[携帯モード] [URL送信]

―記念文倉庫―

       *
梵天丸が元服を済ませて政宗と名を改めた翌年、大きな戦があった。
相手は蘆名や相馬などの外敵ではない。梵天丸の父輝宗はその頃、実父の晴宗と家中の采配を巡って対立しており、特に晴宗の重臣である中野・牧野両氏と輝宗は一触即発といった状態にまで陥っていた。
その当時、輝宗は既に家督を譲り受け伊達家頭首となっていたが、隠居した筈の晴宗は晴宗で政に事ある毎に口を出し、勝手に兵を動かす事もあった。そんな晴宗の腰巾着として最も輝宗の気に障ったのが先の2人だ。
これを、晴宗の横槍が入る前に謀反の疑い有りとして殲滅せんと言う動きの戦だった。
正直、先代晴宗のみならず先々代稙宗から仕え続けた両氏には直参の家臣が数多い。対して輝宗は、名目上伊達家頭首と言っても未だ晴宗の威光からは免れ得ない地位に甘んじていた。
兵を率いる将は中野・牧野と併せたものに比べて5対2程にも少ない。
伊達家中の男たちが総力戦に討って出なければならなかった。
梵天丸の傳役に付いて4年を過ぎた頃になる小十郎も例外ではなかった。むしろ、その剣の腕前は輝宗の小姓だった頃から名高く、そしてそれを生かす事のないまま伊達嫡男の傳役に付いてしまったのだ。当然、輝宗直々に自分の陣へ罷り越すよう沙汰が下った。
これを聞いて天地がひっくり返る程仰天したのは政宗本人だ。自分の傳役が自分の知らない所で戦に狩り出されるなど納得が行く筈がない。
政宗は、父輝宗が軍議を終えて自室に下がって来るのを待った。
出陣の日取りが間もなく決まると言う事で、父は鎧具足のままだった。畳の払われた座敷で床几に腰掛け、自分の居室に控えていた少年を若かった父は真っ直ぐと見やる。
「何用だ、政宗」
戦を直前に控えた男の常の通り、異様とも言える覇気を讃えた声で尋ねられると、少年の薄い肩は目に見えて震えた。だが、ここで引いてはあの男の主たる己の地位が危ぶまれる、と分かっていた政宗は必死に気概を奮い起こした。
「父上、小十郎は戦には参りません」
この言に、父の濃い眉が片方ゆっくりと持ち上がった。
「わたしの許しもなしに小十郎を戦に引き立てて行くのは、例え父上だとて見過ごせません!」
緊張から思わず語尾が跳ね上がった。
落ち着け落ち着け、子供の癇癪などと思われたら元も子もない。12歳の政宗は大きく息を吐き出して逸る心を鎮めた。
「…父上の臣として連れて行きたいなら何故わたしの傳役に下されたのですか?今、小十郎の主はわたしだ。わたしだけが小十郎に命令できる」
「―――…」
ほう、と言う表情を刻んで父はつくづくと言った風に小さな、余りにも小さな子供を眺め下ろした。元服してだいぶ跡継ぎとしての自覚が出来たか。いや、いじいじと小さくいじけていた病弱な我が子が、はきはきとものを言うようになったのは何時からだったか―――。
「本当にそうか?」
「………」
「景綱に命を下せるのはそなただけ、と?」
「…そうです」
「ならば引き止めてみせよ。儂の命とそなたの命、どちらを聞くか」
「…………」
思っても見なかった展開に政宗は言葉の接ぎ穂を失った。その小さな頭の中では、父輝宗が自分に説得された上、輝宗の方から小十郎に戦に出なくていいと申し渡す予定だったのだ。
―――そんなの…父上の命を聞くに決まってる…。
絶望的な思いが少年の心身を打ちのめした。だが、
「どうした?儂から言ってやらなくてはならないのなら、そなたの命に従ったとは言えぬぞ」
「無論…っ!」と未だ元服したての政宗は叫んだ。
「小十郎は俺の命に従うに決まってる!!」
そんな捨て台詞を残して、頭に血の登った少年は父の居室を飛び出していた。
飛び出した政宗は自分の傳役の姿を探した。
輝宗の重臣たちは己が馬で乗り付けて大広間に集まっていたが、そこには当然のように小十郎の姿はなかった。自分の離れに戻って来ている訳がないから、米沢城三の丸の武者溜りや馬屋など、方々を探して駆けずり回った。
まさか、足軽のように城下の自屋敷から隊列に参加するのではあるまいか、と思って終には城をも飛び出していた。

傳役は確かにそこにいた。
それが政宗の焦りを怒りに変えた。
輝宗の小姓や重臣であったなら、城の本丸城門前で出陣の儀を交わす武将と共に連なる事も出来ただろう。あるいは、重臣らの束ねる騎馬隊や鉄砲隊に属していたり、あるいは弓大将や槍大将の任に就いているのであれば―――!
小十郎はそのどれでもなかったのだ。
せいぜいが所、伊達嫡男の傳役、それも輝宗のいる本陣に配置された事は破格の待遇だと言って良い。
しかし、それでも。

下男が1人のみ詰めているだけの自屋敷で、小十郎は自ら鎧具足を身に纏っていた。自分の手の届かない背周りの部分や、片手では出来ぬ篭手などは手伝ってもらったのだろうが、今、最後の調整をしているらしい男は、奥座敷の薄暗い夕暮れ溢れる中でただ一人その着付け具合を確かめていた。
「小十郎!」と叫んでやったらその横顔が驚愕の表情を刻んで振り返った。
庭を回り込んでその奥座敷に至った政宗は、濡れ縁を飛び上がって小十郎の前に立った。
飛ばして来た馬は、元服の祝いにと輝宗から与えられたものだが、それ以前、政宗は乗馬を目の前の男から習っていた。
剣の稽古だってそうだ。9歳の折りに右目を切り取ってから、厭う事なく相手として立っていたのは小十郎だった。
自分は小十郎の主だが、小十郎は政宗の師でもあったのだ。
それがこうして下々の扱いを受けて戦に狩り出されて行く。その己の立場を既に呑んでいる男には一切頓着がないもののように見えて。
それが政宗を余計に駆り立てる。
「戦に出るな」と政宗は言った。
「…輝宗様がそう仰ったんですか?」と小十郎は応えた。
「父上は関係ない。俺が出るなと言ってる…」
「しかし、主君の命に従わないのでは…」
「お前の主は俺だ!」
「………」
少年の叫びに傳役はその表情を消した。
もともと感情の起伏に乏しい所のある男だったが、この時は文字通り、その能面のような顔貌から表情と呼べる一切のものが消えた。
「こんな…足軽と同じ扱いを受けて、戦じゃ父上の側でその命を守る盾になれだなんて、ぼ…俺が許さない……」
思わず自分の事を梵、と呼びそうになって目を伏せた少年の前に小十郎は跪いた。そうして、下からその表情を覗き込む。
何かを堪えるように唇を噛み締め、両の拳を震えるぐらいに握り締めた幼い主を。
「戦に出るのは侍の勤め。そして輝宗様は伊達家頭首で、貴方はまだその家督を継いだ訳ではない。その理屈が分からない貴方様ではございませんでしょう…?」
「…………」
「いずれ政宗様が伊達家頭首となった暁には、この小十郎を存分にお使い下さい。それまでもう少し…」
「もう少し?もう少しってどれぐらいだ?1年?2年?それとも…。その間にお前は何度父上の戦に付き従うって言うんだ!何度父上を庇って…っ」
このやり取りの内に小十郎は、目の前の少年が自分の死を恐れているのだ、と言う事にゆるゆると気付いた。
不思議なものだ、伊達の嫡男が何故?小十郎本人ですら死を恐れてなどいないのに。あるいは、疫病で九死に一生を得た少年は、死そのものを忌み嫌っているのかも知れない。だから、一度手に入れた自分の命は二度と手放さないと告げたのか。
だが、政宗の命と自分のそれとでは話が違うのだ。
小十郎は微かに首を振りつつ応えた。
「…何年後であれ、いずれは」
静かにそう約束をする男を、政宗はさっと見上げた。
「―――小十郎…お前、戦が好きか?」
唐突な問いそのものに小十郎の面に動揺が走った。
「好き、とは…?」
「お前さっき、すげえ嬉しそうだったぞ」
「―――」
声を掛ける前、床の間のあらぬ方を眺めて具足を整える男は、その端正な横顔に堪え切れず浮かび上がった笑みを讃えていた。それを政宗は、戦に出られる事を何より喜んでいるのだと思った。
いや、そうではない。
「…お前……死ぬつもりなんじゃないのか?」
「―――…」
反論しようとして、その言葉が喉から出て来なかった。死ぬつもりなどない、生きている実感を得たいだけだ。その後半の台詞を目の前の細っこい幼い主に聞かせるのが、何より憚られた。
じゃあ、今お前は生きていないのか?と賢しい主は問い返して来るに違いなかった。
「死に場所求めて戦に出たがってる…そうじゃないのか?」
「そのような…」
「俺が死なせない…。俺が死なない限り、お前も死なないんだ…っ」
「政宗様」
「だから梵の戦にだけ出ろ!」
「………」
今度こそ眼を反らさなかった。
眼帯などない、未だサラシで覆っただけの右目と健全な左目で。
ああ、何故だかこの幼い主にだけは知られてしまっているのか、そう思いながら男の篭手に包まれた左手が持ち上がって、その顔に、その頬に、触れる寸前で惑うように彷徨った。
自分の生命を自分の力でもぎ取ったと言い、そしてそれを二度と手放す事はしないと明言して憚らない、いとけない人。
「政宗様…それではただの子供の我が侭です…。ご自分の事を"梵"と呼んでしまう程に、貴方はまだ幼い―――…」
告げる言葉は低く甘く、愛の囁きのようであったが、その内容はまるきり真逆だった。
「小十郎如き傳役をそれ程までに評価して下さる事…真に有難く存じますが、たまたま二心なく貴方にお仕えする事が出来たこの小十郎の世間知らずが、政宗様にとっては心地良かったのでございましょう…」
「な…に、言ってるんだ…小十郎…」
「主従の間柄とは言え、親子のそれであれ、時には反駁し、時には奪い合う事もある…それを学ばれよ、と申しておるのです…」
非道い事を告げている自覚はあった。主と言う人を子供と言い、我が侭と言い、自分を指すようでいてその実政宗を指し示した世間知らずと言う台詞。
―――そこまで他人に心を傾注するな、と忠告する残酷だ。
それが賢しい少年に伝わらぬ筈がない。
唖然とした表情が見る間に紅潮し、次いで度を超した怒りの為に青ざめる。
「……OK, I got it….」
大きな瞳が傳役を貫きながら異国の言葉を呟く。
異国の本を読み、異国の文化人を招き寄せてはそれを吸収して行った主が時折見せる奇妙な一面だ。政宗は、気分の高揚を異国の言葉に乗せる癖が付いていた。
そしてそうした時、常に唯一の瞳が蒼白く輝き、獣の様に縦に割れる。




[*前へ][次へ#]
[戻る]


第3回BLove小説漫画コンテスト開催中
無料HPエムペ!