帽子屋の狂い言 芋虫とアリス 晴れた日のことだった。 朝起きて着替えをし、髪を整えて玄関を出たアリスは、いつも通り双子が待ち構えているのを見てクスリとした。 「よくもまぁ。毎日毎日飽きないわね」 「おはようアリス! 飽きるわけないよ!」 「おそいよアリス! 待ちくたびれたよ!」 双子の満面の笑みに、アリスもつられて笑い出す。 「今日は何をして遊ぶ?」 「追いかけっこがいいんだよっ!」 「置いていっこがいいんだよっ!」 「・・・・・・結局いつも通りってことね」 「双りのフタゴが、独りを置いて独りを追いかけるの!」 「独りのアリスが、独りから逃げて独りを追い詰めるの!」 「もうちょっと簡単なのにしましょうよ・・・・・・」 いつも通りの意味の無い会話。しかしアリスは、どこからか非日常を感じていた。 庭先に誰かの影がある。 「ねぇ、双りとも。あなたたち、何か罠とか張ったりしてないわよね?」 「僕らはそんなこと考えもしないよっ!」 「僕らはそんなことできもしないよっ!」 そうよねぇ、とアリスは嘆息し、突然庭の外へ駆け出した。 「!」 そこにいた人物はびっくりしてのけ反り、「あっ」と足を絡めて倒れ込んだ。 「そこにいるのは誰?」 そして、アリスは鮮やかな緑を見た。 長い緑色の髪をみつあみにし、ネグリジェのような衣装を纏い、自信がなさそうにそわそわと視線をさ迷わせる少女。手にしている人形は、アリスから見ると大層異様で、気味の悪い印象を受ける。 「あの・・・・・・」 少女が意を決して口を開いたが、彼女が言葉を発する前に双りの少年がアリスの左右に踊り出た。 「僕らは、アリスに追い掛けられるんだよ! ルールを無視しちゃいけないんだよ!」 「僕らは、アリスを追い掛けるんだよ! ルートを無視しちゃいけないんだよ!」 双子はアリスの腕を掴み、だだをこねたように喚く。困った顔のアリスに気付いたのか、今度はこけたまま動けない緑の少女を見た。 「君は、森の芋虫なんだよ!」 「君は、彼女の妹なんだよ!」 そこでアリスは、前にあったお茶会で三月ウサギの後を付いてきていた彼女を思い出した。 「あなた、お茶会にいたわよね? あたし、アリスって言うの。今まで挨拶できていなくてごめんなさい」 アリスがぺこりと頭を下げて手を差し出すと、芋虫は慌ててアリスの手を使わずに跳び起きてじたんだを踏んだ。 「あの・・・・・・ありがとう。ワタシ、も・・・・・・今まで来なくてごめんなさい・・・・・・ここまで来る勇気が・・・・・・なくて」 芋虫は、気味の悪い人形をきゅっと抱いて、恥ずかしそうに視線をさ迷わせる。 「芋虫・・・・・・と言います。芋虫と、呼んで・・・・・・」 「わかったわ。あたしもアリスって呼んで。ところで、三月にでも用? ここには今あたししか住んでないんだけれど」 ううん、と芋虫は首を横に振った。 「アリス・・・・・・ちゃんに、挨拶に来たの。・・・・・・きちんと、お話したくって」 この世界の住人には珍しく、礼儀のある子だとアリスは思った。 「ねぇ、今日はみんなで鬼ごっこをしない?」 「鬼ごっこ? 僕らはそれを知らないんだよ!」 「鬼ごっこ? 僕らはそれをしたことないんだよ!」 「前に教えた気がするんだけど・・・・・・自分たちの好きな遊びしか覚えないんだからっ」 そして、アリスは双りに『鬼ごっこ』のルールを伝える。 「じゃんけんで鬼を一人決めて、そのヒトに捕まらないように他のヒトは逃げるの」 とうとうと語るアリスの背中を眺めながら、芋虫は手持ち無沙汰になり、帰ろうとかと振り返った。すると、慌てたようにアリスは「ちょっと!」と叫ぶ。 「『みんな』にはあなたも入ってるのよ。よかったら遊びましょ! あ、でもしかしてこの後予定があった?」 アリスは破顔した顔に疑問符を付けた。 「でも・・・・・・ワタシ、ともだちでもないし・・・・・・」 「なーに言ってんの! こうやって自己紹介しあって鬼ごっこをすれば、それはともだちなのよ」 芋虫は、俯いた顔をさらに下げながら言う。 「う・・・・・・うん。今は、用事が・・・・・・。今度来たら・・・・・・遊んでくれる?」 芋虫の言葉に、「もちろんっ」とアリスは微笑んだ。 「いつでも来て! 午後は帽子屋邸にいることが多いけれど、この時間はだいたいここにいるわっ」 「ありがとう」という言葉を残し、芋虫は去っていく。アリスは笑顔で芋虫の背中を見送った。 *********** ワタシは、あそこにいてもよかったのだろうか。 あんなに明るい光を持つヒトは苦手だ。タイヨウに近づきすぎると、せっかくの燐粉輝く羽も焼け落ちてしまう。ワタシにはまだ虹色の羽はないけれど。 今までも、輝く花々はワタシを煙たがり、美しい蝶はワタシから去った。あの子だって、同じだ。気味の悪い人形を抱える、影の薄いワタシが去って、あの子もまた背中を向けてすぐにワタシを忘れるに違いないんだ。 「ヒトリゴト言うならさぁ、ヒトリのときにしてくんない?」 頭上から、声が聞こえた。あれは・・・・・・紅い髪の少年。 「ひ・・・・・・久しぶり・・・・・・チェシャ猫さん?」 「名前言いながら聞くなよ。記憶あやふやなのバレバレ」 「・・・・・・・・・・・・」 「そこで言い返さないことで、その事実が立証されたな」 「すみません・・・・・・」 「はぁ・・・・・・。あんたさ、あいつが本当にそんなヤツだと思うの」 「え?」 「あいつがタイヨウとか、あんたをすぐ忘れるとか。そんなヤツだったらあの双子があそこまで懐くわけないじゃん」 「・・・・・・・・・・・・」 「うんざりするほど抽象的な会話を好む双子に、あいつは心から対話してる。あんたに対してだって、見た目や性格で避けたりしない。話せば分かる」 「・・・・・・」 「ま、どーでもいーけどね。じゃ」 チェシャさんは、言うだけ言って去って行った。・・・・・・こんなにたくさん話したのは、正直初めてだ。 そうなのだろうか。あの子はワタシに対しても、心から対話をしてくれるだろうか。 話してみたい。いろんなことを話したい。綺麗な花の話もいいけれど、小さな花が咲き乱れる場所を知っているの。花のかんむりの作り方は知っている? 花の蜜からは甘い香辛料ができるのよ。 『「みんな」にはあなたも入ってるのよ。よかったら遊びましょ!』 遊んで、くれるだろうか。『鬼ごっこ』を、教えてくれるだろうか。ともだちになってくれるだろうか。 『なーに言ってんの! こうやって自己紹介しあって鬼ごっこをすれば、それはともだちなのよ』 ・・・・・・今度行ったときには、『鬼ごっこ』のルールを聞こう。いろいろな話をしよう。ともだちに、なろう。 まずは、花のかんむりの作り方を教えられるようにならなくては、ね。 End [←][→] |