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―記念文倉庫―

ぼそぼそと語らう声が余りに楽しげで、余りに穏やかだったので、小十郎は夢でも見ているのかと思った。
ふと気付けば、部屋の出入り口に近い壁に背を預けたまま、うとうとしていたようだ。焦って抱きかかえていた刀を手に、半ば腰を浮かし掛けてそのまま止まる。
続きの一間の向こう、日だまりが溢れ返る濡れ縁の前に、大小の人影が頭を寄せ合って何やら夢中で語り合っている。
手元には紙片の束と、筆。
それで紙に何かを書き付けては、聞き慣れない言葉を2人はオウム返しで繰り返す。
庭に降り積もった雪が黄金色の陽光に輝いて、彼らが顔を見合わせながら丁寧に声を積み重ねる横顔が、飴色のシルエットになっていた。
それは本当に夢のような、この世のものとも思われぬ程美しい光景で、小十郎は微かな息を吐きつつその場に座り直した。
思わず抜き掛けた刀も自分の膝元にそっと置く。
それをほんの暫く冷たい瞳で見やってから再び目を上げれば、2人は同時に声を立てて笑った所だ。
彼らのシルエットを見つめる男の両目が眩しげに細められる。
笑い声が思わぬ程大きなものだったので、2人はまずい、と気付いて居眠りをしている筈の賦役を起こしてしまってないか、揃ってそろそろと振り返った。
「小十郎、起きてたか!」
弾けるような笑顔に、男は寄り掛かっていた柱から身を起こした。そうして走り寄って来る幼い主に対して姿勢を正し、軽く畳に手を突く。
「この小十郎、梵天丸様をお迎えに上がらず、飛んだ失態を致しました」
「うん、まだ寝ていてかまわないぞ。昨夜はろくにねむってないだろう」
「そう言う訳には参りません。
それに、早々にここを引き上げ最上様のご法要に参らねば」
「ここには暫く逗留するぜ」と賦役の言葉を切ったのは政宗だ。
「俺に考えがある、付き合えって言ったろ」
「藤次郎、これは遊びでは…」
「遊びじゃねえ、伊達の跡継ぎにあんな事をしでかした奴に影でコソコソ笑われたまんまで良いってのか、手前?」
「―――」
「良いか…従順にして嵐が通り過ぎるのを待ってるだけが手前の勤めじゃねえだろ。どんな瑣末事でも逆手に取って、こいつの立つ瀬を整えてやんのが小十郎、お前のやるべき事だ」
「政宗…?」
何故だか賦役に説教を垂れるような展開になって目を白黒させたのは梵天丸だ。その手が着物の袖を引くのも構わずに、政宗は目の前の若い男を睨み続けていた。
「知った風な口をきく」と小十郎は言った。
「お前が本当に梵天丸様の10年後のお姿であるなら、今は雌伏の刻。事を荒立て"あの方"の勘気を被るべきではない、と分かっている筈だ」
仕合いで斬り返して来るような言だった。
それに対して政宗はほんの僅か瞠目するや、口の端を吊り上げて「Good boy….」と呟いた。
「上出来だ。そこまで分かってんなら、ちっとここで大人しくしてる事がどうなるのかも読めてんだろ?」
「梵天丸様のご容態が優れず身動き出来なかったとて、素知らぬ顔をして戻れば皆々拍子抜けする」
「That's right.」
終に政宗は破顔した。
そして小十郎も参ったとばかりに苦笑する。
「……小十郎…?」
一人訳の分からぬ梵天丸は、珍しい賦役の男臭い笑みを眺めて首を傾げるばかりだ。小十郎はそれに向き直って表情を柔らかくした。
「梵天丸様は何もご案じなさる事はありません。ただ、御身にも話を合わせて頂かなくてはなりませんが…」
「そんなのは簡単だ。それが出来ればまだここでゆっくりしていてよいのか?」
「ええ、後2、3日、いや5日は留まり置きましょう」
やった!と声を張り上げ喜ぶ幼な子は、習い始めた異国語を今暫く続けられると言って政宗の手を掴んで引いた。
「そんな訳だから小十郎、寝てろ。何かあったら起こすから」
政宗も、皮肉の影のない笑顔を見せて、そんな台詞を置き土産に背を向けた。

夕餉の頃合いになって、横になって羽織を体に掛けただけの状態で寝ていた賦役が目を覚ますと、小さな主が嬉しげに手にしたものを見せにやって来た。
その紙片に書かれてあったのは、まるでミミズがのたうったようなものにしか見えなかったが、梵天丸の説明によれば「雪」とか「晴れ」とか「温泉」などと言った意味を持った文字なのだと言う。
そこへ政宗がやって来て、読本か何かがあれば訳してやれるんだがな、と呟いた。
この温泉宿にそう言ったものがあるとも思えない。だから明日は山麓の門前町に行ってみないかと、そう言う話になった。
宿の者が町の料理屋から上げて来た特製の重箱料理を夕餉に頂いた後に、政宗と梵天丸は一風呂浴びたが、相変わらず小十郎は共に来る事を拒んだ。
2人の後にざっと汗を流す程度で早々に幼い主の世話を焼く。
その夜は梵天丸を挟んで政宗と小十郎3人で褥を並べ、まるで下々の者のように供に就寝した。
そうした事が嬉しい子供は何時まで経っても眠りに就かず、何くれとなく他愛のない話しを両脇の2人に振った。今は異国語の事で頭が一杯だったから明日の外出を思ってこれ又興奮してなかなか寝付けない、と言った有様だ。
それにも疲れて梵天丸が寝静まった後、密かな声が上がる。
「藤次郎」と。
「Ah? 何だ」
思ったよりもはっきりした返事が返って来て、一瞬言葉に詰まる。
「礼を言う」
結局思い巡らせて出たのはそんな内容だ。
もそり、と夜着の揺れる音がして、政宗が子供越しに視線を投げやって来るのが気配で分かった。
部屋の中の行灯や燭台は火事を用心する為宿の者によって下げられている。仄かな明かりを齎すものはと言えば、彼らの枕元で微かに熾き火を爆ぜる火鉢の中の炭だけだ。
そうして落ちる沈黙は、政宗が続く言葉を待っているものだ。それが察せられて、賦役は如何にも賦役らしい体面を取り繕った。
「梵天丸様があのように生き生きとされている姿は俺も滅多にお目にかかれん」
「…何の事かと思えば」
闇の中で政宗は笑ったようだ。
「これからはお前が引き出してやんな」
「―――…」
政宗の言に男は声もなく唸る。それが自分に出来るとは思われなかったのだ。
そうやって惑っているのが気配で伝わり、政宗は又しても低く笑った。
「明日の晩はまた一杯やりてえなあ」
そんな何でもない事を嘯いて男を煙に巻いてしまう。そうすると、調子に乗りやがって、と多少むっとした賦役が常の様子に戻って低く返して来た。
「考えておく」と。
密かな会話は途切れ、後は山中の静寂が耳に痛い程、響いた。


翌日も朝から快晴。
政宗と梵天丸は小袖小袴に綿入れの長羽織、小十郎は若旦那たちを守る用心棒と言った風に直垂姿で宿を出て、城下の門前町に脚を向けた。
門前町は、端から端までのんびり歩いて行ったとしても一刻と掛からない程の手狭さではあったが、師走の声を聞き毎日開かれていると見える楽市はそれ相応の賑わいを見せていた。
気の早い回り神楽のお囃子がその中を回って来たり、香具師が面白可笑しく口上を述べ一芸を披露したりする。
そうした猥雑な市の中を歩けば独楽や風車なども売られていて、その中に凧やカルタなどと言った年末年始の定番の遊具なども見受けられた。
どうも読本の類いは売られていないようなのでカルタを一組購入した。

その後も、目的もなく人混みの中ただぶらぶら流し歩いた。人の波の中ではぐれそうになる小さな子供を慮って政宗は手を差し伸べたりもする。
最初の頃は「手を繋ぐ」行為が慣れない事もあって戸惑っていた梵天丸だったが、暖かい大人の大きな掌はやはり安心出来るものなのか、途中からはしっかり握り返して青年を引っ張って走ったりもした。
それを背後から追う小十郎は内心、複雑だ。
余人より余程長く一緒にいた筈の自分より、つい昨日今日ひょっこり現れた青年の方に幼い主は懐いてしまっている。自分が上下の身分を慮って一線を敷いていた為だとも、この子供が発言通り賦役を信用し切っていないからだとも、言える。
それが今、こうした"もやもや"を胸に抱かせる事になろうとは、と思うと正直いたたまれなかった。
皮肉と言えば皮肉。
それが伊達家嫡男と賦役の当然の距離感であったとしても、小十郎はこの幼い主の中に未来萌芽するであろう才気を確かに見ていたと言うのに。
だが、不快ではない。
髪質の良く似た2人の後ろ姿を眺める目には、それは酷く穏やかに映った。
「なあ小十郎」
その背の高い方が振り向き、あられもない笑顔を見せる。
「最後に神社寄って宿に戻るか」
「あ、ああ…」
男が曖昧に頷けば、政宗の笑顔は傍らの子供の上に落ちて何やら楽しく語り掛ける。
それは、得も言われぬ程平和な光景だった。


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