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―記念文倉庫―

戦場を駆け抜けるスピードで政宗は走りながらその人馬を探した。
もしや追っ手が用意されているかもしれない。
自分が義姫の立場だったらその程度の準備はしておく。だが、走っている間に興奮の冷めた政宗は、あのヒトがそこまでするようなタマではない事に思い至った。
先々を考え、不審を抱かれないよう、情け容赦なく、邪魔者は消す。
―――冷酷になりきれねえのも、あのヒトの悪ィ所だ…。
今回の馬の暴走は、義姫本人かその周囲の人間か誰か知らないが、あの幼な子の可愛げのない意地っ張りに一泡吹かせてやろう、その程度の目論みだったと見当を落ち着けた。
果たして、梵天丸とその賦役と馬の3つの影は、上山近くで見つけた。
傍らに最上川の支流の一本が流れる脇で、川に沿って繁る深い森に隠れるようにしてある小径をとぼとぼと歩いて来る。
右肩を庇いながら近付いて来る政宗に先に気付いたのは、梵天丸だった。
「政宗!」と誰もいないから良いものの、その名を大声で呼ばわる。
「もしかして…梵の馬にけられたのか?」
駆け寄って来た幼な子は、着物に付いた泥で気付いたようだ。気遣わしげにそう尋ねて来る。
「Don't worry. 大した事じゃねえ、俺が油断した。―――それより」
その馬、脚に怪我してるだろ、そう尋ねると小十郎が険しい表情で睨み返して来た。
彼の右手が馬の口縄を取って引いているにも関わらず、その背に梵天丸を乗せていない事から返事は聞かずもがな、だ。
「馬を川に落とせ」と政宗は言った。
何を言ってるんだこいつは、とあから様な表情を10年前の主従は揃って刻んだ。
「厭がらせに対しては、お灸を据えてやるのが定石だ。それにその馬はもう走れねえ」
走れぬ馬は種付けにするか、百姓に下げるか、もしくは屠殺する他ない。いずれにせよ、戦で生きる武将の元で戦に出られない馬は使い途がないのだ。
「運が良けりゃ近在の百姓が拾ってくれる」
そう言って政宗は道端に突っ立った馬の尻を強く叩いた。
驚いた栗毛の馬は、そこからざんぶと川へ踏み入れた。流れがその馬体を捉えるまで暫く掛かり、やがて切なげな嘶きを上げながら川下へと流されて行った。
「今回の騒ぎにゃ俺もちっと頭に来てんだ。手前ら、付き合え」
仕舞いには、政宗がやけに据えた眼で10年前の主従を見やり、迫力のある声で指示を出すものだから、2人は何となく後に付いて歩いて行った。


辿り着いた先は上山城下の町外れ、山腹にある温泉宿の1つだった。
その中でも、城代がかつて利用した事があるような由緒正しい老舗に入り、まるで勝手知ったる有様で最高級の一屋を3人の為に借り切った。
そこは、鄙びた山中の温泉宿にしては相当贅を尽くした作りの部屋で、朱塗りの柱に金屏風と極彩色の襖絵、やはり朱塗りの煙草盆や輪島塗の茶器揃え、上品な染付花文様の火鉢に、漆に金の蒔絵の書院棚など、目も眩む程の鮮やかさだ。
部屋に通されてすぐ賦役は梵天丸の旅装を解いて内着だけにさせると、これまた素早く整えた褥に早々に寝かせ、側に火鉢を置いて衝立て襖で囲ってやった。
その甲斐甲斐しい、を通り越してまるで機械仕掛けのように正確な動きを眺めていた政宗は、だんだん阿呆らしくなって来た。こんなにちやほやされていた記憶はないが、自分の事として見ているといたたまれなくなる。だから、痛む肩と身体を抱えて風呂にでも入って来るかと立ち上がった。
「藤次郎」とその背に声が掛かったのは、その時だ。
こっちに来い、と言って招かれたのは、閉じた御簾と襖で隔てられた隣の間だ。そこにあった少し小さめの火鉢に今持って来た火種の炭を入れ、新たな火を掻き起こすと、小十郎は政宗を手招いた。
「傷を見せてみろ」
言いつつ、この賦役は懐からたっぷり中身の詰まった物入れを取り出す。
「大した事ねえよ」
「同じ事を言わせるな」
その凶悪な仏頂面は俯いたまま、手元の物入れから薬袋を幾つか選び出した。
火鉢の傍らには鉄製の急須(南部鉄か?)があって、小十郎はそこに柄杓で2、3杯水を入れて火鉢の中央に据え置いた。湯飲みはこれは、備前焼だろうか。本当に贅沢な品々だ。
黙ったまま、ぼうとした頭でそれらを眺めていたら、不意に男の手が伸びて来て政宗の右肩を掴んだ。
「Ouch!!」
思わず異国語で叫んだ所で直ぐに手は離れた。
「…痛み止めと解毒薬がある。それと、気休めかも知れんが湿布に出来る軟膏も」
「Oh my. さすがだな…」
呟きながら渋々、薄っぺらい上着を開けた。
案の定、右の鎖骨周辺が見た目に分かる程腫れていて、赤く熱を持っていた。それへ再び手を伸ばした賦役が今度は静かに患部辺りを撫でる。その指先の冷たさが心地良いくらいだった。
「直撃したと思ったが、折れてはいないようだ。皹が入っただけなら固定しておけば数日で良くなる」
言いながら緩くぬくまった湯を湯飲みに注ぎ、それといっしょに2種類の薬袋を差し出して来た。それを政宗は今度は素直に受け取った。
薬を喫む間、小十郎は青年を眺めやった。
―――本当に、梵天丸様が成人されたお姿なのか?
そう問いたいのだが、自分が認めてしまうのが恐ろしくて問えない、そう言った有様だ。
戸惑いと幾ばくかの懐かしさ―――梵天丸の面影を探すようにその両目が細められて、程よい肉付きの上半身を全て視界に納める。
雪の中にも溶けてしまいそうな肌色だった―――。
そう思ったのは離れの庭で、池の水に浸かった青年を思い出したからだ。
顔や声、仕草などよりその肌の白さに共通項を見出している時点で既に認めてしまったも同然だ。だが、賦役はそれを口にしなかった。
何処かそれは禁忌に思われたからだ。
「Thanks.」
そう言う声と共に湯飲みが盆に戻されて男は我に返った。
「…宿の者に晒しを貰い受けて来る。お前はそこで暖まっていろ」
「Yes, sir.」
政宗の返しに少々奇妙な表情をしながらも小十郎は部屋を出て行った。その後で、痛む肩を庇いながら着物の袷を直す。
どうも熱と痛みとで考えが纏まらないが、この後の展開を考えてみる。
政宗の察し通りなら、急に暴れ出した馬に乗ったままの梵天丸がいなくなって米沢の城では大騒ぎとなるだろう。当然、山形の城でも法要があるとは言え内心青ざめている筈。
何せ、自分で蒔いた種なのだ。
それを追った賦役共々戻って来ない。乗っていた馬だけ川縁で発見される。すわ、川に落ちたか、そのお命は、と蜂の巣を突いたような騒ぎになり、やがて馬の脚の傷も改められる。
―――梵天丸謀殺の疑い有り!
そこまで行き着くかも知れない。
五日十日もして、ひょっこり戻った主従が、落馬か何かの名目で湯治していました、と頭を下げてみたら良い。
様々な人々が、様々な理由で肝を冷やした末に安堵する、と言った案配だ。
もしかしたら、よからぬ事を考える者どもを炙り出せるかもしれぬ。
そんな謀を頭に巡らせて1人悦に入っていると、小十郎が戻って来た。その手には晒しの束の他に酒杯の乗った盆膳も携えられていた。
「お、気が利いてるじゃねえか」
ウキウキと言われて、小十郎はその眉間の皺を深めた。
「少しだけだ、飲み過ぎると却って怪我が痛むぞ」
「なあに、酔って寝ちまえば分からねえさ」
そう言って政宗は早速、酒瓶から盃に透明な液体を注いだ。
一気に干した酒精は、喉と胃の腑でカッと燃え上がるようだった。その後、身体の奥底から暖めてくれる熱が、怠さや苦痛もいっとき遠ざけてくれたような気がする。
更に2杯3杯と盃を重ねれば、傍らから黙って伸びて来た手に酒瓶を取り上げられてしまった。
「……ケチ…」
「…………」
心外な、と言う風に男は顔を歪めた。
「上を脱げ、湿布を貼って肩を固定する」
「えー、寒ィんだってのに」
「四の五の抜かさず」言って左手を突き出せば、
「わーった、わかったっての!」また肩を掴まれると思って政宗は身を引く。
彼が苦労して上着を脱ぐ間に、小十郎は畳に広げた油紙に油壷から掬い取った半透明の軟膏を塗り付けた。それを右の鎖骨の上に乗せれば、ひやり、とした感触に政宗の肩口や首筋に鳥肌が立った。
それからは眼を反らしながら、取り上げた洗いざらしの綿の帯を手慣れた風に青年の肩周辺に巻いて行った。
ふう、と言う熱い溜め息が頬の辺りに掛かったのは、その背に両腕を回した時だ。吐息が酒臭かったのはご愛嬌だが、熱と酒とでとろんと蕩けたような表情になっている政宗の様は正直、頂けなかった。
―――白い肌に、呑まれる。
その危惧が男をより一層、不機嫌そうな顔色に変えた。
「…お前にこうやって手当てされんの、やっぱ良いよな…」
夢見心地な台詞はうつらうつらし始めた口から吐かれたもので、かと思えば間もなく、ことり、とその頭を肩の上に預けられてしまった。
これでは晒しを巻きにくい、と思いつつ叩き起こさなかったのはやはり、そのキメの細かい淡雪のような白さの肌のせいだ。
あの幼い主人と比べても全く遜色のない、穢れない、白。
長じてもこれが濁る事はないのだと思うと、何故か気持ちが緩んだ。
全く警戒心のない様で寄り掛かって来る、その青年の首筋に鼻先を寄せて空気を吸い込めば、汗と体臭とに混じって仄かに甘いものが香る。
梵天丸から漂って来るそれは砂糖菓子か何かだと思っていたが、この青年の場合は何だと言うのだろう。
それに思い当たる節もないまま、賦役は、その体にきっちり晒しを巻き付けた。


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