友情と恋情の狭間で
知泉と綾人
歩き出してから数十分―――。
未だに俺は綾人に手を握られたままで、どこに向かっているのかも教えてもらっていない。
最初に「どこへ行くというわけではない」と言った綾人の言葉を思い出す。
こうして歩き続けているのに、この世界は歩いても歩いても白一色。
何かにぶつかるというわけでもなく、上下左右すべて白いのだから変な感覚に襲われる。
「…ねぇ」
『何ですか?』
「…俺たちは二人で一人なら、どうして俺は綾人を知らないの?」
一瞬、本当に一瞬だった。
握られていた手にほんの僅かに力が入ったのを感じた。
すると綾人はこっちに振り返ってきて、俺の瞳と視線を合わせる。
『…さっきも言った通り、俺の存在は貴方を、いえ『本来の知泉』を守るためにあります。消したい過去を知る俺を貴方が知れば、その記憶を共有してしまいます』
「……それじゃ、綾人は俺のこ――――」
『知っていますよ。貴方が表に出ているときの記憶も、ちゃんと俺にはあります。俺は、初めから貴方のことを知っていたので』
俺の質問を察し、綾人は言い終わる前に答えを口にした。
俺はキョトンとした顔をしていたが、ふと綾人の言葉にある疑問が浮かんだ。
「じゃ…綾人が出ているときもあったの?」
『…………』
少しの沈黙の後、綾人は柔らかな物腰で唇に弧を描いた。
『ええ…、何度かあります。その時、貴方はここで寝ています』
「ここで…?」
『そうです。普段は俺がここにいますが…』
止まっていた足が、再び歩みだす。
『俺は知泉に強くなってほしいです。でも…あの頃の知泉には戻ってほしくありませんが……』
目の前の背中を見ながら、俺は綾人の紡ぐ言葉に耳を傾ける。
『俺と貴方で一人の知泉です。今、記憶は別々に切り離していますが。……もし二つのものが一つになると、どうなるか分かりますか?』
綾人はチラッとこちらに顔を移し、俺が首を横に振るのを確認してから再び前を向いて話し出す。
『…元は一つの存在が別に存在している。それは、とても不安定なことです。陰と陽と同じ原理です。どちらかが強ければ、均衡は崩れてしまいます。反対も同じです。弱すぎるのもいけません。この世界が知泉だとしましょう。俺が陰、貴方が陽です。今、精神的に不安定なのは貴方です。陽の貴方が弱まれば、それは世界である知泉に影響します』
「どうして…そう言えるの?」
『…今、こうしていることが在りえないからですよ。この世界は謂わば…俺の存在する場所です。時々、貴方もここにいますが。でも記憶がないでしょう?それは、この空間は貴方の存在する場所ではないからです。表に生きるのが貴方。裏のこの世界に生きるのが俺なんです』
歩くスピードは変わっていない。
だけど、話の内容が俺の許容範囲を上回っているせいで、目まぐるしく自分が動いているように感じてしまった。
『本当なら、貴方がこうしてここで俺と話すことは在りえない。それが、二つの均衡が崩れている証拠になります。俺の存在を貴方が確認してしまったことも、均衡が崩れている証拠ですね』
「…でも、俺は綾人に会えて嬉しいよ?」
俺はありのままの気持ちを伝える。
歩いていた足は止まり、綾人はそっと腕を伸ばしてきて、俺を抱きしめるように身体を重ねた。
『俺も…貴方と話せて嬉しいですよ』
顔は見えない。
でも、俺は綾人から哀感を感じた。
「俺は、何も知らないんだよね?」
『そうです』
「それって不公平だと思う…。綾人にばっかり辛い思いはさせたくない。俺たちは二人で一人なんだよね?なら…その辛い記憶も俺は共有したい」
俺の言葉に綾人は顔を上げ、至近距離に俺と同じ顔が並んだ。
『…それは貴方が壊れてしまいます』
「でも、知泉に強くなってほしいんだよね?…俺ももう大人だし、綾人のことを知りたい。俺の知らない“知泉”を知りたい。知泉が消したかった記憶を綾人はずっと背負ってきたんでしょ?」
「それなら――――…」
俺は唾を飲み込み、綾人の瞳を見つめた。
「俺は強くなりたい。それを知って、また死にたい気持ちになるかもしれない。でも、俺は綾人が頑張ってくれたことを無駄にしたくないから。俺と綾人、二人で背負っていきたい」
急に身体に重みを感じた。
立っていられないほどではないけど、顔を歪めてしまうほどの重力。
『…そろそろ起きる時間です』
「ねぇ…俺は―――!!!」
頬に温かい手が触れる。
それは紛れもない綾人の手―――…。
『起きても、貴方がここであったことを覚えているのなら…俺は貴方に全てを話します。貴方が…そう言ってくれて。俺は………すごく嬉しいんです』
冷たいはずの綾人の手が温かい。
さっきまで握られていたときは、すごく冷たくて凍えるほどだったのに―――。
『これだけは覚えておいてください』
「…?」
『…どんな貴方も貴方であるということを。過去の貴方がいるから、今の貴方がいることを――――』
視界が急にぼやけてきた。
白かった世界は黒い世界に変わり、はっきりしていたはずの意識は急に途絶えてしまった。
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