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―記念文倉庫―

翌日、家康からのメールがあって、彼が車でホテルまで迎えに来た。
素朴な外観をした家康のハイブリッドカーの中には、左腕を包帯で釣った元親が既にいて仏頂面の横顔を見せていた。
政宗は彼の隣ではなく、助手席に身を滑り込ませる。
静かに発進した車内で家康が言った。
「情けない話だが、身内の者が信用出来なくてな。…2人に一緒に行ってもらえるなら心強い」
「しかし何だ、捕虜ってのは」
「三成の策略だ」
その返答に、政宗は家康の横顔を振り向いた。
「何処かで小競り合いがあったとする。すると奴はこちらをぶちのめすだけじゃなく何人か捕らえる、しかも下っ端ではなくリーダーを狙って。捕われたこちらは動揺するな。内部で意見が対立する、犠牲にするか助けるか―――。そのタイミングを見計らってあやつは捕虜を今回のように返したり…殺したりする」
「つくづくいけ好かねえ野郎だぜ」
「だが頭は良い」
「お前…そんなに気に入ってんなら和睦しろよ」
「そうしたいのは山々だが、何せお互いに片想いなんでな」
苦笑と共に吐かれた台詞を、政宗は嘆息するように笑った。
―――お互いに片想い、か。
そのセンテンスにさらさらと心が揺れる。
想いのベクトルは互いの方向を向いているのに、実の所その双方向性は質を全く異にしていて決して混じり合う事がない。
人は徹底的に孤独なのだと思い知らせる、その言葉。
「ま、そんな訳だから儂の身内には頭に血が上ってる連中が多い。捕虜の受け渡しの場を血みどろの戦場にはしたくないんだ」
「I see.」家康の言葉に政宗は考え事を中断した。
「俺は黙って見てるよ」
「頼んだ」
車は国道を南下し、大阪湾に面した埋め立て地を右に見つつ進んだ。工業地帯がベルト状に広がっており、林立する煙突から白やら黒やらの煙や湯気を吐き出しているのが見て取れる。埠頭には着港する船が何艘も見られ、行き交う大小のそれも少なくなかった。
平べったい建物の向こうに既に海は広がっており、陽の光に白く濁った大気の層が薄っすらと掛かっている。もはや真冬の日差しではなく、太陽は暖かな春の到来を告げていた。
「そう言えば、何かあったのか?」
ふとした事のように問われて「何が」と政宗は応えた。
「お前をホテルに送って行った後だろう、元親のその怪我は。誰かに襲われでもしたか?」
自分と行動を共にしている事で三成の手の者に眼をつけられたのではないか、と言う家康の心配から吐かれた台詞に、政宗は渋い表情をした。バックミラー越しに後ろのシートの男をちらりと見やると、元親はポータブルゲームに夢中になっていた。訳も分からずぶん殴ってやりたい衝動が走るが、ここは堪える。
「知らねえよ、自分トコのホテルでコケたんじゃね?」
昨夜、腕を火傷した元親は、政宗のホテルのマネージャーに叱られながら救急車で病院へ運ばれた。政宗はそれを見送りもしなかった訳だが、あの程度の火傷は自業自得だろう。
―――愛の語らいだ?そんな怠い事するかよ…。
強がりに突っ撥ねてみるが、ぎくりとなった事実は否めない。
あんな甘怠い言葉を自分が欲しているとは考えたくなかった。だが、小十郎が弱音を吐いている所を政宗は見た事がない。頼もしいとは思う。そして同時にそれが、彼が自分をまだ庇護すべき者と思っている証拠だと言う事に、不服を禁じ得なかった。

家康は車を国道から工場の私有地の中へと走らせた。
人気の全くない、だだっ広い空間が広がる。
倉庫や駐車場がぽつぽつとアスファルトの地面の上に点在し、その間を車は滑るように通り抜けた。
やがて家康が車を停めたのは、2階建ての長大な倉庫と、大小様々な金属パイプの絡み合ったガス工場との間だった。
彼らが車から降りると物陰に隠れていた人物たちが音もなく姿を現した。表面的には暗い色のスーツを身に纏ったただのサラリーマンのように見えた。荒んだヤクザのような気配もない。
その彼らの後から体躯のがっちりした2人の男に腕を取られて、黒いジャンパー姿の男が引き立てられて来た。
相手は総勢6名。三成は来ていないらしい。
男たちに対峙した家康の両脇に、一歩下がって政宗と元親が並んで立つ。
対峙した男の中から一人が2、3歩前に出て言う。
「約束のものは」
「ここにある」そう応えて家康は、ミリタリーブルゾンの内側から紙切れと封筒を取り出した。
別の男がそれを受け取りに来て、捕らえられた家康の仲間を代わりに差し出して来た。紙切れと封筒の中身を確認した男がリーダーらしい小男に頷くと、捕虜を捕らえていた大男がその手を離す。
「…申し訳ありません、家康様…」
「湯溝、無事で何よりだ」
家康の労いに、殴られ腫上がった頬を歪めて男は苦悩の表情を見せた。
その時だ。
倉庫の影から姦しい足音を掻き立てながら大勢の男たちがその場に馳せ参じて来た。
動き易いトレーナーやジャンパーに身を包んだ彼らが家康の傍らを通り過ぎて、三成の手下たちに一目散に襲いかかる。
「…おいっ、志村!関口!!」
その中に見知った顔を見つけた家康が声を荒げた。だが相手は三成の手下を袋にする事に夢中で振り向きもしない。
思わず家康は湯溝、と呼んだ捕虜の男を顧みた。湯溝もちらと家康を見やる。
家康が名を呼んだ一人は湯溝の部下であり、もう一人は同期だ。家康に対する言い訳も思いつかず、湯溝はただ地面を見つめていた。
外務官の中で領事局外国人課・邦人テロ対策室の両部署で実務に当たる彼らは、表向きにはデスクワークを主とした業務をこなしていた。だが家康とはその逃亡生活をしている頃から、いや、それ以前からの知り合いだった。東南アジアを彷徨う家康母子の身の安全を、彼らのような人物が影から支えて来たのだ。
それでも―――。
「やめろ、やめるんだ!」
叫び、彼らの首根っこを引っ張る家康の言う事を聞く者は、いなかった。
「あ〜あぁ、これで取引はおじゃんだな」突っ立ったままの元親が呟いた。
「それだけじゃ済みそうにねえぞ」と政宗がポケットに両手を突っ込んだまま、首だけを捩じ曲げて後方を見た。
新手の黒スーツの男たちが走り寄って来る所だった。
政宗は仕方無さげにその前に立ち塞がる。
「はいはいはい、ここは通行止めね〜」
無事な方の片手だけを広げて、元親は二歩三歩と前に出た。
「おい元親、闘えんのか?」
「怪我させた張本人が何偉そうに言いやがる」
走った勢いに任せて掴み掛かって来た相手を、元親は両手でむんずと捉まえた。それを無造作に脇に投げやる。その後になって「いてててて」と呻いて見せた。
余りに隙だらけの元親の背後に忍び寄って来た男がいる。それを政宗は蹴り上げた。元親は政宗に助けられた事には気付きもしない。
男たちは入り乱れて闘争を繰り広げた。

それを呆然とした面持ちで見ていた家康は、苛立たしげに息を吐いた。仕方なく一歩を踏み出す。
彼の体術は眼にも鮮やかで、見る間に3、4人をぶちのめしていた。政宗の知っているムエタイに似ているが、中国の古武道のような型も見受けられる。
東南アジアを中心に様々な国で母と逃亡生活を送っていた家康には、護身用としての武術が必要だった。断崖を綱渡りするような心持ちだったのだろう。家康の動きは鍛え上げられた鋼の強さがあった。
政宗は辺りを見渡した。
視界を邪魔する目の前の男を左フックで薙ぎ倒し、体を回転させてもう一人の男が振るった腕を身を屈めてやり過ごす。そのまま、流れる所作でくるりと男の背後に回った瞬間に裏拳を叩き込んだ。
海側から黒いバンがやって来るのが見えた。
睨んだ通りだ。
「おい家康、気を付けろ」
声を張り上げ注意を促す。
家康もそのバンを見つけた。
ああやって捕らえた敵を運び去るのだ。そうはさせまいと家康はバンに駆け寄って行った。彼の両脇から黒スーツの男たちが家康を取り押さえんと、ざわり取り囲む。
その中で家康は暴れた。
後から元親が追い縋って、家康の周囲に出来た人垣を切り崩して行く。
方々から掴まれた手を振り解き、振り解き、家康は運転席の男を引きずり出した。しつこく後ろから殴られ蹴られして、それでも家康は車のキーを引っこ抜いて見せると明後日の方向に投げ捨てる所までやって退けた。
そこで後頭部に熱の塊がぼっと点火し、家康の意識は途切れた。
「家康様!」
「家康様…!」
家康に志村、関口と呼ばれた男たちがさすがにヤバいと気付いたようだ。湯溝も、家康を囲んで団子になった男たちの群れの中に飛び込む。
鉄パイプを振り回しての喧嘩が広がって行く。
「おい家康!目え覚ませ!!」
元親は目の前の男の尻を無造作に蹴り上げながら叫んだ。面倒臭いとばかりに首から吊っていた包帯を振り払って、次々と男たちを毟り取って行く。
その豪腕に敵が目を回している間に、自分と大差ない体格の家康をも掴み上げていた。
「おい、政宗!」
振り返って叫んでみた所で、その姿が見えない。
舌打ちして顔を戻すとその彼が反対側のドアから後部座席に滑り込む所だった。
元親も慌てて車に乗り込んだ。
ぐったりした家康の体を無理矢理助手席側に押し込んで、開き切ったドアを掴む。それを邪魔する男たちを盲滅法に蹴りまくってやった。ひるんだ隙に勢い良く閉めた戸が男たちの指をがつんと挟んで悲鳴が幾つも上がった。それには構わず、改めてドアを閉め直して鍵をかける。
バンは周囲の男たちに揺さぶられ、ガンガンと叩かれた。
「キーはどうすんだよ」後ろから暢気に問い掛けられた。
元親はそれには応えず、シャツの中からチェーンネックレスを引っ張り出した。細長い金属製のヘッドを鍵穴に差し込む。そして、シャツの胸ポケットからは煙草の箱サイズの黒いボックスを取り出し、その側面に伸びていた2本の電極を鍵穴の金属に押し当てた。
バチッと大きく火花が散って、エンジンがかかる。
ギアをドライブに入れた元親は思い切りアクセルを踏み込んだ。回りに群がっていた男たちが弾き飛ばされ、ドコドコと音がした。車体の下では車輪が幾つもの何かに乗り上げ大きく揺れた。
敷地の端までをバンは突っ走った。そこで一時停止したかと思えば今度はバックで大きく右折し、山積みにされていた鉄屑に車の尻を突っ込む。
そうして再び急発進した。

逃げ散る男たちを尻目に、黒いバンは一目散に駆け出していた。


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