めくるめく日々
それは非日常の始まり
「───え、ちょ、え」
放課後の誰もいない廊下に、女の子の慌てる声が響いた。
朔は慌てた。無理もない。廊下の真ん中に金髪頭の男子生徒が、まるで火曜サスペンスに出てくる死体のように倒れているのだから。
今が、生徒がみな下校した放課後でよかった。これが授業中ならば騒ぎになっていただろう。
「ちょ、大丈夫、ですか…?」
「…………」
返ってくるのは沈黙。当たり前だが息はある。何故倒れているのか。朔は首を傾げた。
朔はうつ伏せになって倒れている男を反転させた。
容姿淡麗な顔立ちと制服の胸ポケットの刺繍が目に入る。朔は目を丸くさせた。
「……え、この人」
Sクラスだ。何故エリートクラスの生徒がここに。
いや、それよりも
「…どうしよ」
この生徒をどうしようかと朔が悶々と考えていたその時、朔の腕が強い力で捕まれた。突然のことに朔は身体をこわばらせた。
「っ」
男は苦しげに呟いた。
「………お腹、空い、た」
「……は?」
そう言って男子はバタッと音をたてて倒れた。
お腹が空いた。ということは空腹のあまり倒れたということか。朔はついツッコミをいれてしまう。
ちょっと待て。この飽食の日本で空腹!?、と。
「あー、もう」
このまま放っておくのはさすがに後味が悪い。
「連れて帰りますか」
────………
どれだけお腹が空いていたのだろう。その金髪男は動物のように、朔が作った料理達を勢いよく食べている。すでにご飯は4杯を超えている。そのあまりの食欲に、朔は呆然と見ていた。
がつがつ食べるもんだから、朔は呆れながら金髪男に声をかけた。
「あのさ、お兄さん?そう急いで食べると喉つま」
「っ、ぅぐ」
「あぁ、ほらー。お茶お茶」
朔はお茶を差し出す。朔が煎れたお茶を飲んで、金髪男は食べ物を押し流す。コホコホと咳き込む金髪男の背中を、ため息を吐きながら朔はさすった。
「…………」
その朔の行為に金髪男は驚くように朔の顔を見つめた。そして食い入るように彼女を見る。
────…イケメンに見つめられるのって心臓に悪いな。
あまりの視線に朔はたじろぎながらも、勇気を出して言葉をかけた。
「あの、なにか?」
すると金髪男は視線を朔からはずし、朔が作った料理へと向けた。
「これ、君が作ったの?」
「え、あ、はい」
「すっげー美味いんだけど」
「…ありがとうございます」
金髪は頬杖をつき、朔に尋ねる。
「ね、なんで俺みたいな見ず知らずの奴を家に上げたの?普通考えたら危なくない?」
「え」
「偽善?」
そう言う金髪男の表情は無表情で冷たい印象を受ける。その目も、何も映していない。雰囲気がガラリと変わった。
この男は何を言いたいのだろう。朔は内心首を傾げた。
「金目的?それとも俺?」
攻撃的な質問。朔はイラッとした。なのでつい荒い口調で答えてしまう。
「あのさー、さっきから何言ってんのさ。意味わかんねーんだけど。腹減ってる奴がいて、ご飯ご飯って言うからご飯を食べさせただけだよ。空腹ほど辛いものはないでしょ。だから食べさせたの。それだけ。何だよ、偽善とか金とか。意味わかんねー」
朔の口から弾丸トークが炸裂する。金髪男は驚くように目を丸くさせた。
「お金とか」
「は?」
「お金とかいらないの?」
こいつは何を言っているのか。やっぱりSクラスの生徒は何かが違う。朔は心の中で苦い表情を浮かべた。
朔はため息を吐いた。そんな朔の様子を金髪男は食い入るように見つめている。
「ご飯。ご飯美味しかった?」
「え」
「美味しかったかって聞いてんの」
「…すっげー美味かった。こんなに食ったの初めて」
「そっか」
美味しかった。その言葉に朔は人好きそうな笑みを浮かべた。
「その言葉だけでいいよ。作った側としてすげー嬉しいから」
「……、…」
金髪男は目を瞬かせた。その顔には、信じられないような表情が浮かんでいた。
「……名前」
「?」
「名前、教えてくれない?」
金髪男は今までになく紳士な目を向けた。その目に、朔はたじろぐ。
「東雲朔、です」
「朔…」
朔、と復唱する金髪男は柔らかく微笑んだ。それはとても嬉しそうで、どこか可愛げがある。イケメンのキラキラオーラに朔はさらにたじろいだ。
────ま、眩しい!なんだコイツ!
「朔ちゃん」
「は、はい」
「光弥」
「は?」
「俺ね、2-Sの北乃光弥ってーの。光弥って呼んでね」
「北乃、光弥…。っ、北乃!?」
朔は声を荒げた。
「ちょ、おおお兄さんってあの“北乃”!?」
「うん、そうだけどー?」
「う、嘘だろ…」
北乃光弥といえば“殺し屋”と言われるほどの喧嘩が強い不良。他校の不良グループを病院送りにしたり、族を壊滅させたなど彼に対する伝説は絶えない。
またその容姿から寄ってくる女は数知れず。セフレが何十人もいるらしい。中には孕ませた女もいるなど、女性関係の噂も途切れることはない。
そんな歩く伝説男が目の前にいることに、朔は軽く目眛を起こした。
「ねー、朔ちゃん聞いてる?」
「はっ、はい!」
「そんなびくつかないで。ね?」
そう言ってニッコリと笑う光弥に朔は、無理だ!と内心ツッコミをいれた。
「…で、なんの話ですか?」
「やっぱり聞いてなかった。あのね、朔ちゃんって一人暮らし?」
「そうですけど」
「寮には入らないの」
朔は呆れたように答えた。
「金無いから無理です。このボロアパート見れば分かるでしょ」
築何十年の古いアパート。壁にはヒビがはしり、小さい部屋。貧乏学生が住む部屋のようにボロい。
「寮に入る金が無いからこのアパートに住んでるんです」
「なるほど。…うん、決めた」
「なにを?」
光弥は満足そうに微笑んだ。
「ううん。何でもないよ。あ、そろそろ俺帰るね」
そう言って光弥は立ち上がり身支度を整えて玄関に向かった。
話をしたら突然帰るという突拍子な行動に朔は目を丸くさせたが、内心ホッとした。
「朔ちゃん」
光弥は振り返り朔に顔を向けた。
「ご飯、ごちそうさまでした」
「え、あ。おそまつさまでした」
ペコリとお辞儀する朔にふふっと微笑み、光弥は出ていった。
「……なんだ、あの人」
なんか、嵐みたいな人だな。
朔の呟きは虚しく部屋に響いた。
────………
「───何ニヤニヤしてんの、お前。キモイんだけど」
帰ってきた早々、同じ寮の住人に言われた。
光弥は微笑みながら言う。
「ちょっとね。あ、今度新しい子入るから」
「はぁ?なんだよ、いきなり」
階段からスウェットを崩して着る身長の高い男が降りてきた。
「お、光弥帰ってきたのか。…なんか嬉しいことでもあったのか?ニヤけてんぞ」
光弥はあの料理を作ってくれた朔を思い浮かべた。
「欲しいね、ものを見つけたんだ」
そう言って光弥は自分の部屋に入っていった。残された二人は不思議そうに首を傾げた。
暗い部屋で光弥は呟いた。
「朔ちゃん、か…」
光弥は微笑んだ。
「───気に入った」
その口元には妖しい笑みが浮かんでいた。
それは非日常の始まり
(また君に会いたいな)
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