譚海‐タンカイ‐
クリスマスの奇跡

 キィ――――――ッ!

 甲高いブレーキ音が辺りに響きわたった。悲鳴と怒号とサイレンで埋め尽くされる道路、その光景を俺はただ茫然と眺めていた。
 どうしていいかも、どうするべきかもわからなかった。ただ、異様に頭が痛い。目の前の状況を処理仕切れず悲鳴を上げている痛み。
 今、目の前で運ばれているのは誰だ――?

「――き」

 目の前で運ばれているのは――。

「一樹っ!」

 呼ばれた声にはっとして俺は顔を上げた。

「……大丈夫か?」

「わりぃ……」

 気遣わしげな声にしまったと思う。心配かけまいと振る舞ってきたつもりだったが……悪友には全て筒抜けのようだ。

「いや――、でも、どうしてなんだろって思っちまうな……」

 極まり悪く謝る俺に悪友――啓輔は力なく首を振り呟いた。

「――そう、だな……。どうして、あいつだったんだろうな――」

 今はそればかりが浮かんで消えた。もう――、笑う姿も、悲しむ姿も、怒る姿すら見る事ができないなんて――。

「とおいなぁ――」

 別れはあまりに突然で俺は心の整理すら未だできていない。
 何てったって俺の心はあいつがひょっこり姿を見せるんじゃないかって思ってる。
 全て冗談だと願ってる――。

「とおいなぁ……」

 呟いて俺はみっともなく泣いた。全て嘘だと、そう、信じたくて――。
 それは――、あいつが死んでから一年が過ぎた十二月二十四日の出来事。

「……一樹、行こう」

「ああ……」

 俺は啓輔に促されて墓地を出た。
 暫く俺と啓輔は意味もなく街を歩いた。行く先々はイルミネーションの光で溢れ、人の流れは止まる事を知らぬかの様にいつまでも続いていた。

『見て一樹っ! 凄く、凄く綺麗ねぇ……』

 喧騒の中から不意に聞こえた声に俺は足を止めた。

(今の声は……)

 訝しむ俺の耳に再度飛び込んできたのは悲鳴じみた啓輔の声。

「一樹っ! 危なっ――!」

 必死な顔で手を伸ばす啓輔。眩しい程に迫る強い光。

 そして――。

* * * * *

「かーずーきー」

 ぺちぺちと頬を叩かれる感触にうっと俺は呻き声を上げて薄く目を開けた。

「いつまで寝てるつもりなのかなー? そろそろあたし足が痺れてきて限界なんですけどー?」

 焦点を結んだ先に入ってきたのは覗き込むようにして口を尖らせているあいつの顔だった。

「なっ――!」

 驚きで口を開閉させている俺にあいつはただ淡く笑った。

「一樹はぁ、いつまであたしの膝使ってるつもりー?」

「……あ?」

(膝……?)

 確かに寝ているはずの俺の頭は地面より高い位置にある。そして何より柔らかい感触……。
 理解した瞬間、俺はガバッと勢い良く起き上がった。謝ろうと振り返った俺はスカートを叩き立ち上がったあいつの太股と鉢合わせる羽目になった。慌てて視線を逸らしたがみるみる体温が上がるのがわかった。

「……ぷっ」

「……何だよ」

「一樹は初だなぁーって」

「……言ってろ」

 あははっと笑ってあいつは俺の手を引っ張り立たせる。

「早く行こうよ? ね?」

「行くって、どこに――?」

 まだ混乱している頭を必死で使いあいつの言葉の意味を考える。

「ひどーい! 約束、忘れちゃったのー?」

 あいつは頬を膨らして言う。その口調は忘れてるとはちっとも思っていない確信に満ちた楽しげな声だった。

「……約束」

 そして、その確信通り俺は一日だってあいつとの約束を忘れていない。――いや、忘れる訳がない。それを果たす為に俺はずっと待っていたのだ。来る日もあいつを――。

「ねぇ、一樹」

 柔らかく笑っていた顔を急に真剣なものにしてあいつは言う。
 ――本当はね。

「忘れてよかったんだよ?」

「っ!」

 引っ張らり握られている手から急に温度が消えた様に思えた。

「あたしは一樹を縛りたくない」

 歩く速度は変わらず、前を行くあいつの表情は見えない。
 だから――。

「一樹はあたしを忘れていいんだよ」

 ――ううん、寧ろ。

「忘れるべきなの」

 ね? っと振り返ったあいつは笑っていた。とても、とても悲しい笑顔だ。

「どうして――」

 思わず俺は俯いた。不意に零れた声は思いがけず揺れている。

「どうして――」

「一樹、着いたよー」

 俺の声を遮ってあいつは言う。
 そしてその言葉通りある場所に着いていた。一年前あいつが来なかったその場所に――。
 待ち合わせ時間は午後六時だった。時間に律儀なあいつが三十分も経ってまだ待ち合わせ場所に来ていなかった。
 何かあったんじゃと思った矢先、甲高いブレーキ音と悲鳴が俺の耳朶を叩いた。嫌な予感が背筋を凍らせる。

「一樹」

 はっとした。

「思い出さないで」

 頬を優しく包まれる。

「ごめんね、ずぅーっと待たせちゃって」

「――――」

 俺は何も言葉に出来ず、ただ首を振った。
 謝る必要なんてないんだと。そう、伝えたくて。

「あー、もう。泣かなくったって」

「……う、うるせぇ」

 それでも落ちる雫は止まらなくて。それが情けないくて……なのに触れられた頬から伝わる温もりが嬉しくて。

「困ったねぇー。どうしたら泣き止んでくれるかなぁー?」

 くすくす笑いながらあいつは俺の涙を拭った。

「……嘘だよな」

「ん?」

「死んだなんて嘘だよな?」

「――――」

 あいつは曖昧に笑っただけだった。

「なあ! 嘘だと言ってくれよ!」

「――ごめん、ごめんね」

 俺が聞きたいのはそんなんじゃない――。
 軋むように心が叫んだ。叶わないと知っているからこそ、嘘でもいいから否定して欲しかった。

「でも――、でもっ! あたしだって嫌だよ! 一樹ともっとずっと一緒にっ――!」

 その時始めて見た、あいつの泣き顔――。

「ぁ――」

 しまったと思った時には遅すぎた。

「仕方がないじゃないっ! あたしはもう、死んじゃったんだからっ!」

 そう叫んだあいつの瞳から散った涙の軌跡――。
 なんて馬鹿な事を言ってしまったんだ……。そう、後悔しても零れた言葉を口に戻す術などあるはずもなく――。
 辛いのは自分だけじゃないと改めて思い知らされた。

「ごめん――ごめん――」

 掛けられる言葉などなくただ謝る事しか出来ない歯痒さ――。

(あぁ――)

 俺は漸くあいつの気持ちを理解した――。

「……一樹の馬鹿」

「――ごめん」

 赤くなった目のまま口を尖らしてあいつは言う。驚く程真剣な眼差しで。

「――許さないよ」

 口元は震えているのに発する声は少しも揺れていなかった。

「一樹があたしの分まで生きないと許さないよ」

 刹那、強い意志を宿した瞳に射ぬかれた。

「――わかった」

 俺は知らずそう答えていた。そう、答えずにはいられない何かがあった。

「……ありがと」

 あいつは笑って俺を抱き締めた。その一瞬に俺は永遠を感じた。

「さあ、もう行って」

 あいつはするりと腕を解き言う。その顔は晴れ晴れとしていた。だから俺は笑った。泣きながら笑った。

「ばいばい一樹。あたしは先に逝くけど、いつかさ、また――逢おうね……」

 俺は大きく頷いた。いつ逢えるかなんてわからない。逢えないかもしれない。けど、それでも、いつかを信じて――。
 俺は何も言わずに踵を返す。それだけでもきっとあいつに伝わっている。そう思える絆が俺達の間にあるから。

* * * * *

 気が付くと俺は白いベッドの上にいた。

「目、覚めたか?」

 声のする方へ視線を向けると啓輔の何とも言えない顔があった。
 普段とはあまりに違うその表情に俺は戸惑った。

「――啓輔?」

 どうしたんだ? と言う気持ちを籠めて俺は啓輔を呼んだ。

「ああ、よかった……」

 途端、俺を覗く啓輔の表情が安堵の色に変わった。

「お前まで死んじまうのかと思った……」

(ああ……そうか。俺、轢かれたんだっけ)

 そう思うと啓輔に申し訳なく、自然と俺は謝罪を述べていた。

「……わりぃ」

「いいさ」

 お前は帰ってきたんだし。
 そう啓輔は笑ったかと思えば急に神妙な顔付きになって言う。

「なあ――、何であん時さ――信号とこだけど、止まったんだ?」

「ん? ああ――、あいつの――」

 ゆっくりと寝返りをしながら俺は答えた。

「あいつの声が聞こえたんだ――」

 カーテンの開かれた窓にはちらほらと白が映っていた。

「そっか。――お前、助けられたんだな……」

「――え?」

「あん時、急に曲がったんだよ」

 啓輔の話によると、俺に突っ込もうとした車が急にハンドルをきったらしい。そのお陰か俺はミラーの部分に洋服が引っ掛かっかただけで、症状としては軽い脳震盪で済んだらしい。
 もし、あのまま俺が歩いていたら、曲がった車の先に丁度いた事になる。

「情けないな、俺。……助けられっぱなしだ」

「――いいじゃねぇか」

 俯いた俺に啓輔は明るく告げる。

「ほら、今日は奇跡が起きる特別な日んだからよ」

 啓輔の指差す先には午前零時を示す時計があった。

「そう、だな……。でも――俺が事故にあったのは昨日だぜ」

「……いっ、いいじゃねぇか! どっちにしたってクリスマスなんだからよっ」

 啓輔の必死さが妙に可笑しくて俺は笑った。

「一樹――、お前今笑ったろ!」

「わ、笑ってないって……っ」

 そう言って俺は毛布を引き上げ、多分大いに弛んでいるであろう顔を隠した。

「チッ。――帰る」

 お前と違って今日の終業式にでなきゃなんないんでなっ!
 そう嫌味をぶちぶち言いながら啓輔は病室を乱暴に出ていった。

「啓輔、サンキューな」

「ったりめーだろ」

 去り際に声を掛けると啓輔は笑って答えてくれた。

「――雪、か」

 このまま降り積もれば朝日が昇る頃には、全てを覆い隠す銀世界が出来上がっているだろう。
 そんな事を考えながら俺はある言葉を呟いた。

「メリークリスマス」

 そして、止まっていた時が再び動き出したのを感じながら俺は最後にあいつの名前を付け足した。

「――美輝」



 …………。



 お前のいない世界で、お前を忘れて生きる俺をどうか許してくれ。



 そして――。



 お前と再び出逢える奇跡をどうか――。



 許してくれ――。



 …………。



 窓に映る雪を眺めながら、俺は再び眠りについた。


-Fin-



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