Interlude 午後十時過ぎ。 ご近所迷惑もギリギリに好き勝手遊び終えた後、部屋の中はようやく静けさを取り戻していた。 「まったくもう……寝るんなら自分達の家に帰ってからにしてよね……」 呆れた口調で、ヒナギクは床で寝てしまっている美希を両手で抱き上げる。 女性とはいえ、成人している相手をこう苦もなく抱えれるのは日々の鍛錬によるものだろう。 しかし、女性をお姫さま抱っこ。 なんだかその絵が、自分から女性らしさとかそういった何かを根こそぎ奪っていくような……いやまあ、気のせいだろう、とヒナギクは深く考える事を止めておいた。 「むにゃむにゃ……ああ……私は幸せ者だぁ……」 「……とても満足げな寝顔ね、一体どんな夢を見てるんだか」 きっとバカな夢でも見ているんだろう、だってバカなんだからと、彼女の寝顔を眺めているうちに足は空き部屋の前まで来ていた。 部屋の中には既に寝息が二つ。ヒナギクが抱えているものも合わせれば三つ。 それと同じ数だけ布団がその室内に敷かれていた。 元々、物置として活用していた部屋だが、昨今では彼女達のお泊まり部屋としての用途に変貌しつつある。 無論、泊まってもいいなどと許可した覚えは彼女にはない。 ここは宿屋とかそういうのではないのだ。遊び場としては許したが、遊び終わったならきちんと家に帰ってもらわなければ困る。 ――なんていうのは。 「どうでもいいか……ええ、どうせ溜め息をつくのが私の役割よ。この後あなた達の家に今日はここに泊まる事を連絡するのが私に課せられた使命なんでしょ」 誰がそんなの決めたんだ……という文句を喉元付近で抑えつつ、美希を布団に寝かせた。 これで全員運び終えたなと、軽く息をついて部屋を立ち去ろうとすると、 「むにゅ……行かないで……一緒に……」 がしりと、寝ぼけ眼の美希に腕をつかまれてそれから。 「うぅ……焼き肉……焼き肉の追加はまだなのかっ!? 早く早くっ、焼き肉ぅ!!」 「やっほー、焼き肉焼き肉!!」 よく解らない寝言で室内が急に騒がしくなった。 ……いや、よく解らないなんて事はなくて焼き肉の夢を見ているんだろうけど。 ……いやいや、そんな事はどうでもいいから今は黙らせよう。こんな時間にこの騒音は隣や上の階の人に迷惑だ。 三人の家に連絡し終えて自分の部屋に戻った頃、時刻は十一時をとうに過ぎていた。 美希の手を振り解くのと理沙と泉の焼き肉連呼を鎮めるのに、思いのほか手間取ってしまったらしい。 「ああ……ようやく一日が終わるわね……」 ぼふっ、とベッドに仰向けになる。 暗い天井。電気は付いていない。 耳を澄ませば、静かな雨音が窓の向こうから聞こえてくる。 目を閉じれば今すぐにでも睡魔が襲いかかってきそうな中、ふと、部屋のカレンダーが視界に入った。 次の日曜日にマジックで丸印が付けられている。 今日は火曜だからその曜日までの間隔はまだ長い。 それがやけにもどかしい。そういえば昨日だって、いや、この前の日曜日に彼と約束した瞬間からそうだった。 待ち遠しいと、部屋の時計の針をいじる事で現実の時間が進むなら、きっと明日には日曜になるように調節している。 そんな意味のない事まで考え始めて、ふと思う。 彼も自分と同じように、約束の日を待ち遠しく感じてくれているだろうか、と。 また意味のない想像だ。そんな事、いくら考えたって答えは出ない。 それでも、彼も自分と同じだったならいいのに、などと考えてしまうのは既に手遅れな末期症状なのか。 「そうよ……末期も末期、もう助からないほど進行してるわよ……それがなんだっていうのよ……」 ぶつぶつと小さく呟き、毛布を頭まで被る。目も閉じた。 乙女な思考はここまでにしておかないといけない気がする。成人をとうに過ぎた年齢の身、これ以上はなんだかイタいだけのような気がするのだ。 だっていうのに、瞼の裏に映るのは想い人の姿。 その笑顔を思い返す度に一人、にやけてしまう。 「――――ッ、べ、別に好きな人を思い浮かべてにやけるくらい普通じゃない! むしろビックリするくらい正常で健全よ! イタくなんかないわ!!」 暗闇の中、毛布で全身を覆い隠して大声でそう叫ぶ大人の姿が一番イタかったという事実は気付けなかった。 「ああもうっ……! 変に考え始めちゃったから眠れない……まったく、修学旅行前日の小学生じゃないんだから……」 言いながらも、案外的を得ている比喩だったかもしれない。 その日が来るのを待ちきれない、行く先での楽しみをたくさん想像してしまう、そんな今の自分の心境はまさに小学生のそれではないのか。 「否定は出来ないかも……って、そうじゃなくて! ……ああ、なんでもいいから別の事を考えよう……」 約束の日曜日については、そろそろ頭から切り離さないとなんだか寝れそうになかった。 そこは他の何かを考えれば解決出来るのだが、なかなか適当なものが思いついてくれない。 「うーん……」 ――と。 「あ、そうだ。明日辺りにまた学校に行かないと」 毛布から顔を出して、つい忘れていた事を思い出した。 昨日、白皇学院の剣道場で忘れ物をしていたのだ。 そのまま気付かずに帰宅してしまい、ヒナギク宛てに学校から電話があった。 銀の懐中時計が部室に忘れてあって、今は保管してあるから都合のいい時に引き取りにきて欲しいと。 まさか面倒だからと断る訳にもいかないので、近いうちに学校に向かう旨を電話口で伝えた訳だが。 「うっかりしてたわ……忘れ物なんてあまりした事ないのに」 ヒナギクにとって、そこまで大切な代物でもないが、あれは一応その年の最優秀生徒だかに贈られる銀時計だ。 大きな思い入れこそないにしても、ヒナギクがあの学校で頑張っていた証でもある。それをむげにする事もないだろう。 そういう訳で、明日の仕事帰りにでも寄るとしよう。 そうまとめたところでふと、また別の事を思い出した。 昨日の白皇学院、という共通点からだろうか。 「――――」 昨日、あの学校のとある場所で、懐かしい少女と再会した。 数年ぶりだった。会うのは学生以来だっていうのにお互いの名前がすぐに浮かんだのは、学生の時に決して浅くない付き合いがあったという事だ。 「ナギ、綺麗になってたな……」 口にはしなかったが、一目見た瞬間の素直な感想がそれだった。 学生の時の彼女はまだ成長期の途中だった、という事だろうか。 それとも、ヒナギクの中での三千院ナギの印象が女の子そのものだったが故の反動なのか。 どちらにせよ、昔と比較するのが申し訳ないと思うほど、ヒナギクの前に現れた少女は綺麗になっていた。 身長は伸び悩んでしまったようだが、佇む雰囲気からは子供らしさが消えていたし、昔から端正だった顔立ちは時を経て清楚な印象さえ見る側に与えてくる。 月色の長い髪は、風のある月夜によく映えるのでは、なんて想像までしてしまう。 ――それだけに。 「でも中身は全然変わってない、と」 あそこまで美人になっても、不機嫌そうに細めた目や、ぶっきらぼうな口調だけで昔と同じ風に見えてしまうのはなんの手品か。 しかし、それが妙に嬉しく思えたのだ。 昔の記憶と変わらないその在り方こそが、外見よりも何よりも綺麗だったから。 人は、変わらずにはいられない。 時間の流れには決して逆らえないから、見かけなんて否応なしに変わっていってしまう。 それでも変わらないものがあるとすれば、あとは中身だけだ。 それだってなかなか難しい。 変わらずに、そのままで在り続けるのはきっとすごい難しい事なのだ。 だからこそ、桂ヒナギクは三千院ナギを綺麗だと思えた。 ……そういう意味で言えば、空き部屋で寝息を立てているバカ三人も綺麗だという理屈になってしまうのだが。 ……あれはまあ、なんていうか違うような気がする。 とりあえずあの三人は除外しよう、とヒナギクは心中で深く頷くのであった。 「ふぁ……ん、ようやく眠気がきたわね……じゃあそろそろ……」 ここにきて睡魔が訪れた。 時刻はもうじき、日付が変わる。 「う……ん、」 ついさっきまでは眠れる気配すら見せなかったというのに、襲う睡魔は簡単にヒナギクの意識を閉じにかかる。 その、眠る間際。 「そういえば……あの時……」 昨日、三千院ナギとの別れ際を思い出した。 ヒナギクが最後に言葉をかけた時、あの少女が少し体調悪そうな仕草を見せた。 こう、手を頭に当てて、頭痛を抑えるような。 大丈夫かと声をかける前に、彼女はヒナギクに背を向けて去っていたが。 「まあハヤテ君がついているから……大丈夫、か……」 うわごとのように、そう呟いた。 その事が、どうして今になって気になるのか。 いや、それよりも、自分はあの少女との別れ際になんて言ったのだったか。 考えるよりも先に、意識は眠りへと落ちていた。 Interlude out. [前へ*][次へ#] [戻る] |