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―記念文倉庫―

そこへ、雪片ではないものを走る疾風が運んで来た。
『小十郎様!』
『小十郎様ぁっ!!!』
騒がしい声に次いで鬼小十郎の座像の元に降りて来たのは、七色の鱗を閃かせた子竜とそれに跨がった己が手下たちの姿だった。
『戻りやした、梵天丸様もこの通り!』
『バカヤロウッ!!!』
喜色満面で報告を叫ぶ佐馬助たちを、大地を揺るがす程の咆哮が襲った。
カチーンと体を強張らせて硬直した小鬼たちの漆黒の肌が、小さな角が、ビリビリと震える程だった。
『遅え!!夜が明けるまでどこ、ほっつ、き……』
怒声が途中から尻すぼまりに消えて行く。
子竜の背から降り立ったものが小鬼以外にもあったからだ。10歳程の人間の子供くらいの大きさの小鬼が、両手に抱えてうんせと地面に下ろしたのは、
『手前ら…何だ、その人間のガキどもは‥』
そう尋ねた鬼小十郎の声が頼りないものになったのは、それが余りに有り得ない光景だったからだ。人間が蔵王山の麓の鬼どもの巣窟に連れて来られるなど―――。竜神に討ち破れ、屈した時に、二度と人間には手を出さないと言った誓いを破る事になる。
『手前ら…っ!』再びの大音声が上がろうとした。
「梵がつれてきたんだ、小十郎」
凛とした子供の声に意図せずとも鬼小十郎の出鼻は挫かれた。
「雪の中にうもれて、こごえじにそうだった」
そう告げて、真っ直ぐ巨石像を見上げる子竜―――今は人の姿をしているそれの片方だけの眼差しは、竜神の名に相応しく蒼白く輝き、底知れぬ意志の強さを感じさせた。
『…………』
鼻白んだ小十郎に返す言葉はない。
いきなり竜神の子供が人助けとは一体どうした事だ、と自分が梵天丸に叩き付けた言葉も忘れて首を捻るより他なかった。
暫くの沈黙の後、ここだけは積雪を見ていない木々の枝々が大きく揺れて、木の葉を手裏剣のように散らした。そして、次の瞬間には座像の足下、小鬼や梵天丸の眼前に人間の姿を取った男は立っていた。
「…元いた所に戻して来い。ここは人間が来て良い所じゃねえ…」
酷と分かっていてもそのように告げるしかなかった。
この台詞に梵天丸は艶やかな眉間に小さな皺を作り、男を睨みつけた。
「村も畑も雪におおわれてる。この人間たちは昨日のひょうですみかをなくして森の中をさまよってた。ふた親がだきかかえてたおかげで子供だけはまだ、死んでいない」
「…そいつは分かってる。だが人間は人間の世界で生きなきゃならねえんだ」
「だって!ここには雪がふってないではないか!!」
「ここに凍え死にそうな人間全てを連れて来るつもりか?300人も集まったら一杯だぞ。人間が食うもんもねえ。住処だってねえ。2、3日やそこらなら雪を凌ぐぐらいは出来るだろうが、その後はどうする?」
「………」
「お前が戻して来ねえなら俺が行く…何処だ」
最後の台詞は小鬼たちに向かって放たれたものだった。
我が主に視線をやられた佐馬助、文七郎、孫兵衛、と名乗った小鬼たちは、背筋をぴいんと伸ばした姿勢で固まった。蛇に睨まれた蛙状態だ。
と、その隙を突いて梵天丸は、ざっと地を蹴り走る最中にアルケーからエーテルに変ずるや、地面に踞って怯える幼な子2人を前脚に摘まみ上げ、空を駆って飛び退っていた。
「あ、待て…っ」
『小十郎様!!!!!』叫び声と同時にがっしと衣の裾を掴まれて、男は踏み出しかけた足を留めた。
振り向けば、何時になく深刻な色を浮かべた眼差しの、漆黒色した小鬼どもの顔また顔があった。
『梵天丸様を追う前に、お話が…』
その真剣な口調に絆されて男は、子竜が飛び退った闇の空を一度振り向き、己が手下どもに向き直った。

子竜に胴体を引っ掴まれて、ジェットコースターの如くびゅんびゅん空を運ばれた子供らは恐怖に泣き叫んでいた。
梵天丸自身は慣れた事で心地良い程の滑空だったものだから、理解出来ない。ともかくも、筆を束ねて立てたような蔵王山の裏手に回った所で直ぐに子供たちを下ろした。
そこには小沢のせせらぎが密かに流れ、昼尚暗黒の空に戸惑う小鳥が鳴き交わし、豊かで奥深い山毛欅林の緑に囲まれていた。
空気は澄んで穏やか。
しかし、地面に踞って抱き合う子らはなかなか泣きやまなかった。
「……おい」と人の姿に転じた子竜が低く声を掛ける。
すると、5つ6つぐらいの兄弟と見られる幼な子たちは、より一層強く抱き合いながら、ひいひいと怯えた声を上げて泣いた。
何をそんなに泣き喚いているのか、と不思議でならない梵天丸は兄弟の傍らにしゃがみ込み、その様をまじまじと覗き込んだ。子らは増々縮み上がる。
人間にとって竜神も鬼神も人智を越えた存在だ。そんなものに雪の中から助けられたとは言え、連れ去られる事が無知故の恐怖を呼び起こすのだ、とは人と関わった事のない子竜には思い至らない。
でも、確かに飛べもしないし、力漲る竜の姿にもなれないのであれば、人間と言うのは不便なものだ、と思わないでもなかった。梵天丸にとってもエーテル(竜)からアルケー(少年)に変ずると体は重いし頼りなく感じたものだから。
「帰りたいか、お前たち…?」
おずおずと尋ねてみた。そうすれば、2人の子供は涙と鼻水でぐちゃぐちゃの顔を何度も頷かせる。
「でも、ここから出たら大雪でお前たちの村も雪の下だぞ?」
「…く、くわれるよりマシだ!」と向こう気で返して来たのは、1つか2つ年嵩の子供だ。アルケーの梵天丸と同い年くらいに見える。
だが、言い放たれた台詞の内容に面食らったのは子竜の方だ。
「くわれる?!梵がおまえたちをたべるって言うのか?!」
「ひぃっ!ご、ごめんなさいっっ!!!」
人間が魚や兎や、時には鶏や猪を食うように、竜神が人間を食うと思っているらしい事に呆れた。
「…梵は生まれてこのかた、人間なんてたべたことがない。大人の竜がたべてるのもみたことがない。梵たちのたべものは香の煙とかかすみとか、もっとせんさいで芳しくて、透きとおるようなものだぞ?」
「え…?」
「ほら、たとえば」と言って、梵天丸は足下に生えていた雑草の上に掌を翳した。
それをゆらゆらと軽く振る内に、少年の指に実に儚い、細く薄いものが巻き付き始めた。それはその雑草の"気"だった。
梵天丸は、闇の中微かに緑色に光るものを兄弟によく見えるように翳して見せると、口元に寄せてそれを吸い上げた。
はふ、と満足そうな溜息が漏れる。
「空にただってる金色や銀色の霊気のほうがおいしいけどな」
「………」
「………」
子竜の言葉に2人の人間の子供はぽかーんと口を開けたまま固まっていた。
「…じゃ、じゃあ鬼は?鬼は人をくうだろ!」と再び年嵩の方が問う。
「鬼?小十郎の事か?天神によって蔵王山に封じられてからは人をたべちゃいけないんだぞ。そんな事したら滅ぼされる…今は確か、梵たちとおなじものをたべてるはずだ」
「―――そ、…んな……」
人間の子らが恐怖を忘れて互いの顔を見合った。
鬼も竜も人を食う、と頭から信じていてその事実を引っくり返された事に頭が付いて来ない、と言った様子だ。それに首を傾げていた梵天丸に、2人揃って詰め寄って来た。
「じゃあ、竜神様に"いけにえ"にされた人たちはどうなったの?!」
「お役人さまにつれてかれちゃったんだよ?!」
「え…?!」
生け贄―――ニエの習慣は古い古い習いだ、梵天丸のような長寿の竜族にとっても。竜神と天神と鬼神とがバランス良くこの小さな箱庭の世界を治めるようになってから、神々は日と月と大地を支える以外に人と関わらなくなったのだ。
「な、なんでそんな、いけにえなんてこと、したんだ?人間の役人は…」
梵天丸の疑問に対して幼い兄弟は代わる代わる拙い言葉で説明した。
曰く、戦勝の祈りを聞き届けてもらう為。曰く、天神の船を建造するのにそれまで祀られていた天竜神社の社を取り壊した為。曰く、雲海の航路が順風満帆であるようにとの祈願の為。
そのどれも、梵天丸にはちんぷんかんぷんな内容だった。
勝ち戦の為に祈りを捧げられても竜神が手を貸すような事はしないし、竜神や天神を祀る社を造って祈るなどとは元より噴飯ものだった。それに、航海すると言っても雲海は竜神の領域、そこへ踏み込もうなどとは不敬以外の何ものでもなかった。
人間は自分の領地に他人が侵入するのをあれ程嫌う癖に。
聞けば、昔からそうした考え方はあったらしく、2人の兄弟の両親も日に夜に天竜神社に"お参り"していたのだそうだ。
「…いけにえ、なんて欲しくないぞ、梵は」
衝撃が去った後に子竜は、人間の兄弟の前に座り込んでそう告げた。
「梵たち竜族がいつものぞんでるのは、月日がちゃんとまわって人や仔馬が生まれて育って、大きくなっていつか死ぬ。それを見守りたいだけだ…って父上からきいた。植物が地面から芽をだして、葉をしげらせて実をむすんで、葉をおとしていつかたおれた後に、そこからまた別の芽がでるだろう?そういうのをみてると、しあわせだって…」
「―――…」
「いけにえなんて、もらっても、こまる……」
竜の子供の言葉は人間の子供たちの心にどのような影響を齎したのか。
何時の間にかすっかり涙も引っ込んでいたのが、弱々しく嗚咽を漏らした。
「…じゃあ……まちがってたんだ…」と年嵩の少年が呟く。
「お役人さまも、お侍さまも、お殿さまも、まちがってたんだ―――」
「だからだよ、にいちゃん!」と今度は年下の少年が声を張り上げた。
「まちがったことしたから、おひさまがのぼらないんだ!!」
梵天丸は、はっと息を呑んだ。
確かに、この事実を知れば父輝宗は怒り哀しむだろう。父は太陽を運ぶ最中、地上にある生きとし生けるものが生き生きと輝くのを見るのが好きだと言っていた。それが自分の幸福せなのだと。
「バチがあたったんだよぅ…竜神さまがたべたりしない人を殺してうめたり、川にながしたりしたからぁ―――…」
うわーん、と再び兄弟は声を上げて泣いた。
何が哀しいのか梵天丸には今ひとつぴんと来なかったが、その様は少年の小さな胸を苦しいくらいに締め付けた。




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