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U‐B
 



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 休日という事もあり、都心部は結構な人で溢れかえっていた。
 家族連れや恋人同士などといった人達が仲良さげに手を繋いで、絶え間なく視界の横に流れていく。

 目線を少し上にずらしてみた。

 広場に設置された時計が報せる時刻は午前、十一時三十分。
 確認し終えた後は再び目線を落として、人々の流れを見続ける。そして、それから一分も待たずにまた時計を見上げる。
 そんな、いかにも時間を気にしている風体の動作を、僕はこの場所に来てから何度も繰り返していた。
 待ち人来たらず、といった印象を傍から見れば抱かれるかもしれない。
 実際その通りなのだが、間違いでもある。
 約束の時間は正午きっかり。待ち人なる方がここに来るまでにはまだ、時間的に早いのだ。

「今日、晴れて良かったな」

 空を仰いで零れたその呟きと、背中を預けたベンチの軋んだ音は広場の喧騒にかき消される。
 雨が降る余地などこれっぽっちも無いような澄んだ空に、僕は心底安堵していた。
 本日の快晴はひとえに、今日だけは晴れてくれと強く願った結果だろう。
 てるてる坊主を千個作ったのも無駄ではなかった。ティッシュの無駄と思われがちであるが、ちゃんと捨てずに使用するので問題は無い。資源は大切にしないとダメだ。
 それはそうと、再び目線を上にずらしてみる。
 現在時刻は十一時三十一分。前々回の確認作業から一分しか経過していなかった。おかしい、時間が経つのが異様に遅く感じる。壊れてるんじゃないだろうか? あの時計。
 それからまた目線を落として、また上げるという無駄な往復を繰り返す。

 東京の都心部、超高層ビル群が天を突き刺すように、かつ無尽蔵に立ち並んでいる。人や車の量も半端ではない。
 そんな街中のとある広場に僕はいた。
 公園と呼べるほどの緑や遊具施設がある訳でもない、あるのはベンチが数ヶ所とさっきから自分が見ている時計くらいなものである。
 なんの面白みも皆無なこの場所に自分がいるのは、約束したから。

 ――それじゃ、次はいつどこで会おっか?

 昨日、高校の友人である赤毛の女性からそう訊かれたのを思い出す。
 僕はそれに、駅から歩いて数分もかからないこの場所でと答えた。
 正直、信じられない話だと思った。また会おうと、そう言ったのは確かに自分からだったが、彼女の返答は否定でしかあり得ないと思っていたから。
 しかし実際はそうではなく、

 ――分かった。じゃあまた明日、その場所でね。

 本当、驚いた。
 彼女が、笑顔でそう言ったから。

 その事が本当に――

「お待たせ……っていうか早いわね、ハヤテ君」

 ハッとして、広場の時計を捉えていた目線を下げる。
 そこにいたのは、今日二人で会おうという約束をした相手。

「い、今来たところです! その、一時間近く前からいるなんて事は決してないですからっ!」
「……一時間近く前からいたって事ね……ハヤテ君らしいといえばらしいけど、何もそこまで早く来なくてもいいのに」

 ちょうど今ここに来たのだ、というのを不自然に強調したせいであっさり見抜かれてしまう。
 だが、より正確に待っていた時間を告白すると、実は二時間以上だったりもする。まあ、それは黙っておく事にしよう。言ってしまうとなんだか怒られてしまいそうな危険がある。

「う……でも誘ったのは僕の方、です、から……一応……」

 後半の言葉が小さく口ごもる。顔も徐々に赤くなってきた。
 誘った、奥手であるはずの自分が。
 その揺るぎない事実が無性に恥ずかしくなってしまったようだ。

「まあ、いいけど。それより――」

 こほん、と声を整える仕草と、例の嬉しそうな笑顔をその表情に乗せて、

「今日はよろしく。デート、言い出しっぺはハヤテ君なんだから、思いっきり楽しませてよね?」

 可愛らしく首を傾げ、その長く綺麗な髪を揺らしながらそんな事を言ってきた。



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「このっ……! そう、そこ! そのままそのまま……ああ……また失敗しちゃった」

 ライオンのぬいぐるみが、悲しげな瞳でこちらを見やっていた。
 なんの話かといえば、UFOキャッチャーである。
 彼女と一緒に広場から出て数分、騒々しい街中で一番最初に目に止まったのがゲームセンター。

「もう一回……あのライオンを取るまでは諦めないわ!」

 だそうだ。
 もうかれこれ十五分くらい粘っている。その粘りたるや、勢いよくかき混ぜた納豆のごとく。
 一回二百円。当然ながらそのお金は僕の財布の中から。
 それはもちろん全然問題無いのだが、どうやら彼女はこういったゲーム的なものに関してはまるでダメらしい。

「ああもう! なんなのよ、あのライオンは! 馬鹿にしてるような目で私を見て……そう、分かったわ。私にだって意地がある。絶対に取ってみせるんだから!」

 そう高らかに宣言した彼女は「なにしてるのよハヤテ君! 次、次!」と、マネーを僕の財布から掃除機ばりの勢いで吸い上げてゆく。
 そんな必死な彼女の視線の先には、UFOキャッチャーのショーウィンドウ。
 愛いらしいぬいぐるみ達で溢れかえっているその中の一点に、獅子を模したぬいぐるみが。
 アフリカでは百獣の王で畏れられているであろう目の前のそれは、しかし威厳など微塵も感じ取れないくらいに可愛くデフォルメされてしまっている。
 彼女、桂ヒナギクはそれを一目で気に入ったらしく――それでこんな状況になってしまった訳だ。

「ああっ!? また……」

 落ちる。

「今度こそ! やった! 取っ――え!? なんでよ!」

 また落ちる。

「……」

 そして言うまでもなく、落ちた。

「あ、あの……ヒナギクさん? そのライオンのぬいぐるみ、僕が代わりに取りましょうか……?」

 どことなく、真っ白に燃え尽きたぜ……みたいな事を無言で語る彼女の背中に向けて、やや後方からおそるおそる声をかけてはみるのだが、

「……嫌よ。それじゃ私の負けになってしまうもの。これは……この戦いは絶対に負けられない」

 なんていう感じの、よく解らない返事が返ってくるだけだ。
 それより、楽しいはずのUFOキャッチャーはいつから戦いとかいう物騒なものに成り果ててしまったのだろう。

「次……次で決めてみせるわ。さあ、覚悟しなさいよね……ライオンのぬいぐるみ!」

 その気迫というかオーラみたいなものはまさに風に聞いた戦国の武将。
 敵将の首を討ち取らんと、口では語らずともその背中が語っていた……気がする。
 鋭い視線はぬいぐるみに一点集中。右手はアームを操作するレバーに。左手は僕がいる後方へと差し出していた。金をよこせと。

「絶対……絶対取る……大丈夫、私なら出来る……ぶつぶつ……」

 聞き取れないくらいに小さな声で何かを呟いているのはさておき、彼女は僕から手渡されたお金を投入。
 レバーを横に倒す。その瞬間、ミシッという何かが折れそうな音が聞こえたのは多分、気のせいだ。
 それに連動してアームが目標の真上に到達。
 アーム下降。開閉。上昇――僕の瞳に映ったのは首の辺りをガッチリと締め上げられたライオンのぬいぐるみの姿。

「お、お願い! そのまま落ちないで!」

 ライオンは捕獲され、横に移動していく。目指すは取り出し口へと通じる穴。
 そしてついに、ぬいぐるみは取り出し口へと向かって落下して――

「あ……や、やった……やったわ、ハヤテ君! ついに取れ……」

 歓喜に打ち震えるまさにその直前、だろうか。
 彼女の表情は例えるなら、ハトが豆鉄砲をくらったような、いやむしろ豆鉄砲がハトをくらったような(?)感じになっていた。

「「……」」

 かける言葉が見つからない。なので、自然と沈黙に。
 ショーウィンドウの中にいるライオンのぬいぐるみだけが、やはり悲しげにこちらを見つめていた。
 ……わざわざ説明する必要もないが、結局ぬいぐるみは取れなかった。
 なんていうか、取り出し口に落ちていく途中にあるプラスチックの板みたいなアレに弾かれて、それで……。

「はあ……私って昔からこういうの苦手なのよ……」

 彼女はあえなく白旗を上げた。
 もう一度「僕が代わりにとりましょうか?」と言ってみるが、「いいわよ、別に」と、落ちこんでいるとも拗ねているともとれる反応が返ってくるだけ。

「ま、まあ……気にせず次、次に行きましょう!」

 一般的に言うところのデートなんていう代物の始まりは、とりあえずこんなぎこちなさが満開な感じに。



 /3



 気を取り直して向かった場所は、街の通り沿いに構えていた喫茶店。
 双方ともまだ昼食を取っていなかったということもあり、そこで軽めに済まそうとした訳である。
 談笑を交えての昼食はほどなくして終わり、次の場所へと。
 ベタではあるが映画館に行こうという僕の提案は快諾されて、チケットを二人分購入。
 午後の時間帯にやっていた映画は今流行りの恋愛モノ。テレビなどでも大々的に取り上げられているもので、映画のチョイスにはなんの問題も無かったはずなのだが……問題が発生。
 噂には聞いていたが、この映画、ラブシーンが結構激しい系のやつだったのだ。
 いや、いいんだそれは。別に構わないんだ。本当は問題なんか何も一切全然無いんだ……けどそれを女性と一緒に見てしまうとどうしても気まずい雰囲気になってしまう訳で。
 そういうシーンが暗い館内のスクリーンに映し出される度に「おお……」とかいう言葉が隣にいるヒナギクさんと重なってしまう訳で。
 まあ、早い話が映画のチョイスを間違えたという訳で。

「あー、楽しかった。こんなに楽しんだのって本当、何年ぶりかしら?」

 ゲームセンターはぎこちなく、喫茶店では少し持ち直したが、映画館では気まずいというか恥ずかしいような空気になった。
 だっていうのに、彼女の表情は大いに満足げに見えた。
 特別何かをした訳じゃない、普通とは違う珍しい場所に行った訳でもないのに、夕刻を示す橙色の光を浴びた彼女は楽しかったと、そう言っている。
 それが嘘でないと分かれば、こちらもつられて満足げな表情になってしまう。

「そう言ってもらえると嬉しいです。僕も……楽しかったですよ」

 映画館からの戻り際、相変わらず人通りは多いけども夕日のおかげか、どこか静けさが立ちこめてきた街の通りで僕は言う。
 もちろん、その言葉に嘘などあるはずもない。本当に楽しかった。
 ヒナギクさんが言った事をそのまま借りるが、こんなに楽しんだのは何年ぶりだろうか。
 考えてみてもよく思い出せない。忙しい執事の仕事の中で、気づけばそんなものとは無縁になっていた。
 毎日毎日、同じ繰り返しを、あの屋敷で過ごす内にいつからかそういう風になってしまった。

「本当に、楽しかったです」

 ――だから、こんなにも満足に思えたのか。
 そして、この時間が終わらないように、などと――

「そう。じゃあまた来週辺りに予定空けておいてよね」

 止まった。多分、思考が。耳に入ってくるはずの街中の喧騒が。それと、

「今度こそは、あのライオンのぬいぐるみ、取ってみせるから」

 風が。

「そうね……来週の日曜日、今日と同じ時間と場所でまた」

 ……何が起きている? いや、もう起きた後なのか。
 その言葉は脳の記憶層には入った。入りはしたが……解析不能。
 今日は、今日のこれは一度きりで終わるはずではなかったのか? 少なくとも自分はそうだと思っていた。
 この後にヒナギクさんが「じゃあね、ハヤテ君。またいつか」と言って終わるものだとばかり。

 予想とはずいぶんかけ離れた展開に、僕は次にヒナギクさんに声をかけられるまでずっと、静止した時の中の住人を見事に演じていた。



To be continued,

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あきゅろす。
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