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―記念文倉庫―
8●
結局、朝になっても家康からの連絡はなかった。
神戸の元親が取っているホテルに一時身を寄せ、泥のように眠った。夕方に起き出した政宗が家康の携帯に電話をかけると彼はあっさりとこう言った、
『踏ん切りが着いた』と。
「家康、お前そんなにあっさり決めて良いのか?」
一晩中、あの強堅な男と何を話して来たのかは知らないが、あれだけある意味肩入れしていた相手を敵に回して戦えるものかと訝しかった。
そんな政宗の問いに優しさを感じた家康は、微かに笑った。
『いいんだよ、儂が折れた。惚れた弱みかな。奴の憎しみの的になって全部受け取ってやろう、そう決めた』
「…お人好しが…」
吐き捨てられた台詞にそれこそ声を上げて笑った家康は、声音を改めて言った。
『そうと決まれば政宗、お前の考えを改めて聞きたい。今日はもう遅いから明日、大阪城近くのあのビルに来てくれないか』
「…All right. 何時だ?」
『昼頃、飯を驕る』
「OK, see you next day….」
携帯を切ると、洗面所で歯を磨いていた元親がタオル片手に戻って来た。
「何だって?」
「明日、会う約束をした」
「お前もつくづく面倒見が良いよな」
言ってベッドに腰掛けた元親と入れ違いに、政宗がダウンコートを手に取って立ち上がった。それを短パン一枚の元親が見上げる。
「何?」きょとんとして、元親が子供っぽく尋ねる。
「何って、大阪のホテルに帰るんだよ」
「え、もう一晩泊まってけよ」
「阿呆、ここはシングルだろうが。ホテルマンが厭なカオしてたぞ」
「細けえ事気にすんな」
言いつつ政宗の腕を引く。だが今度は政宗もそう簡単には折れてやらない。引かれた腕に力を込めて均等を保った。そうされて、元親は冷ややかな相手の顔に見入って軽く片眉を上げて見せた。
「…切っちまえ、片倉さんの事は」
静かな声に、しかし政宗は表情一つ変えない。
「お前が誘わなきゃ乗って来ねえんだろ…どうせ。切れてるも同じだ」
「…で?小十郎と切れた俺はお前とくっつけって?」
「生憎、そうは言えねえな…。俺は方々を渡り歩いてて日本にいる事がまれだからよ。―――ただ、不毛過ぎんだろ」
「不毛だと?」
柳眉を怒らせて反応する政宗に、元親は苦笑を一つ零した。
「別に男同士の関係がって意味じゃねえぞ。そこまで俺ぁ了見の狭え男じゃねえ。ただ、お前がさ…政宗。痛ましくって見てらんねえ」
「何で手前に同情されなきゃならねえんだ」
唸るように吐き捨て、政宗は相手の腕を振り払った。
だが逆に、出し抜けに元親に抱きつかれ、ベッドに押し倒された。
「わからねえか?」後ろから耳元に囁きかける、その低めた声。
「―――…」
「わからねえならはっきり言ってやろうか?」
「いらねえよ」
「…?」
「俺は小十郎なら何だって良いんだ」

多分、そうだ。
望むものはある。応えてくれない事も分かっている。
それでも、良かった。
いや、良い訳ではない。
この苦痛を含めて、他の誰でもない、小十郎に自分は惹かれている。

政宗の衒いのない台詞に、思わず抱き締めていた手が緩んだ。
その隙を突いて政宗は起き上がると、とっとと元親に背を向けた。
「お人好し過ぎんだろ、手前」
背後から投げかけられた台詞が、先程自ら家康に言ったものとまるきり同じだったので、政宗は知れず溢れる苦笑を隠し切れなかった。

クリアボードに掲げられた日本地図に、人の名前を書き込まれたシールが次々と貼付けられた。赤は三成の勢力、青は家康のそれだ。
100カ所以上に及ぶその拠点は大阪を中心にほぼ東西に別れている。それを、傍らのデスクに腰掛けた元親がつくづくと言った風に眺めやって、手の中に残ったシールを玩んでいる。
家康の勢力は、東海を中心に甲信越と近畿に集中し、三成のそれは中国・四国・九州、更に東北にも点在した。
「細かい事は言わねえ。三成に挟み討ちされないよう、どっかに勢力を集めさせろ。一カ所でケリ付けんだ」
応接ソファに腰掛けた政宗はそれだけを言った。
家康はボードの前を少し行ったり来たりした後、その彼を振り向く。
「政宗、お前は」
「…確かに、俺が加われば挟み討ちの心配はなくなるな。だが俺の所はどちらにも加担しねえ、絶対にだ」
「聞いて良いか、…何故?」
忌憚のない所を言えば、小十郎を初めとする成実や綱元が反対するから、がその理由だ。だが、それをそのまま言う訳には行かなかった。もう一つ大きな理由があるとすれば。
「お前が三成を破った後、俺はお前を滅ぼさずにはいられないからだ」
痛烈な宣戦布告をさらりと言って退けた。それに対して家康は何としたか。
困ったような、くすぐったいような、何とも言えない笑顔を見せた。
「なら、儂は決してお前の所には手を出すまい。儂の死後も永遠に」
「…まあ、多少の手伝いくらいしてやっても良いがな、基本は傍観させてもらう」
「随分大人しい事言うじゃねえか、政宗」
横から言い差して来たのは元親だ。
血の気の多かった高校時代を知る彼には、真っ先に争いの渦中に飛び込んで行かない政宗の考えが計り難かったのだ。
だが、元親の挑発に対して政宗は声のない笑いを一つ、零しただけだ。
「何でえ、どいつもこいつもオトナになりやがって…」
ぶつくさ漏らす元親の肩に手を回して家康はさも愉快だと言うように笑った。
「そう言うな、お前だけは変わらずにいろよ。それが元親らしい」
「んだよ、俺はガキっぽいってのか?」
「怒るな、褒め言葉だろう」
「何か納得行かねえ…」
その後、もう少し詳細な話を家康と詰めていた所へ、政宗の携帯が鳴った。
画面を見て、政宗の眉がぴくりと反応する。
「…俺だ」と何気なく通話に出た政宗。
相手の話を聞いている内に、戸惑いに表情が揺れた。言葉短かに相槌を打っては見せるが、その仏頂面といい、低めた声といい、相手の正体を語らずとも明かし顔だった。
「何だって?」と通話の終わった政宗に、ニヤニヤ笑いの元親が尋ねる。
「今、関空に到着したんだと。これからJRで大阪駅に向かうって」
「…片倉、とやらか?」言って、家康は腕時計を見た。
「一時間ちょっとで着くな。今夜も呑みに行こうと思っていたのだがお迎えが来たのなら仕方ない。政宗、色々ありがとう」
「お迎えとか言うな」
不貞腐れた物言いに、家康は理解者の笑みで応える。
「協力を仰ぐなら挨拶をせねばならん所だ。だが今はそこまで馴れ合わん方が良いだろう、違うか?」
「―――まあな…」
「んじゃあ家康、俺たちは呑みに行こうぜ。この間のジャズバーでも良いな」
そうして家康、元親と大阪駅で別れたのが夕方の6時過ぎだ。
政宗が一人でJRの改札前をぶらぶらしている事10分程で、旅行鞄を転がして来た小十郎が姿を現した。
帰省が一日早かったのを政宗は問わなかった。どうせこの男は心配から落ち着かず、綱元の呆れ顔に追い返されたのだろう。案の定、顔を合わせるなり「事情は」と聞いて来た。
「ホテルで話す」とだけ応えて政宗はさっさと背を向けた。

ホテルの部屋を取り敢えずシングルからダブルに変えてもらってから、ホテルのレストランで夕食を摂った。その場で政宗がかいつまんで説明した所を聞いて、一先ず小十郎は安堵したようだ。強張っていた表情が和らぐ。
「懸命なご判断です、彼らの私怨に巻き込まれるのだけは頂けませんからな」
私怨…ね。思いながら政宗は皮肉に笑んでみせた。
「デリーの方はどうだったんだ」
反対に問い返されて、小十郎は何故か困ったように口元を歪めた。
「お国柄、と言うのでしょうか、あれは。時間や約束にルーズな所が多々ありまして、何度か綱元さんと大慌てしました」
「大丈夫なのか…それで」
「契約はヒンズー教の神々に誓って成されるものですから大丈夫でしょう。それに、ゼロと言う概念を実際の数学に応用した初めての民族ともあって、コンピュータや計算には驚く程強いと言うのも利点です。それに、礼儀正しい」
「なら良いが」
皿に乗った野菜を平らげた政宗が呟いた。3杯目のワインを呑み干して、深いため息を吐く。
「政宗様、呑み過ぎですよ…」
お代わりのワインを運んで来たソムリエを片手で軽く制して、小十郎は言った。
「大丈夫だ、問題ない」
痛み始めた頭を支えながら言うのに男は眉を顰めた。
「何か、あったのですか?」
「…何も―――」
「そのようには…」
「別に大した事じゃねえだろ、元親とヤったからって」
「―――」
男の表情に変化はなかった。
当て付けの一言は天に向かって唾吐くように、むしろ政宗自身に斬りつけて来た。
何だ、俺は又嫉妬して欲しいのか?それとも小十郎と言う男を試しているのか。決して本心を見せないこの男を。
いや、愛されている、それもこの上なく。
なのに、彼は―――。
「部屋に戻りましょうか…」
静かな男の声に促され、席を立った。
ふらつく身体に肩を貸し、会計を済ませて店を出る。
他に誰もいないホテルのエレベーターに乗り込んだ時、男の方から抱き寄せられ口付けを受けた。
彼の、口付けだ。
優しく啄み、軽く吸う。かと思えば、強く吸われて軽く歯を立てられる。
何故か笑えた。
「それ、どう言う意味だ…」
重ねられる唇の合間から、震える声で問うていた。
「その執着にはどんな意味がある?」
「―――…」
「…だよな、言える筈ねえよな…」
「政宗様」
エレベーターが止まって、小十郎は縺れる身体を引き摺るようにして歩いた。ツインの部屋に入るなり、政宗の体をドアに押し付けその顔を食い入るように見つめる。
「…何を、言われたのです。長曾我部ごときに」
「別に何も…」
「貴方がこのような事をなされるとは…」
「高潔で気高い聖人だとでも思ってたか?そんな訳…」
己を貶める言葉を吐き切る前に抱き竦められていた。
「俺が貴方にこのような真似をさせてしまったのか…」
「―――違う、そうじゃ…」
掻き抱かれ、唇を塞がれた。
舌を絡め、何度も角度を変えてはこれ以上ないと言う程貪られる。
「…そうであっても、俺は貴方が愛しい」
性急に繰り返されるその狭間に男は囁く。
「それでは、駄目か?」
問いながら、返事をさせてくれない。
「それだけでは、駄目か…?」
「こじゅ…」
「政宗様」
「………」
「政宗様…」
名前を何度も呼ばれる、
「―――政宗様」と。
言外に多くのものを含んだ声音で、何度も。
何度も。
こんな事は初めてだ、と政宗は思った。

ゆるゆると落ちて行くような気がした。
降る雨に蕩け出した泥土の中に抱かれ、身体の形をなぞるように呑み込まれて行く。口から入った生温い泥が喉を塞ぎ、胸を一杯にする。
激しさよりも静寂で、熱さよりも人肌より少しばかり冷えたもので、政宗は包まれたような感覚を味わった。
それが、小十郎と言う男の抱えている闇である事など知りもしない。ただ、恐ろしいまでの執着。
それは底なし沼のようで―――。

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あきゅろす。
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