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V‐A
 



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 理由や動機なんていうのは、単純極まりないものでしかなかったのだ。
 どうしても欲しいモノがあって、それを手に入れようとした。ただそれだけの事。

 私は大金持ちだ。それも超が付くほどの。自慢している訳ではない、そういう肩書きが私にはあるという話だ。
 その有り余る資産で買えないモノなんて、おそらくはほとんど無いのだろう。
 服、アクセサリー、車、家――その気になれば小さな国の一つくらいは平気で買えてしまうのかもしれない。
 私に買えないモノなんて、ほとんど無い。

 ――だけど、あるのだ。
 この世界には、買えないモノがある。少なくとも金なんていう紙切れでは絶対に。
 それ自体に形は無い。だから目には見えないし、触れもしない。
 だから酷く曖昧で、不確かだ。それでも、それはこの世界のどこかに必ずある。
 探せば見つかる。だけど探さなければ一生見つからないのだと、思う。
 私は探した。欲しかったからだ。この広い世界のどこにあるとも知れない、しかも金では買えないそれが欲しくてたまらなかった。
 探して探して、その果てにようやく見つけた。
 見つけたからにはもっと欲しくなった。
 あれも欲しい、これも欲しいなんて欲張りは言わない。たった一つだけのモノが手に入れば他には何もいらない。

 その、形の無い何かを手に入れる事が、いつからか私の夢となった。



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「……いただきます」

 午後七時。陽はすっかり沈み、茜色だった空には夜の帳が落ちている。
 ソファに座った私は、横目をやっていた窓の外から目の前のテーブルに並べられた料理へと戻して、行儀良く手を合わせた。
 いつもならこの場所にあるはずのもう一人分の声が無い事に若干の違和感を覚えつつも、私は気にしない素振りで箸を手に料理を口へと運んでゆく。

「まず……やっぱりハヤテのように上手くは作れないな」

 はあ、と軽い溜め息をつく私の声はどこか諦めの色が滲んでいた気がする。
 今日の夜食は――とは言っても朝と昼もだが、私が自分で作った。
 品目はいたってシンプル。料理の腕がド素人でもなんなく作る事が可能な野菜炒めと、火加減さえ間違わなければ猫でも作れるであろう焼き魚。あとは白米とお吸い物と水。
 ここまで初心者向けの品目にも関わらず、やはり私が作ったものだから美味しくはない。
 野菜炒めはフライパンに敷く油の量が多すぎた為かギトギト。焼き魚は真っ黒の一歩手前な焦げ具合。白米は入れる水の分量を間違えたか、なんだかお粥っぽい。その上少し臭う……ああそうだ、研ぐのを忘れていた。
 まともに作れたのは市販のお吸い物と水だけ。

「……」

 その現実に返す言葉などありはしない。
 三年も料理を勉強しておきながら、この程度の料理すら満足に作れない自分。もはや情けなさを超越して笑えてくる。
 だが、こみ上げたその笑いをなんとか堪えた。ここで笑ってしまえば何かが終わってしまうような気がしたのだ。……なんとなく。

「ハヤテ、遅いな」

 手に握った箸をいったん食器の上に置き、居間の時計を見上げながらそんな事をポツリと呟く。
 時間なんて気にしないで休んでいい――ハヤテにそう言った事を、私はいまさらながらに後悔しつつあった。
 やはり、この違和感は嫌だ。
 いるはずの人がいない。もう少しで帰ってくるのは分かっている。それでも、この胸の辺りに落とされた空虚さは、苛立ちにも似た何かを私の感情に植え付ける。

「料理、冷めてしまうではないか」

 同じテーブル、自分が座っている方とは反対側に手を付けていない料理がもう一人分だけ用意されている。
 誰のために作ったかなんて明白。理由だって同様、ただいつものように一緒に食べようと思ったから作っただけで。

「まったく、ハヤテは本当に――ん!?」

 まったくだなと、そう言おうとしたところでガリッ、というあまりよろしくない音が口の中に響き渡った。
 一体何事だろうかと、その唐突な異音に驚愕しつつ、私は口からその原因らしきモノを吐き出して、

「……なんだこれは」

 なんだもなにも、ニンジンでしかないのだが。補足するなら、しっかりと中まで火が通っていない生焼け状態のニンジン……が私の手のひらの上で悲しげな影を帯びている。
 突きつけられた現実。おまえに料理は無理なんだよと、神さまからそう告げられているかのような。

 ……。

「ごちそうさまでした。ああ、おなかがいっぱいだ。もう食えん。なので寝よう、今日の私は非常にお疲れなのだ」

 とりあえずこの場は現実から逃げる事にした。それこそ某メタル系スライムがごとき速度で。今ならどんな攻撃や呪文だってヒラリとかわせる気がする。
 それはさておくとしても、テーブルの上からは既に一切の食器類が取り除かれていた。
 ほんの何秒か前までは確かにそこにあったはずの料理達は、超スピードで居間から台所まで移動した私の手によって生ゴミ処理。残った食器は台所にある業務用の大型洗浄機にぶちこんだ。
 このあまりにも素晴らしい手際の良さを誰か褒めてくれ。

「ああ眠い。眠いわー、眠気なんてまだこれっぽっちも無いのに眠いわー」

 のそのそと、台所から居間へと帰還して来たところでソファにうつ伏せの体制で倒れこむ。そこでふと、床に落ちていたテレビのリモコンが目についた。

「寝る前にニュースでも見て日本の政治と世界情勢を把握しておくとしようか。眠いけど」

 そんな事を言いながら、ソファの上でだらけたままの私はリモコンのボタンを押した。
 ブゥン……という起動音と共に映像が液晶画面に浮かび上がってくる。
 ただなんとなく、そんな軽い理由でテレビの電源を入れようとした事がおそらくは運のツキだったのだろう。
 私の、ではない。それじゃ誰のかって? それはおまえ――



『いやあ、やっぱり“料理が出来ない女”っていうのはクソですな。果たして彼女達に生きる価値なんてあるんですかねぇ……だってクソですよ、クソ。優しく言いかえればウン――』



 テレビの。
 気付けば液晶画面にはリモコンが突き刺さっており、プスプスと白煙が立ち上っている。
 握っていたはずのリモコンが手元に無い事から、なるほどあのテレビに突き刺さっているリモコンは私がぶん投げた物なのだなと。
 テレビは完全に沈黙。奇跡でも起きないかぎり、二度と息を吹き返す事はあるまい。

「……」

 同様に私も沈黙――している訳ではなく、

「うぅぅ……」

 大地を震わすと言っても過言ではない唸り声。

「ぐ、ぐぐぐ……」

 怒りを収束し過ぎた拳には危ない光が宿っている。このまま拳を振るえば、もしかしたらビームみたいなものが出せそうな気がしないでもない。

「だあああああああああっ!! うるさいうるさいうるさぁーーーーい!! 料理が出来ない女はクソだと!? なんだそれは!? 一体いつの時代に生きた化石野郎だ貴様はっ! 謝れ! 今すぐ私に謝れ! 顔面をコンクリにめりこませるまで激しく土下座して謝れっ!!」

 怒りの矛先は何故だか座っていたソファの背もたれへと向けられた。
 腰を軸にして右腕を後方に引き、その生まれた反動で思いっきり拳を前方へと突き出す。
 ドスッ、ドスッ、と破壊力満点の右ストレートを連続で食らわしてやるのだが所詮私は非力という事で、何度目かのパンチの後にグキッ……などと不安な音が右手首付近から聞こえてきた。

「うおっ!? い、いたぁ……は、ハヤテ、至急医者の手配を頼む……骨が折れた」

 無論、折れてなどいないが。軽くひねっただけだろう。
 いや、それより――

「……ああそうだった。ハヤテは今、いないんだったな」

 呟き、今さっきまで殴り続けていたソファに再び倒れこむ。今度は仰向けに。
 自然に飛びこんでくる居間の照明が眩しくて、痛みが地味に残っている右手でその光を遮るように目元を隠した。

「……なんだか今日はさんざんだな。料理は失敗するし、手首は痛いし、ハヤテはいないし」

 本当に、さんざんだ。
 料理を失敗するなんていうのはいつもの事。日常茶飯事。
 だけど今日はどうしてだか、それが妙にこたえた気がする。
 それはハヤテがいなくて屋敷がとても静かだから、なのか。
 多分そうなのだろう。静かな場所というのは否が応にも、余計な事を考えてしまいがちだから。

「まったく、私の夢はどうにも――遠すぎるな」

 そんな弱音が思わず零れた。
 目元を覆っていた右手を天井にかざす。

「あいつを幸せにしてやる事が、私の夢」

 かざした手のひらを、何かを掴むようにして握りしめた。

「……はは、とんだ偽善者もいたもんだ。なあ、三千院ナギ?」

 嘲笑を含んだその言葉は紛れもなく自分に向けたはずなのに、どこか他人事めいている。
 握った手のひらを開いてみると、当然ながら何かを掴めているはずもなく。

「あいつを幸せに? それは嘘だ。おまえは他人の事なんて考えない。おまえはいつだって、自分の事だけだ」

 ――そう、だからきっと、私は選ぶのだ。
 幸せになれる右と、不幸になる左。
 最終的に私は、右を選んでしまうのだろう。
 たとえそれが、間違った道だとしても。

 所在無く宙に漂う右手を、再び目元へと戻す。まるで、自分の表情を誰にも見られてしまわないように。
 だって今の私の表情は、とても冷たい本性が滲み出ているだろうから。
 思考も遮断しておく。あまり考えすぎるのは――良くない。
 そうして、私はいつの間にか眠りについてしまう。
 間もなくして自分の執事が屋敷に帰ってきたらしいのだがその日は結局、このまま起きる事は無かった。



To be continued,

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