―記念文倉庫― 8 ガンッ 落ちて来た衝撃を思わず上げた片腕で受け止めていた。 手甲と肘鉄、それに練革を縫い付けた篭手に、政宗が振り下ろした脇差しが食い込む。鎧下の直垂の中に溢れ出た血が流れ行くのを密かに感じた。 「俺は…」と政宗は手にした脇差しをじりじり引きながら、言った。 「手に入れたもんは二度と手放さない…」 「…それは…以前、お聞きしました…」 じりじりと、鋭利な刃が肉を斬り裂く激痛を堪えながら小十郎も応える。 「貴方ご自身の生命、だと」 「お前の生命もだ」と政宗は間髪入れず応えた。 「俺は、あの時、お前の生命も手に入れた…」 「そのような…」 下らない戯れ言、と言って薄く笑んだ男が次の瞬間、短く唸って体を丸めた。政宗がその脇差しをさっと引いたのだ。それは男の逞しい腕の筋肉を引き裂き、骨にまで達するものだった。 「その生命を粗末にするって言うなら、今この場で捨てろ」 「―――――は……」 見下げ果てた性根だ。歪んでいる所か何処か腐っている、そう思いながらも男の口元から薄い笑みは消えなかった。 「成る程…伊達の小倅を惨殺して家中の者に追われる…それも悪くねえ―――」 ギラリ、見やったその獰猛な瞳だけが笑っていなかった。 「悪くねえ…」 「!!」 跪いていた男が直下から拳を突き上げて来た。 それが自分によって斬られた左腕だと政宗が気付いたのは、間一髪で身を翻した後だ。その隙に小十郎は刀掛けから大小の刀の内1つを引っ掴み、振り向き様の低い姿勢で一刀を放った。 ―――本気だ! そう思ったから政宗はとっさにイカヅチを放っていた。 城中でそれを使って良いのは稽古場か、堀端の馬溜りのような広い場所のみ、と言って禁じられていた属性だった。それは久々に呼び起こしたものだったから政宗の予想を遥かに超えて巨大な落雷となった。 小十郎のその奥座敷は堪ったものではない。 瞬時に屋敷全体がバシン、と鞭打たれたように揺れて、次にあちこちから炎が吹き上がった。無論、電撃をもろに食らった小十郎も床の間の壁を突き破る勢いで吹っ飛び、それを齎した当人である政宗も例外ではなかった。濡れ縁を転がって庭に落ちる。 そうなってから、己の犯した過ちに気付いたが後の祭りだ。 木造の家屋が建ち並ぶ街中で火事程恐ろしいものはない。火を吹く柱や板の間を踏み消そうとするが、却って己の小袖袴に燃え移って喚く始末だ。どうしようもない。 成す術もなく呆然と突っ立っている所に、咳き込む声が聞こえたのはこの時だ。 「がっ…は、…が…っ!」 喉に絡むいやらしいものを吐き出す音が続き、ミシミシと言う木切れの撓む音。政宗は思わず火の海となりかかっている座敷の中に踏み込んでいた。 そこで見たのは、床の間の壁を突き破って仰臥した男が震える片腕を振り上げ、己の胸に叩き付ける様だった。 ―――まさか…あんなのを食らったら普通の人間だったら死んでる…。 普通の、と言う所で政宗ははっと思い至った。己の傳役に付いて回っていた噂、炎を操る"異能者"ではないか。 ―――まさか…。 雷檄によって寸断された神経を繋ぎ合わせ、心停止一歩手前まで行った胸の鼓動を自ら無理やり奮い立たせて―――男は上身をざっと引き起こした。 血反吐を傍らに吐き捨て、焼けて爛れたその左腕と顔面からの出血を無視して、小十郎は終に起き上がった。 「……どうした、坊主。俺は未だ生きてる…」 「………」 それは恐怖ではなかった。 死にたがっている者への憐憫でもなかった。 「生きてるじゃねえか…俺は…?」 そう言って、至極嬉しそうに嗤う男の顔は、自ら業火に焼かれる事を望む罪人のようでいて、望んでいるのは生とか死とかそんな単純なものでもなく。 皮も肉も削げ、骨を見せる程になった左手に執ねく握られた一刀が、少年に襲い掛かる。 それを避けて政宗は二度、三度、と己の傳役にイカヅチを落とした。 失うわけにはいかなかった、己の命を。 そして、この男の命を。 終には男の胸に飛び込んで、放った雷光の中に2人諸共包み込んでやった。 陽が落ち切る前に異変に気付いた近隣の下士らが駆け付けた時、小十郎の奥座敷から上がった筈の火の手は、ものの見事に消え失せていた。 鉤棒や木槌を持って呆然と立ち尽くす男たちは、言葉もなくただそれを見た。庭の直中に大の字になって横たわる具足姿の若侍と、それの胸の上に突っ伏して泣く伊達家の嫡男のボロボロの姿を。 そして、屋敷のあちこちを舐め尽くそうとしていた炎を鎮めたのは、他ならぬ屋敷の主その人だ、と言う事を知るのは政宗ただ1人だった。 * 鬼首(おにこうべ)の地を徘徊していた死人憑きはその夜を境に現れなくなった。 片山地獄に落ちたと言う彗星(ほうきぼし)も、その痕跡である大穴と荒雄岳の山腹を削って出来た切り通しの道を残して消え失せていた。 その時、山狩りに入っていた岩出山城城主・氏家の家中の者たちは、雪の上を走った蒼白い炎が死人憑きらを包み込んで音もなく燃やし焦がし、黒炭となって崩れ落ちたと証言した。その蒼白い炎は触れても熱くはないし痛みもないのだが、触れた皮膚がボロボロ崩れて行ってしまうようなものだったと言う。あれでは生きた人間ですら燃やされていると言う自覚なしに灰燼と帰してしまうだろう。それがどう言った由来のものかは分からない。 ただ、どうやらそれは片山地獄から吹き上がり燃え広がったようなので、火山ガスが辺りに流れ出して尋常ではない炎を発生させたのかも知れない。 ともあれ、このように危険な片山地獄を含む地獄谷一帯は、小泉好継によって封鎖される事になった。 また、荒雄河の水量が半減した原因は、片山地獄に落ちた彗星がその地を穿ち、地下に流れる大量の水を吹き上げて水蒸気とさせてしまった事だろうと思われる。実際、封鎖される前に急ぎその穴を塞いだ所、川の水量は元に戻り、荒雄岳や八ツ森の辺りを覆っていた濃霧も消え失せた。 地下水脈でそれらが繋がっていたと言う確証がこれで得られた事になる。 春になって雪解けの季節になっても鉄砲水の心配はない、と民草に周知させる必要があるだろう。鬼首の地に落ちた彗星が、悪路王の再来などと言う噂にも耳を貸すものではない。 追記として特筆すべきは、荒雄岳山頂にあった大物忌神の石碑が彗星によって破壊されてしまった為、丁重に祀り直し、近在の村人総出でそれを祝った事だ。 死人憑きの厄災を祓ったのは他ならぬ、荒雄河神社の神威だった、として―――。 そのような内容の報告書を書き上げた信勝は、己が主小泉氏の許可を得て大崎五郡の各々の地頭にそれを送った。これで表向き、大崎氏の納める北奥州の地の民草の不安は除かれたと言って良いだろう。 けれど信勝は、主にすら報告していない事実を片山地獄で見ていた。 蒼白い炎の根源。 苦鳴1つ上げずにボロボロ崩れて行った死人憑きたち。 そして、その中央で対峙する伊達主従。 共に苦悶の表情を刻む様は、蒼白い炎に照らされてはっきり見えた。傍らに立つ佐馬助が目を開けていられず、立つ事も出来ずに踞り、子供のようにしゃがみ込んで頭を抱えていた様も。 しかし、 淡い湯煙を纏って展開されるその光景は、地獄と呼ぶには清らかで、極楽と言うには余りに悩ましいものだった。 炎が消えて直ぐに、近くまで来ていたらしい良直、文七郎、孫兵衛の3人が駆け寄って来た。腰を抜かした佐馬助はともかく、能力を全開で使い果たしたらしい小十郎は、その場に跪いて一歩も動けない有様。更には、すり鉢状の地面の底から間一髪、小十郎に助け出された政宗は、完全に気を失っていた。彼の立っていた足下で穴だらけの黒い彗星が崩れ去ったのはその直後だ。 信勝は密かに彼らをその場から連れ出して、鬼首温泉にいっとき隠した。 何故かは分からないがそうした方が良いと思ったのだ。 事実「信勝、世話をかけるな」と政宗から労いの言葉をもらったぐらいだ。 「奥州筆頭が死人憑きに食われた、だなんて人聞きの悪ィ噂立てられちゃ堪らねえ」 宿屋の床に起き上がった奥州王はそう言って顔を歪ませたが、その実、彼の腹臣であり今もその枕元に侍る男が裏の属性を持っている事を余人に知られたくないのだろう、と思っていた。 それについては信勝も余計な事は言わなかった。 「ただ一度、我が主小泉が政宗様にお目通りを願っております」 そうした型通りの社交辞令の為に頭を下げるに留めた。 「OK, OK…. 2、3日したら顔を出す」と政宗も軽く応えるのみだ。 信勝が引き上げた後、政宗は気怠げに息を吐き出した。 「政宗様、体がお辛いのでしたら横に」とその腹臣が背に手を添えれば、 「ああ」と言って素直に横になる。 彼らは前回訪れた時と同じ室に宿を取り、開け放った妻戸から裏庭の雪景色を臨んでいた。 「……静かで痛みもないのに容赦ねえ…あの炎はお前そのものだな」 「―――恐れ入ります…」 何が恐れ入りますだよ全く、と嘯く主は不貞腐れたように目を閉じた。 *終* 小さな宇宙で、小さな星で、蒼白い草原に小十郎はただ一人佇んでいた。 今、目の前で人の背丈程の火柱が燃え尽きた所だ。それを見送って、ようやくいったか、と言う程の感慨を覚える。名残に一握の灰も残さず虚空そのものである宇宙に溶けて行った。あるいは、天国とやらへ行けたのだろうか。 ふとした気配に振り返ると、そこには良く見知った主の姿があって、それを目にした途端、自然に零れる笑みを口元に刻んでいた。 まだ12歳と言う幼さだったあの時、この方は七巻もの雷光で確かに男を手中に納めた。星ごと、この身ごと。その日以来、彼は男にとって世界となった。 我が息吹、我が生命、我が世界の全て―――。 生きている実感が欲しくて死の淵ギリギリの血闘を望んでいた男が、あの日、本気で挑んだ相手に負けた。そう、負けたのだ。相手は齢12にして、剣の腕もまだまだ、その上属性の力を借りながら、ではあったが。 しかしそれでも、全力を尽くして放たれた雷檄は、男の鋭い切っ先を掻い潜ってその命を、確かに捉えたのだ。 それならばそれは真実、死を意味している筈なのに、男は生き残った。 生きている。 これが、この想いが、生きていると言う事か。 あの後、10日近くも生死の境を彷徨った果てに目覚めた小十郎は、傍らから覗き込む少年の顔を先ず第一に視界に入れた。第一であり、それが全てだったと言って良い。 少年は、小十郎の首っ玉に縋り付き、痛いぐらいにぎゅうぎゅうと腕に力を籠めた。それから頬に頬を寄せ、酷い火傷を負った男の唇をぺろりと舐めたのだった。 その時、沸き上がった胸を焦がす程の熱いもの。 それを小十郎は生きている、と感じた。 今、隣に立って蒼白い炎の草原を共に眺めやる青年は、唯一の左目をうっそりと細めて言う。 『…母親が我が子の炎に焼かれたとしても、俺は驚かないぜ』 その言葉の意味をゆっくりと吟味してから、小十郎は応えた。 『何故、父親ではなく母親だと?』 『簡単な話だ。父親の方は燃え落ちた後に灰やら骨やらが残っていたが、母親の方は何もなかったそうだ。まるで空気に溶けちまったように…』 青年の横顔をひっそりと見つめていた小十郎は、その視線を再び虚空へ投げやった。 『申し訳ありません…本当に覚えていないのです、あの日の事は―――都合が良過ぎるでしょうね…』 『Don't worry. 別に気にしちゃいない』 軽く言い放った青年は、それに、と続けた。 『それにもし、そうだとしてもお前の炎は祈りだった、そうだろ?―――Rest in Peace.』 『……どう言う意味ですか?』 『ん?ああ、そうだな…安らかに眠れ、とか、成仏しろよ、って感じか』 そのような会話を実際にしたのか、それとも幾つも重ねて見続けた夢の中での出来事だったのか、小十郎には分からない。 ただ、 Rest in Peace. ただその異国語の響きが、主の声が耳に酷く心地良かった。 FIN. 20130324 SSSSpecial Thanks!! [*前へ] [戻る] |