバン釣れるというのに、今日はどうも調子が上がらない。
 釣り上げた魚を入れる為のクーラーボックスは綺麗に空である。

 七本目の煙草に火を付けて、口にくわえ直す。ちなみに吸い殻はきちんと携帯用の灰皿に廃棄している。川の中に投げ捨てるとかいうマナー違反を彼女は犯さない。
 自称、さすらいのヒットマン(釣り人)。最低限の礼儀はわきまえているのだ。

「やはり雨はいかんなぁ……さて、この雨はいつまで続くのやら」

 明日以降もしばらく止みそうもない雨を呪いつつ、髪を少しかきあげる。
 冬の雪を連想させる銀色の髪は肩口辺りまでかかり、その隙間から覗く白い横顔はどこか現実離れし過ぎている美貌。
 憂鬱そうに細めている真紅の瞳は、しかし対照的な血生臭さを湛えてはいるが。

 とんでもない美人である事は誰も疑いようがない。……のだがその服装、白いTシャツと紺色のジーパンというシンプルの限界を超越したような身なりがどこかその美人をえらく台無しにしている。
 加えて煙草の持ち方がやけに格好良く、プカプカ吹かす技術めいたものも、何か残念だと見る者が近くにいたら思うかもしれない。
 しかし本人はそれをちゃんと自覚出来ているので問題はない……というのは何か違う気もするが、とにかく彼女は好きでこういう服装や仕草をしている。

 おかげさまで今年で三十路。
 素敵な殿方とのご縁がないのは男っぽい挙動だけではなく、きっと歪曲し尽くした問題ありの性格も大いに関連しているのだろう。
 見かけだけなら稀代の美女と言っても過言ではないのだが。
 そういう点だけ考えると、なるほど世界とはなかなか公平に出来ている。

 ――と。

「……む!?」

 釣りを始めてから実に七時間。
 薄明るくなってきた早朝からもうすっかり昼の時間帯にさしかかった頃、ようやく釣り竿に念願の反応が。
 思わず勢いよく立ち上がり、「きたぁーーーーッ!!」と叫びつつ高速でリールを巻き上げる。
 釣りはこの瞬間の興奮がたまらない。
 餌に食いつく魚、食い逃げられるというリスクを背にする釣り人との熱き戦いはもう既に始まっているのだ。ただ勢いよく巻き上げればいいってものじゃない。こう……緩急をつけなければ……こう! 弾かれるように輝く汗、自然と少年のような笑みが零れる。これがロマン……男の……ああ、釣りってなんでこんなに楽しいんだろう!?

「――ち、長靴か。なんて紛らわしい」

 そうして一気に冷めた。
 極限まで肥大化したテンションは見る影もないくらい虚空へと消え去り、やれやれと再び竿を振って腰を地面に下ろす。
 その傍らにはボロボロに朽ち果てた長靴が悲しげな色を放っていた。

 そういえばと、釣り上げた長靴について考えてみた。
 どうして川底なんかに長靴が捨ててあったのだろう? よく考えてみればおかしな話である。要らなくなったから捨てたのか? いやそれはおかしい。捨てたいのならビニール袋に入れて不燃ゴミの収集日にでも出せばいいのだ。わざわざ川になんかまで持ってきて捨てるのは不自然だと思う。
 では違うのだ。この長靴の持ち主は捨てたいと思った訳ではない。もっと根本的な考え方だ、靴は常に履いているもの。

 ――つまり。

「くく……簡単だ。持ち主ごと、長靴は川に投げ出されたんだろう。自殺か? それとも殺人か? そういえば昔、ここいらでバラバラ殺人があったような……犯人も捕まって体の大部分は発見されたが右足の部分だけ結局見つからなかった、とかなんとか」

 女性の顔がニヤニヤと歪む。
 彼女はそっち方面の話がとてもとても大好きなのだ。
 長靴なんて本当はただのゴミでしかないというのに、あれやこれやともっともらしい理由付けでそういう事にする。
 猟奇趣味、とまではいかないが外国映画などのスプラッタ描写はどういう訳か興奮するし、人間がゴミみたいに殺されていく場面もコメディ感覚で面白く見えてしまう。
 それに反して、恋愛モノの映画を見ると吐き気を催してしまって全く受け付けない。歯の浮くようなセリフ、なんだかんだでハッピーエンド、などといった物語を彼女は嫌うのだ。

 ここまで世間の感覚とズレているなら、性格は最悪だと言ってもいいのかもしれない。
 そうなると三十路で独身も頷けようというもの。

「失礼な……私は至って正常だよ。負の部分を覆い隠して綺麗事ばかり掲げる奴らの方が異常だと私は思うんだがね」

 なんて事を言いながら、ゆらゆらと流れる川面を眺め続ける。
 握った竿は変わらず、なんの反応も示さないまま小雨の音を聞いていると、



「あーーっ! 魔法使いのお姉ちゃんだーーーーっ!!」



 唐突に元気のよい声が複数、土手の上から聞こえてきた。
 小学校低学年くらいの子供達が雨の中、これまた元気よく河川敷まで駆け下りてくる。

「うん? ……ああ、うるさいのがやってきたな……」

 ぶはっ、と口から煙草の煙を撒き散らしながら、憂鬱さをさらに加速させた瞳で駆け寄ってきた子供達を出迎える。

「なあなあ、今日もサッカー教えてくれよっ」
「サッカー? 今日は雨だろう? 嫌だ」
「いいじゃんかよー、お姉ちゃんすっげー上手いし、それに子供は雨の日でも風の日でも元気に走り回るもんだろ?」
「……私は子供じゃないよ。この悩殺おっぱいがキミ達には見えないのか?」

 自分の胸を両手で鷲掴みしてもみもみしてみるも小学生には一切効果がないらしい。頭の中は遊ぶ事しか考えていないのだろう。
 それを悟って一層ダルそうな表情を浮かべる彼女などお構いなしに、五人の少年達はキラキラとした純粋かつ眩しい眼差しでこちらを見つめ続けるのだ。
 そんな熱視線を浴びせられても困るだけである。魚は一匹だって釣れてないし、何よりも天候は静かとはいえ雨に変わりない。
 子供のお遊びに付き合ってるほど大人は暇ではないのだ――

「その煙草の吸い方、なんだかすっごくワイルドっす! シビれるっす!!」
「何? そうか? ふむ、なかなか目の付けどころは悪くない。ふふふ……この人差し指の第二関節辺りに持ってくるのがコツでな、あとはこう、手で口元を覆い隠すように構えて、」

 褒められたのがそんなに気持ちよかったのか、小学生相手に煙草の持ち方を指導していく大人。
 途中で「かっこいー」「ダンディー」「サッカー」などとヨイショが入る。……最後のは違うが。

 ――で、結局。

「おらおら! 一人前なのは口先だけか? 五人がかりでもいいから、おねーさんからボールを奪ってみろ!」

 少年そのものの爽やかさで、三十路の女性は雨の中、広い河川敷をどこまでも駆け抜けていくのだった。



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 三時間ほど走り回ってから、大方学校をサボっていたであろう子供達を追い返し、汗と雨でビショビショになった体を引きずって橋の下まで戻ってきた。

「まったく……つい子供みたいにはしゃいでしまった。しかし毎度ながら小学生の体力も侮れん……遊ぶ事に関してはもはやアスリート級だよ」

 などと言いつつ、やれやれどっこいせとさっきまでの定位置に座る。
 今日唯一の成果であるボロボロの長靴は、やはり悲しげな影を帯びていたが。
 気にせず、釣り竿を振って細い糸の軌跡を目で追う。

「――――」

 ぼんやりと川の流れに意識を同化させてゆく。
 釣りは獲物がかかった瞬間も最高だが、こうして時間の経過を静かに刻んでゆくのもなかなかオツなものである。

「――さて、必要最低限の生命力は昨日で集まった訳だが」

 川面を眺めながら、脈絡もなく、まるで忘れていた事を思い出したかのように彼女――魔法使いは呟き始めた。

「これを全て魔力に変換して、“召喚陣”を形成する。あの少女の属性に邪魔されたとはいえ、“あっち側の世界”との接合部を見つけるのに一年もかかったのは実に情けない話だが……まあなんとか間に合っただけでも殊勲賞ものだろう」

 自嘲気味な言葉と笑みを交えて、さらに続ける。

「しかし、私が“反属性”を召喚するのはこの物語が次の章に進めたらの話だ。今の状況は一年前の再現と言える。――これはキミに与えられた試練だぞ? 三千院ナギ」

 今この場には魔法使いだけしかおらず、当然、彼女が今口にした名前の人物もここにはいない。
 だが、魔法使いは一人の少女に対して言葉を投げかけていた。

「キミは物語の主人公、そして私は観客であり脚本家。私の方の準備は整った、あとはキミが己の目的を思い出すだけで幕は上がる」

 その紅い瞳は今、何を映しているのか。
 彼女の考えを言い当てる事など誰にも出来ないが、おそらくは遠くない未来を見据えていた。
 先に言った通り、彼女は物語の脚本家である。ならば当然期待する、自分の書き上げたシナリオが素晴らしいものに仕上がる事を。

「狂気なんかに染まっていては先に進めない。キミが望んだ事はそんなものではないだろう? だったら余裕で越えてみせろ、一年前の焼き直しである今この時を。それでこその、主人公なのだから」

 独り言を言い終えたと同時に、握った釣り竿が大きく揺らいだ。

「――お!? こ、この反応は……大きい……こいつはかなりの大物……! 体がまるごと持っていかれるようなこの威圧的な感覚……間違いない、川の主だっ」

 数瞬前までの呟きなど頭から消えてしまったのか、彼女の眼光は魔法使いのそれから釣り人へと即座に切り替わる。

「おおお……ものすごい力だ、腕が軋みをあげている……くく、面白い。この私と勝負する気か? ならば受けて立とうじゃないか。この身は滅びの象徴とまで言われた魔法の担い手、魚ごときに遅れなどとりはしない……っ!!」

 いい年をした大人が雨の中で釣り竿を手に、橋下の河川敷で最高潮の興奮とともに絶叫していた事を知る者などいない。
 それに同じく、魔法使いである彼女の目的を知る者もまた一人としていなかった。

 ――今はまだ、誰も。



To be continued,

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あきゅろす。
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