帽子屋の狂い言
アラタナスミカ
「それにしても、双子が素直に道を教えるなんて、珍しいですね」
帽子屋とよばれた男が、アリスに話しかけた。
「え、ええ。ちょっと叱ってしまったけれど、とてもいい子たちだったわ。また遊びたいの」
アリスはドキドキしながら答える。
「双子と話が出来るってだけですごいよー。わたしは始めから会話自体成立しないや」
『ネムリウサギ』がカラカラと笑った。
「オレは話そうとしたことすらないけどね。・・・・・・でさぁ、いまさらだけど、あんただれ?」
アリスは、クルンクルンの頭の少年の問いに一瞬躊躇する。
思えばアリスは、誘われるがままに椅子に腰掛け、渡されるがままにカップを手にし、差し出されるがままにクッキーに手を伸ばし、されるがままに話をしていた。
それは本当に自然過ぎていて、それ故に基本的な事を失念していたのだ。
「あ、あたしはアリス・・・・・・」
少年は、スプーンを口にくわえて上下に遊びながら、「ふーん」と興味のなさそうな返事をする。それなのにアリスを睨むように見つめており、アリスは急に居心地の悪さを感じ、話題をふることにした。
「ここは不思議ね。あまりになじみすぎて、まだ名前も聞いていないことに気付かなかったわ。あなたの名前はなんていうの?」
一瞬、『ネムリウサギ』がはっとした顔をしたが、少年の「お前なんかに言ってやんねー」の言葉に安心した風を見せた。
「こいつはネズミ。わたしはもう名乗ったからいいよな。彼は、さっきから呼んでるけど、この家の主人の帽子屋」
帽子屋は右手に厚手の洋書、左手にティーカップを持ちながらアリスに会釈する。
「帽子屋さん、あたし『貴族兎』と呼ばれるヒトを探しているんです。彼のこと、知りませんか?」
アリスはここに来た理由であるこの問いを、彼にした。ここで行き止まりにならないことを念じながら。
帽子屋はティーカップに口をつけ、そのカップを机に置いた。
「知っているかと問われたら、知っていると答えるべきでしょう」
その答えにアリスは笑顔を作る。しかし・・・・・・。
「しかし、あなたの求める問いには答えられません。彼は何処にでもいますが何処にもいませんから」
この答え方は誰かに似ている、とアリスは思った。それはこの世界で初めて出会ったフードの少年。しかし、今は彼のことを考えている場合ではない。
「どこにでもいるなら、ここにもいるんじゃないの? あたしは彼に帰して貰わないといけないんです」
「帰るって、何処へ?」
アリスは、帽子屋の問いにはっとなる。
どうして答えられないのだろう? こんな簡単な問い、答えなくてはいけないのに。
「あ・・・・・・あたしの故郷よ。ある街の一角にある家の、小さな小さな私の部屋よ。あたしはそこに帰らなきゃいけないの」
「『帰らなきゃならない』? おかしな言葉ですね。貴女ならこう言うべきではありません? 『あたしはそこに帰りたい』、と」
帽子屋の言葉に、アリスは心臓が次第に早くなるのを感じた。
「貴女はこの世界に触れ、心の奥底で『帰り道』を拒絶していませんか?
『貴族兎』に出会って帰る方法を尋ねたい、しかし彼に出会う前にたくさんの出会いもしておきたい。
道を進めば進むほど誰かに会うこの世界をもっと知りたい。まだ名前も知らないヒトに名前を聞いてみたい。
・・・・・・故郷ではありえない『非日常』を、もっと体験してみたい」
「違いますっ!」
アリスは思わず叫んだ。その声の余韻を聞きながら、アリスはそれが肯定を意味していると知った。
(そうか、あたしは楽しいんだ、この世界が)
今までの世界にはありえなかった『非日常』。
ありふれた私の『日常』から掛け離れた世界。
またね、と言ってくれた彼ら。名前を聞きたい彼。まだ会わぬ、きっと愉快なヒトたち。
それはまるで夢の世界。
「たしかに、ここはお伽話のような世界です。あたしが夢に描いたような世界です。あなたの言うとおり、もっとたくさんの『非日常』に会いたいのも本音です。
だけど・・・・・・だけど、やっぱりあたしは元の世界に帰りたい。ママの料理が食べたい。元の世界を知りたい。あたしの世界に帰りたいです」
それは小さな叫びだった。帽子屋だけに捧げる叫び。『知識』と呼ばれさえする彼への願い。
アリスの真剣な顔は、『ネムリウサギ』の笑い声に完全に崩れた。
「あっはははは! もうダメだ、可笑しすぎるっ、うひゃひゃひゃ!」
ケタケタと笑う、『ネムリウサギ』の声。
「帽子屋ぁ、珍しい客人だからってからかっちゃダメだよ。普段しゃべらないくせに、こんなときはよくしゃべるよね。だからわたしも客人呼ぶのが楽しいんだけど、あひゃひゃひゃ」
相当の笑い上戸らしく、しばらく『ネムリウサギ』の笑い声はおさまらない。
アリスはどう反応していいのかわからず、動けなかった。
そんな二人を見て、帽子屋はふっと笑い、「からかいすぎました、謝ります」と言って、ぺこりと頭を下げた。
「・・・・・・昔、貴女のような少女がここに来たことがありましてね。同じように問うたことがあったのですよ。『何処へ帰るつもりなのか』と。
すると彼女は『ずっと此処にいる』と言い出して・・・・・・それからずっとこの世界の住人です。
・・・・・・貴女は貴女の道を大切にしてください」
帽子屋は安心した顔をして、ふっと視線を下に戻した。それから洋書をゆっくりとしたペースでめくりだす。
帽子屋の言葉が終わったことを、アリスは理解した。
「なんだよ、意味わかんねー。結局、帽子屋もこいつの帰らせ方知らないんじゃん」
少年がついていけない感丸出しで言った。
アリスはふと、帽子屋の言う『少女』が気になった。
(でも、『ネムリウサギ』のことではなさそうね。何となく、彼は遠くを見つめていたから)
そして、アリスはため息まじりに言った。
「つまり、全知全能の帽子屋さんも、お手上げってことね。貴族兎さんのことは、知らないの?」
「あー、あの貴族馬鹿兎の存在自体は全員知ってるが、あいつもお前の帰し方知らないと思うぜ。あいつはノリで生きてるし、巻き込まれた自分を恨むんだな!」
なにそれー、とアリスは少年に笑った。
帽子屋さんにも貴族兎にも帰り方が解らないなら、アリスの道はここで行き止まりだった。後はどうしようもない。
なのに何故か心が晴れやかだった。
(あたしは家に帰りたい。それは揺るぎない事実。帰り道をもとめることを諦めない。家に帰る方法を探してみせる。・・・・・・どんなにこの世界が楽しくて、いつまででもいたい世界であっても)
「じゃー、あれだね。アリスにはこの世界での家が必要だね。でもこの家じゃ、鍵がないとまた迷子になっちゃうし・・・・・・今誰も住んでないわたしの家でよかったら、そこに住みなよ」
『ネムリウサギ』はウィンクをして言った。
「ああ、お前の家は一人暮らしに最適の小ささで、こいつにはピッタリだな!」
「あ、ネズミ! 今わたしの家を馬鹿にしたなっ」
「それはいい考えだね。三月、そうしなさい」
突然会話に入って来た帽子屋は、それだけ言うと再び洋書に目をやり、口を開くことはなかった。
「・・・・・・」
『ネムリウサギ』はその瞬間固まる。
「三月・・・・・・? あなた、『ネムリウサギ』じゃないの?」
アリスの問いに、今度は少年が笑い出した。
「なんだ『ネムリウサギ』って! 三月ウサギ、てめぇなんちゅー偽名使ってんだよ! てか、俺の名前使うな!! 俺の名前が『眠りネズミ』だー!!!!」
途中から叫びに変わりながら、眠りネズミは少女に詰め寄った。
「だー、悪かったよー。私が三月ウサギですー。白兎の事を聞かれたくなくて、咄嗟に嘘付いちゃったんだよー。てか、帽子屋が言わなきゃ済んだのにー!」
『ネムリウサギ』改め『三月ウサギ』は、眠りネズミから逃げるように軽やかに走り廻る。
それを見ながら、アリスはふと思い出した。
(なんだ、双子の言ってたことに、何一つ嘘はなかったんだ)
アリスは三月ウサギと眠りネズミの追いかけっけを見ながら、にこりとして最後の紅茶を飲み切った。
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